第18話 貴族の奴隷②
俺は、声を発した金髪の少女を睨みつける。
自分がやったことを棚に上げ、グレンと俺を敵視する金髪の少女の発言への苛立ちのせいで、先程母さんを殺された記憶が蘇る。
……この世で何よりも大事なものを奪われた記憶が。
俺の体の記憶が命令する。
この女を殺せ、と。
この体の前の持ち主にとって、自分の命より大事な母親を殺したこの女を殺せ、と。
無意識のうちに魔力が溢れ出し、今にも飛びかからんとする俺を、アレスが手で制す。
その目を見ると、こう言っていた。
動けば殺す。
俺にお前を殺させるな、と。
俺は、背中に汗が流れるのを感じ、殺気を収める。
アレスは申し訳なさそうに、俺に対して軽く頭を下げた後、金髪の少女の方を向く。
「認める認めないを決めるのは、レナじゃない。この家の当主たる私だ」
アレスは、それまでの優しい口調から一変し、レナという名前だったらしい金髪の少女に対して、厳しい口調でそう言った。
「私は身分に関係なく、優秀なものは重用する。奴隷制度など、廃止したいと考えている。たとえ奴隷だろうが、私がこの世で最も信頼するダインが認めた者を、重用しないという選択肢はない」
アレスはそう言うと、俺を見てニッと笑う。
「それに、魔族だといっても全てが悪というわけではない。人間にだって人を殺す悪人はいる。魔族にだって飢えを我慢しながら人殺しを避けている者もいる」
アレスは優しい目でグレンを見る。
「魔族は強力な力を持っているから、裏切りを考慮すると無条件に認めるのは難しい。だが、奴隷として安全が担保されている者まで敵対視する必要はないと私は考える。母さんを殺したのは確かに魔族だ。だが、母さんを殺したのが人間だったら、レナは人間全てを滅ぼすのか?」
アレスは厳しい目でレナを見る。
「レナの考え方なら、いくら誤解があったとはいえ、エディ君のお母さんを殺したレナは、エディ君から許されなくても文句を言えないということになるが、それでいいのか?」
アレスの言葉に、レナはぐうの音も出ないようだ。
何の言葉も返せず、黙り込んでいる。
「レナにはレナの考え方があるのは分かる。だが、レナは私の跡取り候補の筆頭だ。私の考え方が理解できないなら、私はレナを跡取りにするわけにはいかない。レナは私が言っていることが分からない子じゃないよな?」
レナは目に悔し涙を浮かべながら頷く。
「それなら一度考えて見てくれ」
レナはもう一度頷く。
そんなレナを見たアレスは、レナの頭を優しく撫でる。
「それでは帰るか。エディ君たちは何か持っていくものはあるか? 住む場所や衣服はこちらで用意するが」
俺はアレスに言われ、部屋の奥へと歩を進める。
そこには、グレンに食べられた母さんの服と血の海が残っていた。
母さんのことを思い出し、涙が流れそうになるのを、グッと堪える。
俺は血の海の中から、母さんがいつも身につけていた、陶器で出来た花の髪飾りを拾う。
奴隷の母さんが身につけていた、唯一の装飾品だ。
「……これだけです」
それを見たグレンが項垂れる。
「すまない、エディ。俺が弱いばかりに……」
俺はそんなグレンに微笑みかける。
「母さんを守れなかったのは俺も同じです。もし母さんを食べたことを気にしているのなら、俺が食べて欲しいと言ったんで気にしなくていいです。グレン様が謝ることじゃありません。それに、母さんは俺の大事な人の一部になったんです。母さんの分までグレン様を大事にしますよ」
俺はそう言いながら、グレンの髪へ髪飾りをつける。
「これはお前にとって大事な物なんじゃ……?」
グレンは驚きの声を上げる。
「はい。だから一番大事な人に身につけてもらいたいと思って。俺が持っていても何の役にも立ちませんからね」
俺がそう言うと、グレンは顔を引き締める。
「ありがたくいただく。そして、大事にすると誓おう」
そんなやり取りをする俺たちを見たアレスが、深く頭を下げる。
「君のお母様のことは本当にすまない。レナの修行のつもりでグレン君に挑ませたのだが、まさか無抵抗の人間を真っ先に殺すとは思わず、助けに入るタイミングを見損なってしまった。許してくれとは言わない。だが、償いとして君達二人の身分の保証は、私が責任を持って行わせていただく」
アレスに対して、何も思うところがないというわけではない。
子供がやったことに対して、保護者の責任もゼロではないからだ。
だが、仕方がない部分もあるというのは分かる。
ただ、殺害者本人は別だ。
俺はレナを睨みつける。
レナは俺から逃げるように視線を逸らした。
そんなレナを見たアレスが項垂れる。
「レナにはよく言って聞かせる。そして、しっかり謝罪させる。今、無理やり謝らせることはできる。だが、心のこもっていない謝罪など意味がないし、君に対して失礼だと思う。親の責任としてレナには必ず理解させるから、少しだけ時間をくれないか?」
俺は奴隷の俺に真摯に頭を下げるアレスに免じて、レナを責めるのはやめた。
レナを許したわけではない。
今すぐにでも殺してやりたい。
ただ、人間誰しも失敗はある。
アレスの誠意に免じて、今殺すのだけは、一旦やめることにした。
今後の対応はレナの改心状況次第だ。
アレスの懇願に黙って頷く。
「ありがとう」
礼を言うアレスに軽く会釈をしてから、グレンの方を向く。
「グレン様は何も持っていくものはありませんか?」
グレンは少しだけ考えた後、自分の胸の辺りを見る。
