第19話 貴族の奴隷③

 グレンの家を離れ、しばらく進むと、アレスのものらしい馬車が止まっていた。


「アレス様は偉い貴族なんですよね? 護衛もなしにこんな所へ来てよろしいんですか?」


 アレスの家へ向かう馬車の中で、俺はふと疑問に思い、アレスに質問した。

 その質問を聞いた俺を除く四人が一斉に笑う。


「護衛ならダインがいるじゃないか」


 アレスはダインの肩を叩きながらそう言った。


「その爺さんが一人いれば、恐らく並みの軍隊の百人や二百人では時間稼ぎにもならない。そこのガキも、そこそこやるし、そもそもそのアレス奴本人が、規格外に強い。もし攻めてくるとしたら四魔貴族か、それに匹敵する上位魔族くらいのものだろう。もし四魔貴族が攻めてくるなら、雑魚の護衛がいくらいても同じだ」


 俺の隣に座るグレンがそう補足する。


「アレス様はともかく、ダインさんも凄いんですね」


 素直に感嘆の声を漏らす俺を、レナが睨みつける。


「凄いなんてものじゃないわ。刀神ダインといえば、剣聖や賢者に並ぶ我が国の英雄。ドラゴンですら尻尾を巻いて逃げる人間、それがダインよ。それがなぜあなたみたいな奴隷を……」


 俺を貶めようとするレナの言葉を無視し、俺はダインを見る。


「でも、俺なんかが剣を教えていただいてもいいんですか? これまで剣なんて握ったこともないんですが」


 ダインは静かに微笑んで頷く。


「これまで幾人も私の弟子になりたいと言ってくる者達がいたが、一人も私の剣を継ぐに値する者はいなかった。これまで会った者達の中では、エディ殿が間違いなく一番だ。エディ殿でダメなら、私の剣を継げる者はいないということだろう」


 自分の何がそこまでいいのかは分からないが、褒められて嬉しい気はしない。

 なぜか隣のグレンまで誇らしげだ。


 このままだと照れて真っ赤になってしまいそうなので、俺は話をそらす。


「そういえば、この世界にも和風な服があるんですね」


 俺はグレンの服を見てそう言った。


「和風? ああ、この服のことか。これは魔王様から賜ったもので、東の大陸から取り寄せたものだとおっしゃっていた。魔王様は東の文化が好きで、俺の名前も、東の言葉からとったものらしい」


 東の大陸は言葉だけじゃなく、文化も日本風と言うことだろうか?

 やはり一度行ってみたいものだ。


「俺、実は東の文化はそこそこ詳しいんですが、俺が知っている東の文化にはグレンなんて言葉はないですけど……」


 グレンなんて名前、どう考えても西洋風な言葉だ。

 それを聞いたグレンは首を傾げる。


「そうなのか? 俺は東のことはよく分からないが、俺の得意な炎の魔法を見た魔王様は、『紅蓮の炎だからグレン』とおっしゃってたぞ」


 グレンの言葉を聞いて、俺は思わず、ズッコケそうになる。


「……すみません。その言葉、ありました。俺の記憶力が悪かっただけです」


 だが、こんなに可愛い女の子に対して、紅蓮の炎のグレンとは、魔王というのはネーミングセンスがないらしい。


「名前で思い出したが、エディ、俺に名前をつけてくれ。俺の主人は魔王様からエディになった。主人に名前をつけてもらうのが、魔族の掟だ」


 俺はグレンの申し出に戸惑う。

 魔王が付けた名前を変えるだなんて、魔王から恨まれたりしないだろうか?


「魔王が付けた名前を変えるなんて、俺、魔王から恨まれませんかね?」


 思ったことをそのまま質問する俺の言葉を聞いたグレンは笑う。


「大丈夫だ。俺を奴隷にした時点で既に恨まれている。俺と繋がっていた魔法が切れただろうからな。今更名前くらいどうということもない」


 えっ?

 魔王に恨まれているとか初耳なんだが。


 俺はアレスの顔を見る。


「ん? 知っていてやったのではないのか? 配下、特に自ら名前を与えた上位魔族を失うことを魔王は嫌う。間違いなく君は魔王に目をつけられているだろう」


 グレンは俺の顔を覗き込む。


「後悔しているのか?」


 俺は少しだけ不安げな顔を見せるグレンの瞳を見て、にっこりと笑う。


「グレン様と一緒にいられるなら、魔王だろうと何だろうと相手にしてやりますよ」


 やってしまったことは仕方ない。

 それに、あのままグレンが殺されてさしまうくらいなら、たとえ近々魔王に殺されるとしても、まだしばらく生きられるだけマシだ。

 何度同じ場面に出くわしたとしても、俺は同じ選択をするだろう。


「魔王を恐れないとは、頼もしい限りだ」


 しきりに頷くアレス。


「もし魔王に襲われたら助けてくださいね」


 そんなアレスに俺はお願いする。


「私やダインでも魔王には全く敵わないだろうが、最大限努力はするさ。まあ、魔王自身はそれほど暇じゃないだろうし、配下の魔族も、私達と共にいる限り、滅多なことでは攻めては来ないと思うが」


 とりあえず、アレスやダインと共にいる限りは、よっぽど大丈夫そうだということか。


 ただ、人類最強クラスが二人もいて、全く敵わないとは、魔王とは人間に倒せる存在なのだろうか?

