第21話 貴族の奴隷⑤
「そろそろ交代の時間です」
リンから氷の上級範囲魔法の理論について学び、何度か実践トライを行なっていると、ダインが俺を迎えにきた。
「もうそんな時間ですか? あと少しでエディさんも、氷の上級範囲魔法のコツが掴めそうなのですが……」
もう少しだけ時間を引き延ばそうとするリンを、ダインは厳しい目で見る。
「そう言ってこの間、魔力が枯渇するまで続けさせたのはどこの誰ですか。エディ殿行きますぞ」
俺は、何とか俺を引き止めたがっているリンに頭を下げる。
「リン先生。今日はありがとうございました。今日の内容は、ダインさんの訓練が終わった後、復習しておきますので、また明日お願いします」
リンは少しだけ残念そうな顔をした後、笑顔を俺に向ける。
リンも一般的に言えば美少女の部類に入る。
いや。
カレンやレナで感覚が狂ってるだけで、元の世界なら、並のアイドルには負けないくらいの美少女だ。
少し年上の、そんな美少女に笑顔を向けられて、悪い気はしない。
「エディさんがそう言うなら……また明日お願いしますね」
笑顔のリンに、笑顔で返す俺を、カレンが白い目で見ている。
「エディはこんな女が好みなのか? 年上のくせに背も低いし、華奢で出るところもほとんど出てない、子供のような女が。発情した雄が雌を見る目になっているぞ」
俺は慌てて答える。
「こ、好みとかそんなんじゃない。く、首飾りが綺麗だから見惚れていただけだ」
苦しい言い訳をする俺の言葉に、リンが手を首元にやる。
「これは、母の形見なんです。どれだけの効果があるか分かりませんが、何かあった時、身を守ってくれると言われています。これは本当に大事なものだから、褒めていただいて、とても嬉しいです」
そんなリンを見て、俺の胸がキュンとなる。
そして、そんな俺を見たカレンが、何やら不機嫌なようだ。
「カレン。お腹が空いたのか?」
俺がそう尋ねると、カレンが顔を赤らめる。
「馬鹿。俺をお子様扱いするな。これだから女心のわからない奴は……飯はいただくが」
カレンの食事は人肉だが、当然そんなものをいつでも用意できるわけではない。
幸いと言ってはいけないが、先日の件で、三ヶ月分ほどはストックできたから、あと二ヶ月は大丈夫なはずだ。
だが、それだけでは心許ないので、代替手段として、俺は自分の血をカレンに与えていた。
これが思いの外効果が高いようで、今の所、カレンの力が失われて若返った様子はない。
カレンに聞くと、魔族が人間から血だけを吸うという話は聞いたことがないらしい。
通常の魔族は人間を食べ物としか思っておらず、わざわざ生かすことを考えないから、食べられるならチャンスを逃さず、全て食べるそうだ。
だが、もし血だけでも生きていけるのだとすれば、人間と魔族の共存の第一歩になるかもしれない。
「修行が終わってからな。今、血を抜くと、体力が持たない」
「分かっている。爺さん、今日は軽めで頼むぞ」
カレンの言葉にダインが苦笑しながらもはっきりと断る。
「それは無理です」
「た、たまには軽めでも……」
思わず俺もそう言ってしまう。
ダインの修行は苛烈を極めた。
死にかけたことも一度や二度ではない。
「確かに、一般人からすると若干厳し目かもしれませんが、エディ殿ほどの才能をお持ちなら、これくらいの厳しさは必要かと。それに……」
ダインは真剣な目で俺を見る。
「すぐに強くなりたいんでしょう? いくら才能があっても、修行を始める歳が遅いのは間違いない。私は二歳の時には剣を振っていました。そのハンデを埋めて尚、一日でも早く強くなりたいというのなら、多少のリスクを冒してでも、修行をするしかないでしょう?」
