第14話 魔族の奴隷⑤

ーードッゴーンーー


 爆音とともに、家の扉が弾け飛ぶ。


 扉の向こう側。


 そこに立っていたのは、俺と同い年くらいの、金髪の美しい少女だった。


 なんでこんな子供が?


 俺がそう思うより早く、その少女の姿を見た瞬間、グレンが母さんに向かって叫ぶ。


「お前は逃げろ!」


 グレンの焦りように、尋常ではない事態が起こったことを、俺は察する。


 グレンの言葉に反応し、母さんの額の奴隷紋が光る。

 奴隷契約に従い、母さんは慌ててその場を立ち去ろうとした。

 だが……


 そんな母さんを見て、少女が吐き捨てるように言う。


「魔族の奴隷か。人間なのに気持ち悪い。逃がすわけないでしょ」


 少女は右手を前に出し、呪文のようなものを、なぜか日本語で唱える。

 なぜ日本語なのか疑問を感じたが、そんな疑問は一瞬で吹き飛んだ。


「風よ。悪しきを貫く槍となれ。『風槍(ふうそう)』」


 すると、少女の周りの空気が、渦巻くように少女の右手に収束する。

 そして、魔力を伴って渦巻く風の槍は、少女の手から放たれた。


 ……母さんに向かって。


「待っ……」


 風の槍は、手を伸ばして止めようとするグレンの前をすり抜け、母さんの背中から、心臓を突き刺さす。


ーーブシュッーー


 渦巻く槍は、血しぶきを撒き散らしながら、母さんの体を通り抜けていった。


 一瞬の出来事に、俺は反応することすらできなかった。


 胸に穴を開けた母さんは倒れざま、こちらに視線を向ける。


「エディ……」


 小さいながらも、確かな声で俺を呼んだ。






 ……そしてそれが母さんの最後の言葉だった。


 スローモーションの映像でも見るかのように、母さんはゆっくりと倒れていく。


ーーバタッーー


 母さんは、音を立てて地面に倒れた。


 一瞬何が起きたか分からず、俺の思考は停止する。

 だが、血だまりの中に倒れる母さんを見て、次の瞬間、脳が何が起きたかを認識する。


 何よりも大事だった元の世界の母さんを諦め、初めて恋心のようなものを抱いた女の子を諦め、自分の全てを注ぐと決めた存在。


 大好きで大好きで堪らない、俺にとって何よりも大事な存在。


 脳裏に蘇る、幸せな思い出。

 借り物ではあるが、大事な思い出。


 思い出も、想いも、全てが今、すり抜けようとしている。


 ……突然現れた、正体も分からぬ少女のせいで。


「お前ぇぇぇ!!!」


 気付くと俺は、風の槍を放った少女に、怒りのまま飛びかかろうとしていた。

 そんな俺を、いつの間にか隣に来ていたグレンが押さえる。


 俺はグレンを睨みつける。


「邪魔するな! 離せ!」


 明らかに礼を失した俺の言葉に、グレンは悲しそうな目を見せる。


「……気持ちが分かるとは言わない。だが、まずは側に行ってやれ」


 グレンはそう言って床に倒れる母さんの方を向く。


 俺は血の池の中に倒れる母さんを見て、少しだけ冷静さを取り戻す。


 俺はバカだ。

 大事なものの優先順位も分からないバカだ。


「……グレン様、すみません」


「気にするな」


 俺は軽く微笑みかけるグレンに頭を下げ、母さんのもとへ歩み寄る。


「今のを見て、背中を見せるとはいい度胸ね」


 金髪の少女はそう言って、俺に右手を向ける。


 だが、俺はそんな少女に一瞥だけくれて、母さんのもとへそのまま近づいていった。


 俺と金髪の少女の間には、いつのまにかグレンが立っていた。


「親子の最後の別れにも水を差すとは、貴様らの神は、自らの子らに、随分な躾をするものだな」


 グレンにそう言われた金髪の少女は、胸元のネックレスについた十字のようなものを握りしめる。


「くっ……どうせその子供も、すぐに後を追いかけることになるんだから関係ないわ」