母さんを食べて更に成長したことで、服がピチピチになっていた。
……特に胸の辺りが。
ーーシュッーー
そんな俺の耳元を、風の槍が通り過ぎる。
「今、いやらしい目で見てただろ?」
俺は慌てて首と手を横に振る。
「フンッ。特に物は必要ないが、どこかのエロガキがいやらしい目で見てくるから、服だけ着替えてくる」
グレンはそう言うと、別の部屋に着替えに行く。
そんなグレンを見送ると、ダインが俺に話しかけてくる。
「それにしてもエディ殿」
「はい」
「エディ殿の父君は、高名な魔導師か何かですかな?」
俺は首を傾げる。
元の体の持ち主の記憶を辿るが、父親の記憶はない。
記憶に残る母さんから聞いた話では、俺の父親は、小さな商家を潰した三代目で、借金の形に俺ごと母さんを売ったどうしようもない奴みたいだ。
「いえ。魔導師どころか、魔法を使えたと言う記憶もありません」
ダインは考え込む。
「初めて魔力を使ったとのことだから、修行の成果ではない。そして遺伝でもなさそうだ。それにも関わらず、魔族並の魔力を有している、か……」
俺はダインに質問する。
「俺の魔力って多いんですか?」
ダインは頷く。
「ああ。アレス様にはまだ及ばないが、総量だけなら私より多いかもしれない。血筋に恵まれていたわけではないとは言え、物心ついた頃から五十年、毎日精神修行をしてきた私よりね」
俺は考える。
この世界に俺を無理矢理連れて来た、あの女神の格好をした悪魔のような女性の言葉を思い出す。
確か、元の世界の地位や能力がこの世界でも反映されると言っていた。
地位に関しては、元の世界での貧しい母子家庭が、社会の底辺の奴隷になった。
低いものがさらに助長された形だ。
それなら、能力も助長されているのだろうか?
身体能力に関しては、間違いなく高くなっているのが分かる。
元の世界では、無駄に体を鍛えていたことで、体力テストはいつも学年一位だった。
それが助長されているのだろうか?
暴力に対する耐性もそうだ。
いじめによって鍛えられた、肉体的、精神的暴力耐性が助長されているのかもしれない。
初めの頃は、元の体の持ち主がかなり鍛えていたのかと思ったが、そんな記憶は残っていないので、俺が異世界に来た効果だと思った方が違和感がなさそうだ。
だが、魔力はどうだ?
元の世界にいた時には、当然魔力が使えた記憶などない。
もしかしたら使えなかっただけで、実はあったのかもしれないが、もはや確かめようがない。
「ちなみに、精神修行ってどのようなことをするんですか?」
もしかすると何かヒントがあるかもしれないと思い、俺はダインに尋ねる。
「精神にストレスを与える修行を行う。私の流派では、真冬に冷水は飛び込んだり、滝に打たれたりというのが一般的だ」
俺は寒行、滝行をイメージした。
どちらも経験はないのでテレビで見たイメージだが。
「リスクはあるが効果が大きいものとして、周囲の者が徹底的に無視したり、執拗な嫌がらせをするというものもある。修行だと分かっていても精神を病む者が多いので、ほとんど行われないが。あとは、短期的に絶大な効果をもたらすものとして、死ぬギリギリまで拷問を受けるというものもあるようだ。こちらは、本当に死んだり、生きていても狂ってしまったり、肉体に欠損が出たりという者がほとんどなので、やったことがある者に会ったことはない」
俺はピンと来た。
これだ。
元の世界でのイジメにより、もともと魔力が高くなる要素があったのが、こちらの世界の拷問で跳ね上がったのだろう。
イジメと拷問がこんなところで役に立つとは。
人生、何が幸いするか分からない。
どちらも二度とゴメンだが。
「周囲からの無視や執拗な嫌がらせを十年耐え、死ぬ寸前までの拷問を一週間程受けたことがあります」
俺の答えを聞いたアレスとダインは口を開けたまま、ぽかんとした表情をした後、笑い出した。
「なるほど。才能ではなく生きて来た環境によるものか。しかし、そんな環境で生きて来たにも関わらず、よく真っ直ぐ育ったものだ」
アレスの言葉にダインは頷く。
「はい。これなら私の修行も十分耐えられるでしょう」
ダインの言葉にアレスの目が泳ぐ。
「そ、そうだな……うん。きっと耐えられる」
何事も自信たっぷりに見えていたアレスが動揺している。
「何ならアレス様もご一緒されますか?」
ダインの申し出にアレスは即答する。
「断る!」
並の強さではないはずのアレスがこうも嫌がる修行となると、相当なものだろう。
受ける前に不安を煽るのはやめて欲しい。
そんなやりとりをしていると、グレンが着替えを終えて戻って来た。
グレンが来ているのは、どう見ても巫女服にしか見えない、白の着物に赤い袴だった。
思わぬところで出て来た日本的な物に、俺は驚いたが、アレス達は特に驚いた様子はない。
魔法の呪文が日本語だったことといい、この世界では、所々日本の言葉や文化が紛れているようだ。
今回転生させられた俺たち以外にも、もっと昔に転生させられた者でもいて、そいつが根付かせたのだろうか。
これまでは自由がなく、生きることで精一杯だったから、この世界を調べる余裕はなかったが、一度しっかり調べてみる必要があるかもしれない。
「それでは今度こそ行こうか」
俺の思考を断ち切るように、アレスが声をかける。
俺たち五人は、こうしてアレスの家へと向かうことになった。
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