第15話 魔族の奴隷⑥

 俺の前に立ったグレンは、金髪の少女を睨みつけて牽制すると、俺に向かって手を差し伸べる。


 優雅に。

 美しく。

 慈愛に満ちた仕草で。


 俺はそんなグレンの手を取って立ち上がる。


 立ち上がった俺に、美しい魔族は、微笑みかける。

 金髪の少女に向けた鬼のような視線とは対極の、優しさに満ちた笑顔だ。


 俺は何か言葉を発しようととしたが、うまく思いつかない。

 金髪の少女も、絶好のチャンスであったはずにも関わらず、手が出せないでいた。


 グレンは俺の言葉を待たずに、金髪の少女の方を向く。


「……覚悟はできてるな?」


 そう呟くと、グレンはその体に、漆黒の魔力を纏う。

 母さんを食べる前とは比べものにならない、強力で禍々しさを感じる魔力。

 味方であるはずの俺までも恐ろしさを感じる魔力。


 金髪の少女もグレンの方を向き、その光の剣に込める魔力の量を増やす。

 ……ただ、その剣先は震えていた。


「お、お前の方こそ。お前を滅した後は、お前の大事なペットも殺すわ」

 

 グレンはフッと笑う。


「覚悟はお前の父親に狙われた時からできている。まあ、お前みたいな小娘にまで遅れを取るのは想定外だったがな。ただ、今はかけらほども負ける気はしない」


 グレンの言葉に、金髪の少女は一歩後ずさる。


「そして、一つ訂正しろ」


 グレンは俺の方を向く。


「エディはペットじゃない。この世界で一人しかいない、俺の大事な配下だ」


 グレンの言葉に、俺は胸が締め付けられるのを感じる。

 グレンに名前を呼ばれたのは今が初めてだ。

 初めて名前を呼んでくれた時に、こんな嬉しい言葉を言うのは反則だ。


「奴隷契約で縛っておきながらよく言うわ。魔族の癖に人間のような台詞を語るなんて、気分が悪い。すぐに退治してあげる」


 金髪の少女は込める魔力の量を増した光の剣を構える。


「悪いが、それは無理だ。これまでは一人だったが、今の俺は一人じゃない。エディを守るためにも、俺は負けるわけにはいかない」


 グレンもその体を纏う魔力の濃度を高める。


「滅びなさい!」

「食らえ!」


 光の剣を片手に、疾風のようにかける金髪の少女。

 その少女に対し、グレンは無詠唱で風の槍を放つ。


ーーシュッーー


 音を立てて近づく風の槍を、金髪の少女は必要最小限の動きで躱す。

 完全には避けきれず、風の槍は少女の左脇腹を僅かに掠めるが、少女は気にせずグレンへ向かって駆ける。

 駆けながら跳躍し、右手で剣を横へ振りかぶると、横薙ぎにグレンを薙ごうとした。

 少女は、多少の怪我は気にせず短期決戦に持ち込み、戦いを早急に終わらせようとしているようだ。


ーーガキンッーー


 しかし、その剣はグレンの右手に止められる。

 いや、正確には右手の前に張られた、魔力の壁にだ。


 少女の方も、防御されることは分かっていたはずだろう。

 だが、想定よりもグレンの防御は堅固だったようだ。


 剣を弾かれた少女は空中でバランスを崩す。


「しまっ……」


 体制を立て直そうとする少女にグレンは左手を向ける。


「食らえ」


 無防備になった金髪の少女の腹部に、グレンは火の玉を放つ。

 金髪の少女も左手で魔力の壁を張るが、グレンのものより見るからに薄い。

 直撃は免れたものの、衝撃を殺しきれず、後ろに吹き飛ぶ。


 素人目に見ても実力差は明らかだった。

 母さんを食べる前のグレンは、金髪の少女の方が自分より強いと言っていた。

 もしその言葉が事実だとすると、グレンに母さんを食べてもらったのは、無駄にならなかったようだ。

 今ではもはやグレンが相手を圧倒していた。


 グレンは右手を金髪の少女の方に向ける。


「終わりだ」


 グレンの右手に魔力が収束する。

 次の一撃で勝敗は決するだろう。


 同じ人間が殺されようとしているのに、俺はほとんど同情や哀れみを感じていなかった。

 悔しそうに下を向くこの少女に、情けをかけようとは思わなかった。

 問答無用で母さんを殺したこの少女が死ぬことに、毛ほども抵抗は感じていなかった。


 グレンの言葉通り、この一撃で戦いは終わる。


 そう思った時、グレンの手が止まり、その視線が俺の方に向けられた。


ーーなぜとどめを刺さないのだろう?


