第11話 魔族の奴隷②
「さすがにこのままでは運びづらいから、俺が持ち運びしやすいようにしてやろう」
グレンはそう言うと、熊の首を手刀で切り落とす。
俺のウエストよりはるかに太い首が、ストンと落ちる。
どんなに鋭い刃物でも、こうも容易く落とすことはできないだろう。
恐ろしい切れ味である。
「熊は殺した後の血抜きと解体で大きく味が変わる。上手くやらないと臭みが出る」
グレンはそう言いながら、手刀で熊を解体していく。
まるで、紙でも切るかのように、筋肉の塊であるはずの熊が、スパスパと切れていく。
そんな作業を見ながら、ふと疑問に思ったことを、俺は口にする。
「グレン様は人肉以外も食べるのですか?」
グレンは頷く。
「食べる。人肉を食べなければ必要な栄養が取れずに弱体化し、いずれ死んでしまうが、一時飢えをしのぐだけなら他の生き物の肉でもいい」
グレンと共に戦うと約束してから、明らかにグレンは心を開くようになった。
何気ない質問にも、普通に答えてくれる。
何より、表情が柔らかくなった気がする。
やはり一人というのは辛かったのだろう。
ずっと一人だった俺には、その気持ちはよく分かる。
解体が終わると、グレンが頭と胴体を、俺が四肢を担いで、グレンの家へと帰る。
相当重いはずだが、それをものともしない俺のこの身体は、自分のおかげではないがかなり強い。
そんな自惚にもにも似た思いは、グレンの家に帰り着いた途端に吹き飛ぶ。
家に帰り、扉を開けると、そこには青ざめた顔の母さんがいた。
「少し目を離したすきに、もう一人の方が……」
鼻をつく鉄の匂い。
部屋を真っ赤に染める生暖かい液体。
波状に広がるその赤い模様の起点へ視線を動かす。
……そこには包丁で自ら首を刺し、変わり果てた姿となった女性の姿があった。
「クソッ。命を無駄にしやがって……」
グレンはそう言うと、熊の体をその場に置き、すぐに死んだ女性の体を食べだした。
まるで俺と母さんの目から、急いでその姿を隠すかのように。
一口一口噛みしめるように食べる姿は、馬車で二人の子供を食べた時とは異なり、背中が寂しそうに見えた。
人間が食べられる姿に慣れたわけではないが、グレンの人柄に触れてしまったせいで、嫌悪感は薄れていた。
自分でも異常だと思う。
死体に触れることすら、現代日本では普通ではない。
それどころか、人肉を口にするなんて、考えるだけでもタブーだ。
そんな行為を見て、ほとんど何も思わないなんて、俺はもう、人間としての感覚が麻痺しているのかもしれない。
「何もしなければ、少なくともあと一ヶ月は生きられたものを……」
食事を終えたグレンは、俯き加減にそう言う。
「生きたまま食べられる恐怖に耐えられなかったのでしょう。二人の子供が目の前で食べられたのは、一人の人間が心を折られるには十分な光景でしたから。奴隷契約のせいで逃げることもできず、ほぼ確実に食べられてしまうのは分かっていますし」
血の跡を掃除しながら、母さんがグレンに向かって言う。
そんな母さんを見て、グレンは怪訝そうな顔をした。
「ではなぜ、お前はそんな目をして生きている? とてももうすぐ死ぬやつの目には見えない」
母さんは微笑んで答える。
「明日の命も分からないのは、ここに来る前も同じでしたから。それに私には、息子を守るという、生きる目的もございます」
グレンの配下になったことを告げようとする俺を、グレンが手で制する。
「お前の息子を今から食べると俺が言ったら?」
グレンの人柄を知った俺でも恐ろしさを感じる鋭い目でグレンは母さんを見る。
そんなグレンに対し、母さんは微笑みを崩さずに答える。
「今すぐ私が自害します。そうすればあなたは私を食べざるを得ない。先ほどの姿を見る限り、あなたは命を無駄にする方ではなさそうだから。そうすれば、息子はさらに一ヶ月は長く生きられはずです」
グレンは真顔で母さんを見つめる。
「一ヶ月後に死ぬのが分かってて、その行為に意味があるのか? それとも、お前の息子が本当に凄いやつで、俺に認められると確信しているのか?」
母さんは笑顔で答える。
「息子は本当にいい子ですが、凄いということはないでしょう。でも、例え認められないとしても、もしかしたらその一ヶ月で、あなたが雷で打たれて死ぬかもしれないし、勇者に討伐されて死ぬかもしれません。そうしたら意味がないわけではないでしょう?」
その答えを聞いたグレンは、怒るかと思いきや、大声で笑い出す。
「ハハハッ。子供が子供なら親も親だ。本人を前にしてそれを言うか」
グレンは真顔に戻り、母さんを見る。
「お前の息子は俺の配下となった。今のままでは使い物にならないから少し鍛えるが、期待通りに育てば食事にはしない。安心するがいい」
グレンの言葉を聞いた母さんは、目を丸くして俺の方を見る。
俺は言葉に困り、苦笑いしながら頭をかく。
そんな俺を見た母さんは、心の底からの笑顔を見せる。
「それを聞いてほっとしました。一ヶ月後、安心してあなたの食事となることができます」
その言葉を聞いた俺は、母さんの助命をグレンに申し出をしようとする。
今のところ、母さんが役に立つことを証明する手段は思いつかない。
まずは情に訴えてみようと思っていた。
だが、そんな俺にグレンは笑顔を見せた後、母さんの方を向く。
「配下の親を食べられるか。尽くし方は何でもいい。優先順位も息子の次でいいから、俺のために尽くせ」
俺はグレンの横顔を見る。
慈愛さえ感じる優しい笑顔。
この世界で初めて感じる母さん以外の他人の優しさ。
相手は人間を食糧とする人外の魔族。
熊を難なく素手で倒す脅威の存在。
たった今、さっきまで一緒にいた人間を食べたばかりの恐ろしい生き物。
だから何だ?