 俺はそんな金髪の少女を無視し、倒れた母さんの横にしゃがみ込む。

 母さんは、まだ心残りがあるかのような顔で息絶えていた。

 俺は母さんの瞼に手を当て、そっと閉じる。


 今この体に入っている俺と、母さんの思い出はほとんどない。


 だが、元の体の持ち主の記憶が、この体そのものが、母さんとの別れを悲しんでいる。


 母さんはこの世界で生きる俺の、唯一の目的だった。

 母さんを幸せにすることが、たった一つの俺のやるべきことだった。

 その母さんが死んでしまった。

 生きる目的がなくなってしまった。


 俺は母さんの手を握る。

 まだ温かい手。

 グレンに連れて来られる前、二人で出かけた時の記憶が蘇る。

 数少ない、俺本人と母さんの思い出。

 その時と変わらない温かさの手はもう、俺の手を握り返すことはない。


 これからもっと、いろいろな思い出を積み重ねていくはずだったのに。

 今まで育ててもらった、恩返しをしていくはずだったのに。

 グレンと三人で、幸せな家族を作り上げていくはずだったのに。


 ……そんなごく普通の願いはもう、叶うことはない。


 放心状態の俺は、なんの行動もとることができなかった。


 そんな俺にグレンが背中を向けたまま話しかける。


「俺が時間を稼ぐ。お前は母親の体を持って逃げていいぞ」


 俺は母さんから目を離し、そんなグレンを見る。


「何を言って……」


「こいつは俺を狙っている十二貴族の娘だ。その十二貴族やその部下達に鍛えられたこいつは、正直今の状態の俺より強いだろう。今の精神状態のお前は戦力として考えられない。それなら逃げてもらった方が邪魔にならない」


 俺はグレンに食ってかかる。


「それじゃあ、グレン様がやられてしまうじゃないですか!」


「勝負に絶対はない。俺が勝つ可能性もある。それに……」


 グレンは相変わらず背中を見せたままだが、笑っているのが分かった。


「俺が死んだ方が、お前は奴隷から解放されていいじゃないか」


 俺は目を閉じた母さんの顔を見た後、グレンを見る。


 俺の生きる目的は、確かに母さんだけだった。

 俺自身がそう決めた。

 一度諦めたにも関わらず、今更元の世界の母さんやミホのことが大事だと言う権利は、俺にはない。


 だか、本当に今の俺にとって大事な人はもういないのか?

 俺にはまだ、大切な人がいるのではないか?


 俺は立ち上がり、グレンの前に出る。


「何だ?」


 グレンが怪訝そうに俺に聞く。


「グレン様は、人間を食べると力が増すんですよね? それなら……」


 俺はグレンの目を真っ直ぐ見る。


「母さんを食べてください」


 グレンは目を見開き、俺を見る。


「な、何を馬鹿なことを。お前にとって母親は何より大事だったんだろ?」


 俺は頷く。


「何より大事でした。でも、母さんが死んだ今、俺にとって何より大事なのはグレン様、貴女です」


「……えっ?」


 グレンがたじろぐ。


「俺が時間を稼ぎます。ただ、長くは稼げないと思いますので、急いでお願いします」


 グレンは何かを言いかけて、やめる。

 俺の気持ちは伝わったようだ。


「……死ぬなよ」


 俺は無言のまま、少しだけ微笑んで頷く。

 そして、いつの間にか流れていた、頬を伝う涙を拭う。


 母親を魔族に食べさせるなんて、親不孝もいいところだ。

 俺は人間として、どこか狂ってしまっているのかもしれない。


 母さんとこの体の持ち主には、あの世で土下座して謝ろう。


 俺は後ろから聞こえる咀嚼音を背中に、金髪の少女の方を向く。


「俺が相手だ」


 金髪の少女は俺を睨む。


「あなた、契約の魔法で縛られているか、もしくはそこの魔族が怖くて味方してるだけなんでしょう? 母親の体を食べさせるなんて、そうでもなければ正気の人間ができるわけないわ。私が助けてあげるからすぐにそこを退きなさい」