ダインが言うことはもっともだ。
俺は一日でも早く強くなりたい。
ダインの目を見て、俺は頷く。
「おっしゃる通りです。ただ、その多少というのが、多少ではないような……」
俺の言葉にダインが笑顔を作る。
「命に別状なく、後遺症も残らない怪我はリスクではありません。刀で斬られたことによる手足の欠損程度なら、そこのリンがすぐに元通り繋げてくれます。接着面が歪むような切り方はしないので任せてください」
俺はこれ以上言っても仕方ないと思い、ため息をつく。
「カレン。お前に飲ます血が足りなくなったらすまない。修行後に地面に散った血でも舐めてくれ」
そんな俺の言葉に、カレンが俺を睨みつける。
「そんな卑しい真似できるか。もう修行を始めて一ヶ月経つ。そろそろその爺さんをぶちのめしてやれ!」
カレンの言葉に、ダインの纏う空気が変わるのが分かる。
「望むところです」
いやいや、望まないで欲しい。
俺が言ったわけじゃないし。
「今日はギアを上げます。それでは早速始めましょうか」
ダインはそう言うと、鞘に入った真剣を投げてよこす。
俺はそれを右手で受け取る。
せっかく立派な道場があるのだが、そこを使っていたのは最初の内だけだ。
最近は、外にある魔法用の訓練場を使っている。
俺たちの修行による、建物の損壊が激しいせいだ。
素振りや型のやり方は、最初に教わった後、自分でやっておくことになっている。
ダインと共にいる間は、ずっと実戦のみを行なっていた。
実戦に勝る修行なし、というのがダインの持論だ。
ダイン相手だけだと偏るということで、カレンとも実戦を行なっている。
実戦を繰り返し、気付いたとを指摘するというスタイル。
それだけだと何の変哲も無い修行だが、指摘の仕方が普通では無い。
特に今日は、ダインの剣の鋭さが普段より格段に上だ。
「逃げるな! そこで引けば余計傷が深くなる。こんな風に」
ーースパッーー
大根でも斬られたかのような音がして、俺の左手が腕から切り離される。
「グッ……」
強烈な痛みで、俺がついさっきまで左手があった場所を押さえるより早く、カレンが宙に浮かぶ俺の左手と、左手があった場所にできた切り口を、無詠唱の氷魔法で凍らせる。
カレンはそのまま宙を翔けるように飛んでくると、凍った俺の左手を掴む。
その手をすかさずリンに渡すと、リンが回復魔法ですぐに元どおりに繋げる。
「人間も動物だ。痛みを体で覚えれば、意識するより早く動けるようになる。痛みを覚えなければ、頭で考えてからしか動けない。そこで生じる一瞬の差が生死を分ける」
ダインはそう言って、俺の動きが悪い時は容赦なく斬りつけてくる。
回復役がいなければ、間違いなく死んでしまうほどの攻撃による痛みを、時間の限り与えられる修行。
普通は三日と持たず根を上げてしまうらしい。
無理して頑張った結果、気が触れたり、痛みでショック死してしまった者もこれまでにはいたようだ。
拷問と紙一重の厳しい修行だ。
だが、その厳しい修行のおかげもあってか、ダインに対してはまだまだ遊ばれているだけだが、カレンに対してはそこそこいい戦いができるようになってきた。
初めの頃は遊び半分だったカレンの顔が、ここ数日は真剣味を帯びるようになってきている。
普段は物静かなダインは、刀を握ると人格が変わったように、態度も口調も厳しくなる。
痛みだけでなく、その厳しさそのものにも耐えられない者も多かったようだが、俺はむしろ心地よかった。
厳しいというのは、俺をいい方向に変えてくれようとしているということだ。
元の世界での教師たちのように、無視を決め込んでいるわけでは無い。
そうこうしているうちに、俺の魔力が底をついてきた。