 それだけハードルが高いということは、元の世界に帰る条件が、その魔王を倒すこととかだったりするのだろうか?


 俺が考え込んでいると、グレンが俺を急かす。


「エディ。いいから早く決めてくれ。今の俺は名前がない状態だからなんだか落ち着かない」


 もちろん、名付けの経験などないから、急かされても困る。


 できれば今の名前から大きく変えず、それでいて女の子らしく、和風なんだけど西洋にありそうな名前にしたい。

 でもそんな名前、中々思い付かない。


 俺はグレンの顔を見る。

 グレンは美しい少女だ。

 特に、巫女服を着ている今は、なんだか可憐な美少女という感じだ。

 ぜひこの子にピッタリの名前を考えてあげたい。


 ん?

 可憐?


 まさに全ての条件を満たした名前じゃないか。


「グレン様。カレンという名前はどうでしょうか?」


 俺はグレンに尋ねてみる。


「うん。いい名だと思うぞ。前の名前と違って女らしい気がするし。今日から俺はカレンだ」


 グレン改め、カレンは目を輝かせ、満足そうに頷く。


「そんなにあっさり決めていいんですか?」


 自分がつけた名前ながら、心配になった俺は、カレンは尋ねる。


「エディが付けてくれた名だ。むしろダメな理由がない」


 素直にそう言われると、嬉しさと同時に、恥ずかしさも込み上げてくる。


「ところで、この名前も何か意味があるのか?」


 質問するグレン改めカレンから、俺は目をそらす。

 ただでさえ恥ずかしいのに、その上、名前の由来まで話すなんて、羞恥の極みだ。


「……内緒です」


 俺がそう答えると、ダインが口を開く。


「私の刀も、もともと東から伝わったものなので、東の文化についてはそれなりに知識がありますが、確か、可愛らしくて守ってあげたい、というような意味だったと思いますよ」


 この爺さん、余計なことを……


「なるほど。エディは俺のことをそう思っているのか」


 カレンは弄るような笑みを浮かべ、俺を見る。


「やっぱり、激しい炎って意味でレッカとかかな」


 カレンは俺を睨む。


「俺はカレンだ。もう決めた」


「いや、名前を決めるのは俺じゃ……」


「うるさい」


 全く聞く耳を持たないカレン。

 これじゃあどちらが主人か分からない。


「やっぱり全然可憐じゃないかも……一人称も俺だし」


 俺がボソッと言うと、カレンが俺の顔を覗き込む。


「弱く見られないために、自分のことを『俺』と呼んでいるが、エディが望むなら『私』に戻してもいいぞ」


 俺は考える。

 『俺』と言う一人称は、それはそれでカレンの個性のような気もするし、命令で告白してくれた時のように、自分のことを『私』というカレンも可愛かった。


「普段は『俺』で、俺と二人の時だけ『私』と言ってもらうのはいかがですか?」


 俺はいいとこ取りの提案をする。


「……いいぞ」


 カレンは少し恥ずかしそうにしながら頷く。


「だが、俺からも一つ頼みがある」


「何ですか?」


「敬語はやめろ。俺はもうお前の主人じゃない。立場は明確にすべきだ。むしろ俺が敬語を使う」


 俺はカレンのお願いに対して首を横に振る。


「俺からカレンへの敬語はやめる。でも、カレンも敬語はやめて欲しい。俺はカレンを従えているつもりはないんだ。生きる条件として仕方なく奴隷契約は結ぶけど、カレンとは信頼できるパートナー同士でいたい」


 カレンは驚いたように目を見開いた後、少しだけ嬉しそうに頷く。


「分かった」





 そんな会話を繰り広げている間に、馬車は街中に着いたようだ。

 馬車の速度が遅くなり、外から喧騒が聞こえてくる。


「着いたぞ」


 しばらくして馬車が止まると、アレスがそう言った。


 馬車を降りると、そこにあったのは、ヨーロッパの貴族の屋敷だった。


 広い庭園に立派な屋敷。

 昔テレビで見たヴェルサイユ宮殿から、華美な装飾を取り、規模を小さくしたようなイメージだ。


 ただ、広い庭の横に、明らかに場違いな和風の道場のような建物がある。

 ダインが見ているところを見ると、刀の修行をするところだろうか。

 執事のような格好に、明らかに西洋人の顔をしているが、刀を使う時は別なのだろう。


「ようこそ我が家へ。今日からここが君たちの家だ」


 アレスが俺とカレンにそう言った。


 俺は屋敷と庭園を見渡す。


 ここがこれから俺が暮らす家。


 こんな家で暮らすことなど、元の世界にいた頃も、こちらで母さんと一緒に女商人の奴隷をしていた時にも想像ができなかった。


 俺は隣に立つカレンを見た。

 隣には、美しくて強くて信頼できる、最高のパートナーまでいる。


 ここからが俺の人生の再スタートだ。


 元の世界での努力は無駄になっていない。

 それを活かせるかどうかは、これからの俺のさらなる努力次第。


 なんて恵まれた環境だ。

 

 母さん、俺、頑張るよ。

 俺は二人の母親に対して密かにそう誓い、拳を握りしめた。





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