第12話 魔族の奴隷③

 深夜までみっちり女性の扱い方について母さんから学んだ翌日、俺はグレンから、戦闘について教わることになった。


 昨日グレンに平手打ちされたせいで、首は鞭打ち状態になっている。

 この世界に来る前の体だったら、間違いなくこの程度では済まない。

 下手したら死んでいてもおかしくない。


 加減ができない馬鹿力相手の戦闘訓練ということで、俺は若干の不安を覚える。


「お前、何か失礼なことを考えているだろ」


 グレンは俺を睨む。

 ガサツそうに見えて、勘が鋭い。

 迂闊なことを考えるのはなるべく控えよう。


「め、滅相もございません」


 慌てて首を横に振る俺のことを怪訝そうな目で見るグレン。


「まあいい。敵はいつ攻めて来るか分からない。お前には早急に戦力になってもらわなければならない」


 話題がそれたことにホッとしつつ、俺は頷く。


「はい。死ぬ気で頑張ります」


 俺の返事に、グレンも満足そうに頷く。


「お前に腕力があるのはよく分かった。だが、それだけでは化け物じみた十二貴族やその部下達とは戦えない。そこで重要になるのが魔力だ」


 魔力という響きに、俺は年甲斐もなくワクワクする。


 元の世界では、勉強と家事とバイトと体を鍛えることで、ほとんど自由な時間はなかったが、それでも空き時間を見つけてテレビを見たり、本を読んだりすることはあった。

 もし使えるのだったら魔法を使ってみたいと思ったことがあるのは、少年なら普通のことだろう。


「魔力の使い道は大きく二つ。魔力を体や武器・防具に流し、強化する方法と、魔法を使う方法だ。魔法については最初の師が肝心だし、時間もかかるんだが、あいにく俺は教えるのには向いていないし、時間もない。まずは魔力による強化について集中して習得してもらう」


 俺は頷く。

 魔法を使いたい願望はあったが、それは今回生き延びてからだ。


「魔力は生き物なら誰にでもある。だが、その量はピンキリだ。魔力の量には先天的な要素ももちろんあるが、辛い精神修行を乗り越えることで、その量が格段に増す。お前は精神修行は受けていないだろうから、先天的なものだけに頼ることなる。それでも、人間離れした腕力を持つお前なら、多少の魔力を流すだけでも、かなりの戦力になるだろう」


 グレンは真面目な顔で俺を見る。


「俺を狙っている相手は、十二貴族でも最も強く、人間としては最強ではないかと言われている。恐らく、万全な状態の俺でも勝てない。さすがにこんな田舎までそいつ本人が来るとは思えないが、その部下もかなりの精鋭が揃っている。昨日も言ったが、正直、俺一人だと殺されるのは時間の問題だった」


 グレンは俺の手を取る。


「昨日まで食べようとしていて、都合がいいのは分かっている。だが、お前という希望が見えたら、俺ももっと生きたくなった。かなり厳しい訓練になるが、付き合ってくれ」


 俺は頷く。

 十二貴族とかいう奴が悪い奴じゃなければ、裏切ってグレンを差し出すという手もある。

 母さんを守るということだけを最優先に考えるなら、捨てることのできない選択肢だ。


 だが、俺はもはや、そんなことができなくなる程には、グレンという魔族に親近感を持ち始めていた。

 母さんと同じくらいとまではいかないが、グレンにも死んでほしくないと思っている。

 害意のない他人と接することに慣れていないだけかもしれないが、それでも俺は、今の気持ちを裏切れない。


 ただ、そうなると一点だけ釈然としないことがある。


「グレン様。訓練に入る前に、一つだけお聞きしてもいいですか?」


 グレンは頷く。


「ああ。懸念は潰して置いてくれた方が、こちらとしても都合がいい」


 どこまでも潔いグレンに対し、俺は恐る恐る口を開く。


「馬車で二人の子供を殺した時のグレン様と、今のグレン様。どちらが本当のグレン様ですか?」


 踏み込んだ質問をしている自覚はある。

 グレンの気分を害する可能性もある。

 だが、この点がはっきりしないと、俺はグレンの為に命は賭けられない。


 少し間を置いてグレンは答える。


「どちらも俺だ。馬車の時には、お前達を生かしておくつもりはなかった。お前の母親に絆されて、つい希望を持たせるようなことを言ってしまったからな。あそこで甘さを見せると、お前達の生きたいという願望が強くなる。生き残れるのではないかという希望が強くなる。……そうすると、死ぬ時の絶望が大きくなる」


