第20話 貴族の奴隷④

 アレスの家での生活は、規則正しかった。


 朝夕はアレスの家族と共に食事をとる。

 アレスの両親及び妻は魔族に殺されたらしく、家族とは言っても、一緒なのは娘のレナだけだった。


 二十人は座れそうな長い食卓には、アレスとレナの他に、食客扱いのダインとカレンと俺だけが座り、全員が同じ食事をとった。


 真っ白なテーブルクロスは、シミひとつなく、輝いてすら見える。

 そんな食卓の上に並ぶのは、非常に美味しい食事だった。

 豪勢というわけではないが、選び抜かれた食材で作られているのが、貧乏人の俺でも分かった。

 前菜だけで、これまでの俺の一日分の稼ぎ以上の値段はしそうな料理を、毎日食べるという夢のような生活。


 食客扱いということで、特に仕事もなかったので、日中はひたすら魔法と剣術の訓練をした。


 魔法の講師は、最近アレスの家専属として雇われた魔導師リン。

 若干十四歳で、俺やレナとそう歳は変わらないが、魔法の実力は王国でも屈指らしい。

 見た感じ小柄な文学部の中学生にしか見えないから、魔法の実力というのは、見た目では判断できないと実感させられる存在だ。


 リンからの教えで、魔法を使える人間というのは、実は少なくないというのが分かった。

 魔力は、量の多寡はあるものの、どんな人間にもあり、貴族はほとんどの者が魔法を使える。


 だが、この体の前の持ち主の記憶では、周りに魔法を使えるな人間はいなかった。


 魔法を使える人間とそうでない人間の差。

 それは教育の差らしい。


 魔法の仕組みを体系的に理解しているかどうか、それが魔法を使える人間とそうでない人間の差だ。

 必然的に、教育を受けることのできる身分の者と、そうでない身分の者とで、魔法格差が生まれる。

 その格差が、埋まらない差として、さらに差別を助長するのが、この世界ということらしい。


 ちなみに、覚えた仕組みを脳内で式として構築し、最終的に呪文を通じて形にするのが人間の使う魔法だ。


 その点、魔族は違う。


「魔法? そんなもの、イメージするだけで誰でも使えるし、呪文なんてもの、一つも知らないぞ」


 確かにカレンはいつも無詠唱で風の槍を放っていた。

 この辺りの違いは、いずれ解明しよう。

 もしできるなら、俺も無詠唱で魔法を使いたい。


 俺の魔法の習得は順調だった。

 魔法の呪文が日本語なのも大きい。

 なぜ日本語なのかは、リンに聞いても分からない。

 日本語は、今も東方では使われている古代の言葉だとしか分からないと言われた。

 やはり、一度東方には行ってみたい。


 それに何より、学ぶのは楽しい。

 魔法の仕組みを学ぶのは、数学、物理、化学の複合教科を学ぶようなものだった。

 体系だって整理されたその仕組みは、芸術的ですらある。


 魔法を使うのに必要なのは、魔法に対する理解と魔力量。

 初級の魔法なら中学卒業、中級なら高校卒業、上級なら大学卒業か大学院程度の理解度が必要といったところだろうか。


 俺は、一ヶ月ほどの講義で中級までは完全にマスターし、上級についてもいくつか理解し始めていた。

 魔力量も上級を使うには十分みたいだ。


 初めて魔法を使えた一ヶ月前の感動は、今や遥か昔の出来事に思えてくる。


 上級までの魔法は、風、土、火、水、氷、雷といった、自然の力を借りるものが殆どで、個人によって得意不得意があるし、環境によってもその強さは変わってくる。

 寒い地域だと氷が強くなるし、砂漠では水は殆ど使えなくなったりする。


 上級より上の魔法は、各貴族家の一子相伝だったり、高位の魔導師が自分で生み出したりしたものばかりで、一般に学ぶことはできないようだ。


 見た目や普段の態度からは想像がつかないが、高位の魔導師であるリンも、一つ自分で生み出しているらしい。

 俺が上級魔法まで全てマスターしたら教えてもらえる約束になっていた。


「それではまずは基礎からです。『風槍』」


 リンの掛け声に合わせて、俺とレナが同時に呪文を唱え、風の槍を放つ。


「風よ、悪しきを貫く槍となれ。『風槍』」


 俺とレナから放たれた槍は、十メートルほど先にあった巻藁を粉砕する。


 風槍は初級魔法ではあるが、空気さえあればどこでも使えるし、魔力の込め方次第では威力もそれなりに出るので、最も多用される攻撃魔法の一つとのことだった。


「お見事です。それでは続きまして、昨日のおさらいです。カレンさん、お手本を」


「魔族使いの荒い女だ。ええと、『煉獄』」


 普段は巫女服ではなく、アレスから与えられた身動きの取りやすそうな洋服を身に付けたカレンが、右手をまっすぐ伸ばす。


 カレンが呪文を唱えると、右手を向けた先一帯が、激しい炎に包まれた。


 天国に行けない魂が、その罪を炎で浄化されるという煉獄。

 その名を冠する火の上級範囲魔法は、広大な訓練場の大部分を炎で焼き尽くし、カレンが魔力供給をやめたところで鎮火した。


「お前が講師なら、自分でやればいいじゃないか」


 カレンがリンを睨みつけながらそう言う。


「私みたいな普通の人間がこんな魔法を全力で使っちゃいますと、一発で魔力を大きく消費してしまい、授業どころじゃなくなっちゃいます。ここは膨大な魔力をお持ちで、魔力効率もいいカレンさんにやっていただいた方が、いいお手本になります。よっ、大魔族!」