刀を使った戦いでも、体には魔力を巡らせている。
魔力を巡らせることで、スピードもパワーも耐久性も上がる。
武器である刀もそうだ。
魔力を通わせることで、ただの数打ちが、どんな名刀にも負けない斬れ味と強度を持った武器になる。
この世界での戦闘に魔力は欠かせない。
リンの授業で上級魔法を連発し、ダインの修行で格上相手に魔力を使い続けた俺は限界寸前だった。
残り少ない魔力を使いながら、俺はせめてダインへ一撃入れるべく頭を働かせようとする。
だが、そんな余裕を与えないようダインの連撃が俺を襲う。
左脇腹に横薙ぎで一閃。
俺はバックステップで躱す。
続いて袈裟懸けに右上からの斬り落とし。
躱すのは間に合わないと判断した俺は、刀で受ける。
ただ受けるだけでは、下手すると刀ごと斬られてしまうので、刀に込める魔力を増やすと同時に、全身に流れる魔量の量も最大にする。
さらに、全身をバネのようにするよう意識し、衝撃に備える。
ーードンッーー
最早剣撃というレベルを超え、隕石でも受け止めたかのような衝撃が俺を襲う。
その余波は空気の波となって、離れて見ていたリンとカレンにまで及び、二人がよろめく。
そんな攻撃を直接受けた俺は、衝撃を殺せず、大きく体勢を崩した。
もちろんダインがそのような隙を見逃すはずはなく、右手一本で突きを繰り出す。
喉元を狙って放たれたその突きは、これまで受けたどの攻撃よりも速かった。
俺を殺そうとしているようにしか見えない攻撃。
どう動いても、その攻撃を避けることはできない。
そう判断した俺は、剣術だけで対応するのを諦め、魔法を使うことにした。
あとでダインに怒られるかもしれないが、命には代えられない。
当然、呪文を詠唱する時間などない。
使う魔法は、自作の身体強化魔法。
実戦で使うのは初めてだが、初級魔法にも満たない、ごく微量の電気を生み出すだけのこの魔法は、呪文なしでも発動可能なことを、カレンとの検証で確認済である。
元の世界で、肉体の仕組みを知っているからこそ使えるこの魔法。
運動神経を伝わる電気信号を意識的に調整すると同時に、筋肉そのものにも電気刺激を与え、強制的に収縮。
そうすることで、魔力によって強化されたスピードを、物理的な力によってさらにアップさせることができる。
もちろん、そんなことを戦いの最中に考えれば、むしろ思考の時間だけ反射が遅くなる。
そこで、パターン分けした魔法式をあらかじめ体に組み込んでおき、そのトリガーを頭の中で押すだけだ。
今回は体を横に動かす魔法式。
ーー雷光ーー
そう名付けた自作の魔法の呪文を、頭の中で唱える。
ーーブォンーー
風を切り裂く大きな音を立て、ダインの突きが空を切った。
今度は、片手で大きく突きを繰り出したダインの体が、がら空きになる。
一ヶ月毎日戦ってきて、初めて見る隙。
俺は迷わず剣を繰り出す。
致命傷を負わせる可能性があったが、この隙を見逃した方が、あとでダインに怒られるだろう。
俺もダインの突きを躱すために体のバランスが崩れていたので、体重を乗せた攻撃はできない。
俺の選択は突き。
体重は乗っていないが、魔力をフルで込めた突きは、ダインの体を貫くくらいの威力はあるはずだ。
俺は崩れた体勢からでも突きを繰り出すべく、もう一度頭の中でトリガーを押す。
ーー雷光ーー
明らかに無理な体制からの突き。
流石のダインも避けられないだろう。
ーーブスッーー
刀が何かを貫いた感触があった。
だが、体を貫いたにしては感触が薄い。
俺は自分の突きの結果を確認する。
俺の刀は、ダインが自分の体を守るように差し出された手を貫き、貫いたままダインに掴まれていた。
マズイ!
