第10話 魔族の奴隷①

 真紅の瞳の子供の家は、俺たちが住んでいた町から馬車で一日ほどのところにあった。


 山の麓にポツンと立つ家。

 ログハウスのようなその家は、とても人肉を貪る人外の住む家には見えない。


 馬車と御者はここでお別れだ。


 降りてくる人数が少ないことを不審に思ったのか、血だらけの車内を覗き込んでしまった御者は、全てを察して真っ青になって震えながら帰って行った。


 馬車を返した後、俺たちは真紅の瞳の子供の家へと入る。

 家の中は、ほとんど私物もなく、こざっぱりとしていた。


「ここがお前たちがしばらく住む家だ。お前たちの餌はここから一時間ほど離れた村で買える。俺の名を出せばいくらでも入手できるから安心しろ」


「貴方のお名前は?」


 俺は真紅の瞳の子供に質問する。


「グレンだ」


「ありがとうございます、グレン様」


 俺は頭を下げる。


「それで俺たちは、これから何をすれば良いのでしょうか? 食べられるまで時間がございますが……」


 グレンはめんどくさそうに答える。


「別に何でも。うるさくなければ何をしてもいい。俺も特に何かするわけではないからな。散歩をしたり魔法をぶっ放したりして時間を潰している」


「それでは、俺はグレン様のお供をしてもよろしいでしょうか?」


 こんな危険生物の側にはいたくなかったが、近づかないことには、こいつに認められるヒントも見えない。


「いいぞ。うるさかったら殺すけどな」


「ありがとうございます」


 俺は頭を下げる。


「それでは早速散策に出かける。ついて来い」


「はい」


 母さんが心配そうな顔をしていたので、俺は目で大丈夫だ、と伝えておいた。


 ふと視界に入ったもう一人の若い女性は、明らかに暗い顔をしていた。

 馬車の中で二人の子供が食べられるのを目撃してから、グレンを恐れる気持ちが増したようで、まともに目も合わせられなくなっていた。

 無理もないことではあるが、子供の俺から言えることもないので、そのまま声はかけずに、その場を後にした。


 一ヶ月から、長くて三ヶ月。

 ただ生き残るだけなら、グレンとは極力関わらないのが正しい選択だろう。

 だが、グレンに認められようと思えば、グレンのことをよく知らなければならない。


 グレンは無言で森の中を歩き始める。

 俺も黙ってグレンの後に続く。


 グレンのことはまだよく知らないが、うるさいのが嫌いなのは間違いない。

 聞きたいことはいくらでもあったが、俺は静かに歩くことを心がけた。


 しばらく歩くと、右の前方からガサガサという音が聞こえてきた。

 思わず俺は身構えるが、グレンは特に警戒もしていないようだった。


 俺たちの前に現れたのは、三メートルはありそうな巨大な熊だった。

 元の世界の日本には、こんな大きな熊はいない。

 だが、そんな熊を見ても、グレンには全く慌てるそぶりはない。


「よし。今日のお前たちの餌にしよう」


 言っているそばから唸りを上げて襲ってくる熊の前足の攻撃を、グレンは左腕で難なく止めた。


 次の瞬間、グレンは少しだけ飛び上がったかと思うと、右手を前に突き出す。


ーーブスッーー


 グレンの右手は熊の分厚い筋肉を貫き、心臓を掴み取る。

 ドクドクと脈打つ心臓を片手に、グレンは地面へと音もなく着地する。


ーーズドーンーー


 少し間を置いて熊が大音量を立てて倒れる。

 ピクピクと痙攣する熊を見て、グレンがこちらを向く。


「よしお前。こいつを運べ」


 グレンは俺に命令する。

 途方もなく大きな熊を前に、俺は立ち尽くす。

 だが、奴隷契約の魔法に縛られている俺は、命令に従わざるを得ない。

 しゃがんで熊に手をかける。


「冗談だ。無理しなくていい。人間がこいつを一人で持てるわけ……」


 俺は力の限り踏ん張り、半分ほど持ち上げたところで力つきる。

 前の持ち主が鍛えたこの体をもってしても持ち上げるのは無理なようだ。


「グレン様、持ち上げるのは無理なようです」


 グレンからの命令は解除されていたので、俺は持ち上げるのをやめる。


 だが、そんな俺をグレンは警戒の目をしながら睨みつける。


「……お前、人間か?」

 