 グレンは真摯な目で答える。


「殺してしまうのが仕方ないことなら、せめて絶望は小さくしてやりたかった」


 ああ。

 こいつはなんて優しい奴なんだろう。

 でも、優しいだけでは残酷な世界は生きていけない。

 こいつはきっと、一人では生きていけない。

 それなら俺がついてやらなければならない。


「ありがとうございます。これで懸念は無くなりました」


「それならよかった」


 グレンは笑顔を見せる。

 恐ろしい人外の者とは思えない爽やかな笑顔。

 その笑顔に悪意は感じられない。


「ご指導、よろしくお願いします」


 俺は生まれて初めて、心の底から気持ちを込めて、他人に礼をした。





 グレンの訓練は厳しかった。


 まず最初の関門である、魔力を流す感覚を身につけること。

 これが想像を絶する辛さだった。


 グレンによると、普通は時間をかけて、魔力を使える協力者が徐々に体に魔力を流し、魔力が体に流れる感覚をゆっくりと身につけた後、少しずつ負荷を上げていくとのことだった。

 そうして体の中にある魔力の循環路を開く。

 循環路の広さが一気に放出できる魔力量を決める。

 どれだけ魔力を持っていても、循環路が小さければ一気に大量の魔力は流せない。


 ただ、一度魔力の巡回路が開けば、あとはその循環路に自分の魔力を流すだけだ。

 体の中には見えない臓器である魔力炉が存在し、そこから供給するイメージらしい。

 循環路さえ開いていれば、イメージするだけで魔力を流せるとのことだ。

 ただ、魔力炉については、誰もその姿を見たことがないことから、異次元から魔力が供給されているという説が有力なようである、ということまで教わった。


 俺たちには時間がないので、徐々に循環路を開く工程を飛ばし、一気に全開まで循環路を開くことにした。


「それでは俺が魔力を流す。人間で、しかも精神修行も受けていない奴が、俺より大きな魔力を持っていることはないだろうから、俺の魔力を流せば、全開まで魔力を使えるようになるだろう」


 グレンはそう言って俺の手を握る。

 グレンの手を触れるは何回目だろうか。

 柔らかくて優しい手だ。


「お前、また変なことを考えているだろ?」


 グレンは少し顔を赤らめながら俺を睨む。


「い、いいえ。なぜ他の人達は最初から一気に循環路を開かないのかな、と考えておりました」


 俺は、誤魔化すために必死に言い繕う。

 それを聞いたグレンはニヤッと笑った。


「一気に循環路を開くのは、死んだ方がマシだと思えるような、想像を絶する痛みを感じるらしいからだ」


「えっ?」


 ちょっと待って、という時間もなくグレンの手に力がこもる。


 次の瞬間、グレンの手から何かが俺の体の中に流れ込んでくるのを感じ……俺は絶叫した。


「ぐ、ぐわぁー!!」


 血管の中を嵐の後の川の濁流が流れるような痛み。

 身体中の神経が引きちぎられるような痛み。

 腕が、足が、身体中が弾け飛ぶような痛み。


 先日の拷問が子供の遊びに思えるような痛みが俺を襲う。


「がぁぁぁー!!」


 あまりの痛みに、叫び続けずにはいられない。


 まだ終わらないのか?

 時間としてはわずかしか経っていないにも関わらず、俺にとっては永遠にも感じる時間が過ぎていく。


 そんな痛みが十分程続いたところで、グレンが手を離す。


 俺は、痛みから解放された瞬間、地面に倒れ込んだ。

 立っていることすらできない。


「よく耐えたな。七割方の人間は、痛みに耐えきれず、発狂したり、ショック死したりするらしいぞ」


 事前に言えよ! というツッコミの言葉も出ない程、俺は疲弊していた。


 そんな俺に対し、なぜかグレンが俺の頭をよいしょと持ち上げ、なぜか正座をした後、自分の膝の上に置いて膝枕する。


「人間はこれをされると、回復するんだろ?」


 どこで得た知識だよ! という言葉も出てこない。


 ただ、癒されているのは間違いなかった。

 しばらくすると、言葉が話せるくらいには回復した。


「……グレン様は、俺が死んでも構わないと思ったんですか?」


 七割の人間が死ぬか発狂することをされたのだ。

 そんな質問もしたくなる。


 俺の質問にグレンは笑う。


「まさか。お前が死んだら、俺も遠からず死ぬことになる」


「ではなぜ?」


 グレンはもう一度笑う。

 心の安らぐ優しい笑顔だった。


「お前なら絶対に大丈夫だと思ったからだ」


 俺は唖然とした後、思わず吹き出してしまう。


「ただの勘じゃないですか、それ」


「勘とは、これまでの経験をもとに、第六感が導き出した判断だ。俺は俺の勘を信じている。俺の勘はお前を信じるに足る奴だと判断した。だからお前のことも信じている。そんなお前が、三割もの人間がクリアできるものを乗り越えられないわけがない」


 真面目な顔でそう言われてしまうと、俺はそれ以上言い返せなくなる。

 そこまで言われたら、信頼に応える以外ないじゃないか。


「ありがとうございます。今後も、必ずその信頼に応えてみせます」


「ああ。期待している。だが……」


 グレンは俺を見下ろす。


「そういう台詞は、もっと締りのある格好で言え」


 グレンの膝の上で、俺は苦笑いしながら頭をかいた。

 確かに女性に膝枕されながら、だらしない顔をした後で言う台詞ではないだろう。


「これからは気を付けます……」


 俺はそう答えるしかなかった。


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