 最後の悪ふざけにムッとしたカレンに小突かれたリンが、頭を押さえながら、俺とレナの方を向く。


「それではエディさんからお願いします」


 何事もなかったかのように俺にそう指示するリンは、ある意味で大物だろう。


 俺は、昨日リンに説明してもらった魔法理論に基づく式を頭の中で構築し、呪文を唱える。

 呪文は、カレンが一応申し訳程度に唱えた魔法名だけではなく、フルバージョンだ。


「炎よ。全てを焼き尽くす大いなる力よ。我が前に立ち塞がりし、悪しきを清める救いとなりて、その力をここに示せ。『煉獄』」


 俺の右手から大量の魔力を吸い上げたそれは、カレンのもの同様、あたりを炎で焼き尽くす。

 未だに魔法を放つ感覚には慣れないが、自らの手から放たれる炎を見て起きる興奮は、抑えるのに苦労する。


「素晴らしいです! とても魔法を覚えて一ヶ月とは思えません!」


「うん。さすがは我が主人だ」


 リンとカレンの賞賛に、俺は素直に嬉しい気持ちになる。


 これまで勉強は独学でしかやってこなかった俺は、人生で初めてまともな講師に出会い、その効果に驚いていた。

 最初のうちこそ、初めての理論体系に戸惑ったが、リンのおかげでその取っ掛かりがつかめると、あとはどんどん理解できた。


「それでは続いてレナ様、お願いします」


 リンに促され、レナも俺と同じ様に呪文を唱え始める。

 だが、その顔はひどく自信なさげで、緊張感に満ち溢れていた。


「炎よ。全てを焼き尽くす大いなる力よ。我が前に立ち塞がりし、悪しきを清める救いとなりて、その力をここに示せ。『煉獄』」


 レナが放った炎は、カレンや俺の十分の一ほどの範囲で、しかも現れてすぐに消えてしまった。


 魔法を放ってすぐに魔力が枯渇してしまったらしく、レナはその場に膝をつく。


「レナ様。やはり上級魔法は早過ぎます。いくらレナ様が十年に一人と言われる天才であるとはいえ、十二歳で上級とは……ほぼ全ての中級魔法を使いこなせるだけで、今のところは十分ではございませんか。レナ様の年で中級魔法を使える人間なんてほとんどいませんよ」


 そう言って慰めようとするリンを、レナは睨みつける。


「だったらその奴隷の子供は何? 魔法を覚えて僅か一ヶ月で、もう上級魔法を使いこなしているけど」


 リンは言葉に困っている様だ。


「エディさんは……異常なんです。魔力量も理解の早さも人間とは思えません。きっとカレンさんに捕まってる間に、何か変な改造を施されたんです」


 本人を前に酷いことを言う奴だとリンを睨みつけようとしたが、リンが目で俺に謝っているのに気付き、俺は黙ることにした。

 カレンも同様にリンの気持ちを察したようだ。


「そんな改造があるのなら、私にも受けさて」


 レナが真顔でリンを見る。


「それは……」


 リンは項垂れる。


「嘘をつくならもっとマシな嘘をつきなさい。私の方がこの奴隷の子供より、劣っていると言いたいんでしょ? ……魔法も底をついたし、今日はもうやめにする」


 レナはそう言うと、俺とカレンには目も合わせずに去って行く。


「プライドばかり高いガキのお守りは大変だな」


 レナの背中が見えなくなると、カレンがリンに声をかける。


「レナ様はプライドばかりではございません。実際、中級魔法を全て使いこなせる方なんて、大人でも一握りしかいません。それをあのお年で全てマスターするなんて、本来であれば賞賛されてしかるべきなんです」


 カレンはそんなリンを少し冷めた目で見る。


「ただ、周りにはそれ以上の才能の持ち主ばかりがいる、と。同い年なのに、僅か一ヶ月で上級まで使えるようになったエディ。十四歳で上級を全て使いこなし、自ら新たな魔法まで開発したお前。まあ、これまで天才だとちやほやされていた奴のプライドがへし折られたんだ。当然の反応か」


 リンは首を横に振る。


「いえいえ。私なんて大したことないです。友達がいなくて勉強ばかりしていたので、魔法理論については多少自信がありますが、まだまだ勉強中の身。魔力量もなければ、剣も使えません。レナ様と比べるなんておこがましいです」


 リンの言葉を聞いたカレンが鼻でフンっと笑う。


「ひとつ教えてやろう。あのガキがあそこまで態度を拗らせてるのは、お前の態度のせいでもあるんだぞ」


「私の態度?」


 リンが首を傾げる。


「自分より才能がある奴が無駄に謙遜する態度だ。やられる方からすると、余計に気持ちを逆撫でされる」


「そう言われましても……」


 リンが困惑の表情を浮かべる。


「まあ、ついてこない奴はほっとけ。お前はさっさと俺のご主人を鍛えろ。いつ強力な魔族が攻めて来るか分からないからな」


「一応、私の雇用主はアレス様なので、メインの生徒は娘であるレナ様なんですが……」


 正論を述べるリンを、カレンは睨みつける。


「ひっ!」


「いいからさっさと教えろ。早くしないとあの爺さんが来る」


 リンは観念したように肩を落とす。


「分かりました。それでは今日は氷の上級範囲魔法についてです」

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