俺みたいな底辺の人間に害意なく接してくれるなら、どんな相手でもいい。
もしこれがグレンの策謀だとしても、騙されているのだとしても、俺はグレンの力になる。
俺は自嘲する。
俺がギャルゲーのヒロインなら、ちょろいことこの上ないな。
俺は改めてグレンの横顔を見る。
もともと整った顔立ちだとは思っていた。
ただ、今は何だか愛しく見えて来る。
いや、いくら何でも男相手にそれは……
そう思ったところで、俺は違和感に気付く。
グレンが何だか成長している。
そして、何だか胸の辺りも膨らんでいる気がする。
「あ、あの、グレン様」
「何だ?」
「グレン様ってもしかして女性ですか?」
俺の問いかけにグレンの目付きが鋭くなる。
「……お前、やっぱり死ぬか?」
母さんも呆れたような目で俺を見る。
「エディ。こんなに綺麗な女性に対して、それはないでしょう」
俺は焦る。
「い、いや、男性的なお名前ですし、自分のことを俺っておっしゃってますし……」
言いながら俺はグレンの胸を見る。
「胸だってそんなに出てませんでしたし」
俺の言葉に、グレンは顔を赤らめながら両腕で胸を隠すように押さえる。
それと同時に、母さんの平手打ちが俺の後頭部をとらえる。
「痛てっ」
「痛てっ、じゃありません。あなたには後で教育してあげます。グレン様、どうか今回ばかりはご勘弁ください」
母さんは、俺の頭を無理やり下げさせる。
「ま、まあ、その程度で腹を立てるほど、俺は心が狭くはない。それに、確かにこれまでの俺は子供の姿で、女らしくはなかったかもしれないからな」
グレンは俺をチラッと見ながらそう言う。
「ありがとうございます。でも、グレン様、本当に何だか成長してませんか?」
グレンは頷く。
「二日で三人も人間を食べたからな。普段は力が維持できる最低限の食事だけにしているが、魔族は人間を食べた分だけ力が増し、一番力が発揮できる年齢まで成長する。食べなかったら縮むけどな」
俺はグレンを見る。
今までと違った目で見る。
グレンは言っていた。
強力な人間に狙われている、と。
バカじゃないのか、とも思う。
自分が生き残りたいのなら、たくさん人間を食べればいい。
わざわざ俺を鍛えなくても、俺と母さんを今すぐ食べた方が早いではないか。
それをあえて、ギリギリの量に抑えているのはグレンの優しさだろう。
甘いと言えばそれまでだ。
捕食対象に情けをかけるなんて、すぐに死ぬ奴の典型だ。
それならば、誰かが支えてやらなければならない。
元いじめられっ子の、底辺奴隷にできることなど、何もないかもしれない。
それでも俺はグレンを支えてやりたい。
ほんの少し前まで食糧だと思われていたことなど、もう忘れていた。
「グレン様。改めてあなたに、忠誠を誓わせていただきます」
俺は片膝をついてグレンにそう告げる。
心の底からの忠誠を誓う。
グレンはそれに値する奴だ。
グレンが俺の前に手を差し出す。
忠誠の口づけを、と言う意味だろう。
さすがはファンタジーな異世界だ。
俺はグレンの手を取り、その甲に口づけをする。
すると、グレンが顔を真っ赤にする。
母さんもなぜか慌てている。
「馬鹿! 手の甲へのキスは婚姻の証だ。忠誠を誓う時は主人の右手を両手で握るなんてのは常識だろ!」
あれ?
元の体の持ち主の記憶を探ると、確かにそうなっている。
こんなところで、微妙に元の世界と常識が異なるらしい。
「それでは、やり直しを……」
そう言って手を取ろうとする俺の頬を、素手で熊を倒す怪力そのままに、グレンは平手打ちした。
ーードカッーー
首がもげてしまうのでは、という凄まじい衝撃の後、俺は三回転ほど横に転げ回った。
「戦闘を学ぶ前に、お前は女心を学んでこい!」
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