そう思った時には既に手遅れだった。
ダイン程の達人がそんな隙を見逃すはずはない。
一度は空を切ったダインの刀が、俺に向かって振り下ろされるのを感じる。
刀を掴まれている以上、雷光を使って、刀で受けるのは不可。
刀を離して逃げても、その後の一太刀で斬られるのは、分かり切っている。
斬られるのは手か腕か。
とりあえず、最後の抵抗として、右腕から手にかけて魔力を集中して、斬撃に備えて防御の姿勢をとる。
だが、いつまで経っても斬撃は俺に届かない。
「見事です」
その言葉と共に、ダインは刀を下ろした。
右手も俺の刀から抜き、リンに向ける。
「頼む」
「分かりました」
リンがダインの右手を取り、魔法による治療を始める。
ダインは、不思議な経験をしたような顔で、俺の目を見る。
「最後の突きは、エディ殿の実力を引き出す為、カレン殿に恨まれるのも覚悟で、本当に殺すつもりで放ちました。それを避けた上に反撃までしてくれるとなると、現段階で私に教えられることはもうないでしょう」
そういうことか。
確かに今までで一番速い突きだった。
俺は首を横に振る。
「いいえ。今回俺はズルをしました」
「ズル?」
ダインの顔が歪む。
「はい。ダインさんの攻撃を回避する際、予め体に仕込んでおいた魔法式を発動させ、それによって回避しました。剣の戦いに魔法を持ち込んだのでズルです」
それを聞いたダインは目を丸くした後、笑い出す。
「剣の戦いに魔法を持ち込んだからズルですか。エディ殿は面白いことを言う」
「えっ?」
俺は怒られるのを承知で言ったので、思わず声を出してしまう。
「敵と戦う際、魔法を使えば勝てるのに、剣にこだわって魔法を使わずに戦った結果、負けて殺される。それはただの馬鹿です。戦う為に必要な手段は、全て使って勝つ。誇りやこだわりなど、戦場では邪魔なだけです」
意外な発言をするダインに、俺は驚く。
「ダインさんは剣に誇りを持ってらっしゃると思ってたので以外でした」
俺は素直に思ったことを口にする。
「誇りはあります。だが、誇りは死んだ後、墓場にだけ持っていけばいいものです。戦いに必要なのは誇りではなく、勝つための工夫と技だけです」
ダインは改めて俺の目を見る。
「エディ殿。今日を持って私の修行は終了です。今後は私以外の色々な相手と戦い、腕を磨きなさい。私の弟子を名乗れば、相手には事欠かないでしょう」
俺はダインの目を見返す。
「俺はまだまだです。ダインさんに教えてもらわなければならないことはたくさんあります。今回を除いて、まだ一撃も入れたことすら無いですし……」
俺の言葉を聞いたダインの目が厳しくなる。
「甘えてはダメです。戦い方はこの一ヶ月で叩き込みました。まだまだ荒削りなところばかりですが、あとは、自分で鍛えるのみです。飛び方を覚えた雛は、巣を立つもの。あなたはもう、十分高く飛べる。ただ……」
ダインの目が優しくなる。
「親鳥も雛の成長は気になるものです。しかも何十年も生きてきて、初めての自分の雛です。月に一度は手合わせをしましょう。どれだけ成長しているか、確認します」
俺は頷き、笑顔を作る。
「はい、師匠!」
師匠と呼ばれたダインの表情が一層柔らかくなる。
「まさか死ぬまでに、師と呼ばれる日が来るとは思いませんでした」
修行の時と違って、優しい表情を見せるダインは、人のいいおじいさんにしか見えない。
「あとは、弟子に超えられる日も経験させてあげますので、楽しみにしていてください」
「老衰で足腰が立たなくなる前にお願いしますよ。その時には、私の魂ともいうべきこの二刀をお渡ししましょう」
ダインはそう言って腰の刀に触れた後、俺に向かって手を差し出す。
俺はその手をしっかり握る。
……この日俺に、生まれて初めて師と呼べる人ができた。
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