 俺は微動だにせず答える。


「グレン様に味方するのは俺の意思だ」


 金髪の少女はため息をつく。


「せっかく子供だから助けてあげようと思ったのに。よりにもよって魔族に味方するなんて……やっぱり育ちが悪い奴隷は頭が悪いのね」


 少女は腰の剣を抜く。

 少女の体に、そして手に持つ宝飾で彩られた美しい細剣に、魔力が満ちていくのを感じる。


「一瞬で終わらせてあげる」


 相手は幼少から英才教育を受けたと思われるサラブレッド。

 こちらは、魔力の使い方を覚えたばかりの駄馬。


 魔法の脅威は先ほど目の当たりにしたばかり。

 命懸けの戦闘なんてもちろん初めてだ。

 足の震えを堪えるだけで精一杯というのが状況。


 普通に戦って勝てるわけがない。


 それでも俺は戦う。

 今度こそ大事な人を守ってみせる。


 俺は自分の中にある魔力炉をイメージし、そこにある魔力を全開で放出することにした。


 トータルで勝つのは無理でも、一気に魔力を放出することで、短期間ならこちらが上回れるかもしれない。

 もちろんこちらに合わせて、相手も魔力の放出量を上げるかもしれないが、そうなればこちらの思う壺だ。

 余計な魔力を使わせることで、俺の後に控える、グレンの戦いが少しでも有利になるかもしれない。


 俺は体にある全魔力を絞り出す。


 すると、案の定、俺の魔力を見た金髪少女は、やや大袈裟に狼狽え、後ずさりする。


「な、何、その魔力量は?」


 長くは続かないかもしれないが、俺の全開は、相手をたじろがせるくらいの魔力量はあるようだ。

 瞬間的とはいえ、その量はグレンが流してくれた量より多いようで、俺の体を巡る魔力の通り道が、その幅を広げようとしているのが、若干の痛みにより分かる。


 修行もしていない俺が、全開の魔力をそう長い時間維持できるとは思わない。


 俺は、短期決戦で挑もうと、金髪の少女に向かって飛びかかろうとした。


「く、来るな!」


 金髪の少女は俺に向かって右手を伸ばす。


「か、風よ! 悪しきを貫く槍となれ! 『風槍』」


 先ほど母さんを貫いたものより、明らかに多くの魔力を込められた風の槍が俺を襲う。

 槍は、魔力を練りこまれた空気が渦となって作られているようだった。


 回避は間に合わなそうだ。


 俺は、右手を風の槍に向かって差し出す。

 

 風の槍が魔力の渦なら、逆の回転を加えれば、威力は減る、もしくはうまくすれば消える……はずだ。


 訓練もなしに上手くできるかは分からなかったが、俺は逆回転を意識して、右手から魔力を放出してみた。

 放出のやり方は教わっていなかったから心配だったが、幸い、イメージ通りに魔力が出て行ってくれていた。

 放出された黒色の魔力が、渦となって風の槍にぶつかる。


ーーブワッーー


 ぶつかった瞬間、風の槍はあたりに風を撒き散らすと、霧散して消えた。


「なっ!」


 金髪の少女は驚愕の表情を見せる。


「ば、馬鹿な。魔力による魔法の相殺など……」


 金髪の少女は俺のことなどいないかのように、狼狽える。


「魔力量に相当な差がなければ、ただの純粋な魔力で魔法の相殺などできないはず。私は、この国で一番血筋に恵まれ、誰よりも厳しい訓練を行ってきたわ。同年代で私より魔力量が多い人間などいない。まさか魔族が人間に化けてるの?」


 金髪の少女は独り言のように言う。

 だが、すぐに立ち直ったようで、鋭い視線を俺に向ける。


「それならそれで戦いようはある」


 金髪の少女はそう言うと、手に持った細剣に魔力を込め出した。

 さらなる魔力を込められた細剣は光輝き出す。


「剣よ。その身に光を宿し、闇を切り裂く灯火となれ。『烈光剣』」


 光輝く剣を見た俺は、一目見てその存在の脅威を感じる。

 あれと素手で戦うのはまずい。


 俺にできることは体に魔力を込めることと、さっきぶっつけ本番で覚えたばかりの、魔力の放出のみだ。


 戦うには、手持ちの武器が無さすぎる。


「滅ぶがいい」


 金髪の少女は、当然こちらの事情など御構い無しに、袈裟懸けに斬りかかって来る。


 魔力を体に纏った少女の動きは、普通の人間の動きを超越した速さだった。


 だが、魔力を身に纏っているのはこちらも同じ。

 初太刀はなんとか身をよじって躱す。


ーーブォンーー


 目の前を通り過ぎた光の剣は、そのまま斬り返されて、再び俺を襲う。

 二太刀目も、後ろに大きく跳躍することでなんとか躱すが、背中は壁にぶち当たっていた。


 そんな俺を見逃すはずもなく、金髪の少女は三メートルほどの距離を一歩で跳躍して詰めると、横薙ぎに俺の首を切ろうとする。


ーーシュッ、スパッーー


 その攻撃は紙一重で躱したが、後ろにあった壁が、豆腐のように切り裂かれる。


 しゃがみ込む俺に対し、金髪の少女は光の剣を上段に構える。


「滅びなさい」


ーー避けられない


 そう思った瞬間、金髪の少女はなぜか後ろへ跳んだ。


 その目の前を、横から放たれた風の槍が通り過ぎる。


ーーシュッーー


 音を立てて通り過ぎた風の槍は、壁を貫いて外へと消えていった。


「よく耐えた」


 風の槍を放った本人は、口の血をぬぐいながら、俺に手を差し伸べる。


 少女から女性と言って差し支えない姿になった、漆黒の服を身に纏う魔族は、俺の頭を撫でる。


「あとは任せろ」



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