 その答えはすぐに分かる。


「この子供を殺されたくなかったら、大人しく降伏しなさい」


 俺のすぐ後ろから、突然初老の男の声がした。


 酷く落ち着いた、聞きなれない声に驚いた俺は、そのまま後ろを振り返ろうとして、振り返れないことに気づく。


 ……俺の首元には刀が突きつけられていたからだ。


 男の気配は全く感じなかった。

 いつからいたのか分からない。

 存在に気づいたのは、この男が口を開いてからだ。


 この男が何者なのかは分からない。

 だが、これだけ張り詰めた空気の中、最大限の緊張感を保っているグレンと俺に気付かれずに、俺の背後につく人間が、只者であるわけがない。


 俺のこめかみを、冷や汗が流れる。


「降伏するわけないだろ。そいつは緊急用の食料に過ぎない。そもそも人間の奴隷のために犠牲になる、馬鹿な魔族はいない」


 グレンは平然を装って、そう返す。


「虚勢をはるなら相手を選びなさい。なぜかは分からないが、君がこの子供に思い入れを持っているのは分かっている」


 初老の男が俺の首筋の刀を動かすと、グレンはピクリと反応した。

 思わず釣られてしまったグレンは、苦い顔をする。


「人質を取るような真似をしてすまない。私も可愛い娘を失うわけにはいかないのでね」


 今度はまた、別の声が聞こえてくる。


 声の持ち主は、金髪の少女が壊した壁のところからこちらへ歩いてきた。


 百八十は超えている長身に、サラサラの金髪と透き通るような青い瞳。

 整った顔立ちに、服の上からでもよく鍛えられていることが分かる、引き締まった体。

 何よりその身の奥から滲み出ている王者の風格。


「そこの魔族の女性はご存知だとは思うが、私は王国十二貴族の一人、アレスという者だ。できれば降伏してくれるとありがたい。降伏するなら、奴隷の子供の身の安全は保証しよう」


 俺はアレスと名乗る男を睨む。


「降伏した場合、グレン様の処遇はどうなる?」


 アレスは俺を見る。


「王国の法に従って対処することになる」


「その法っていうのは、人間を食べる魔族の命を保証してくれるのか?」


 俺の質問にアレスは黙る。

 間違いなくグレンは処刑されるということだろう。


「グレン様。俺のことは気にせず逃げてください」


 グレンは首を横に振る。


「その男達二人の強さは別格だ。一対一で、俺が万全の状態だったとしても敵わない。逃げたところでどうせすぐに捕まる。それならここで降伏し、お前だけでも生きてくれた方がいい」


 俺は首を横に振る。


「母さんが殺された今、俺がこの世界で生きる理由は貴女だけです。貴女が死ぬなら、俺も死にます。貴女がいない世界で生きる意味などない」


 一瞬だけミホのことが頭をよぎるが、一度見捨てることを決めた女性をいつまでも思うのは失礼だ。

 そうなると、今の俺にとってはグレンが全てだ。


 グレンと俺は見つめ合う。

 言葉通り、グレンと一緒なら、このまま死ぬのも悪くない。

 だが、最後の足掻きだけはしておきたい。


 初老の男の注意が一瞬だけ、グレンの方に注がれる。

 初老の男からすると、警戒すべきは魔族であるグレンの方で、ただの人間の奴隷に過ぎない俺など、取るに足らない存在なのだろう。


 俺はその隙を見逃さず、右手に自分の全魔力を集中させ、首元へ突きつけられた刀の腹を、手刀で斬ってみる。


 男本人を狙わなかったのは、いくら隙が見えたとはいえ、自分の身が狙われれば防がれるかもしれないと思ったからだ。

 元の世界では、達人は殺気を感じると言うから、こちらの世界でもそれは同じだろうと思い、そのような対応をした。


 魔力による武器化には程遠いだろう完成度。

 ただ、岩を砕ける力なら、刀も折れておかしくない。


 刀の弱点である腹の部分を、正確に狙う。


ーーパキンッーー


 俺の目論見は成功し、男の隙をかいくぐり、刀を折ることに成功した。


「なっ……」


 根元から折られた刀を見た初老の男が、驚きの声を上げる。

 俺はそのまま足に魔力を移し、グレンの横まで一足飛びで跳ぶ。

 そして俺はグレンの横に並んだ。


「グレン様。死ぬ時は一緒です。戦って死にましょう」


 俺の言葉を聞いたグレンは笑う。


「魔力の使い方を覚えたばかりの素人がよく言うな」


 グレンは言葉とは裏腹に、嬉しそうにそう言いながら、全身に黒い魔力を纏う。

 俺もグレンに倣い、全身に黒い魔力を纏った。


 恐らく俺たちは、今日ここで死ぬ。

 それでも俺は、後悔はない。

 一人ではなく、信頼できるパートナーと、全力を尽くした結果なのだから。


「……待て」


 そんな俺たちを見た初老の男が、声を発する。

 その場にいる全員が初老の男の方に目を向ける。


「今、魔力の使い方を覚えたばかりだと言ったな?」


 俺は頷く。

 手の内をバラしてもいいものか一瞬だけ悩んだが、正直に言った方が油断してくれるかもしれないと思い、俺は事実を話す。


「グレン様に、魔力の回路を開いてもらったばかりで、魔力を戦いに使うのは、今回が生まれて初めてだ」


 初老の男が、その細い目を大きく見開く。


 そして、少しだけ考えるそぶりを見せた後、アレスの方を向く。


「アレス様。この者、私に預からせて頂けませんか?」



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