 俺は戸惑いながらも答える。


「人間です」


 グレンは睨み続けながら言葉を続ける。


「俺が知っている人間には、そこまでの力はない。俺を殺すための刺客じゃないだろうな?」


 確かに元の世界の普通の人間には、そこまでの力はない。

 だが、ここは異世界だ。

 この世界では鍛えればこれくらいの力はあるものだと思っていた。


 俺はこの体の記憶を探るが、確かに特別体を鍛えた記憶もなければ、俺がこの体に移る前に、これだけの力を持っていたという記憶もない。


 転生によって何か変化が起きたのか?

 調べるのは後にするとして、今はグレンの疑念を払拭しなければならない。


「刺客も何も、俺はグレン様が何者なのかも知りません。三メートルの熊を素手で倒せる方だというのは、今知りましたが」


 グレンは相変わらず俺のことを睨んでいる。

 だが、疑いの目は少しだけ晴れたようだ。


「確かに刺客ではなさそうだな。刺客だったら力は隠して置いた方がいいだろうし、奴隷契約など結ばないだろうからな。俺を油断させるために、わざと裏をかいているという可能性もゼロではないが、それにしてはリスクが高すぎる」


 グレンは半分自分に言い聞かせるようにそう言った後、視線を緩めて俺を見る。


「俺は貴様ら人間から魔族と呼ばれる存在だ。貴様ら人間から目の敵にされ、命を狙われている」


 俺はグレンに疑われない範囲で、少しだけ探りを入れる。


「グレン様ほどの力があれば、人間など敵じゃないような気がしますが。グレン様でも敵わない人間がいるんですか?」


 グレンは忌々しそうに頷く。


「王国の十二貴族や、その配下。それ以外にも賢者や剣聖とか呼ばれている奴。他にも俺が知らないだけで、並の魔族を凌駕する人間はかなりの数いるはずだ。さすがに四魔貴族相手に単体で戦える人間は十二貴族の筆頭の奴くらいだが。ただ、パーティーを組んだ人間なら、四魔貴族にも匹敵する奴らは他にもいるかもしれない」


 これまで全くと言っていいほど入ってこなかったこの世界の情報が、一気に入ってきた。

 俺は今のグレンの言葉をしっかりメモリーする。


「ちなみにグレン様は魔族の中ではどれくらいの実力なんですか?」


 俺の質問を聞いたグレンは、ギロッと俺を睨む。

 調子に乗って聞きすぎたかもしれない。

 他人とのコミュニケーション経験が足りない俺は、会話で踏み込む距離感を測るのが得意ではない。


「……それを聞いてどうする?」


 俺は必死に頭を働かせる。


「グレン様は、生かしたくなる何かがあれば食べずにおいてやるとおっしゃいましたよね? 俺はまだ死にたくありません。もしグレン様に敵がいらっしゃるのであれば、俺にも戦うお手伝いをさせていただけないでしょうか?」


 グレンはかなり興味を持ったようだ。

 睨むのをやめて俺の話を聞いている。


「自分でも気づいていませんでしたが、どうやら俺には普通の人間以上の腕力があるようです。何かしらの役には立てるのではないでしょうか?」


 グレンは俺の目を見つめる。


「俺は今、人間の十二貴族の筆頭の奴に命を狙われている。そいつの領地で食事を摂ったのがバレたからだ。そいつとそいつの部下達が総力で来れば、恐らく四魔貴族ですら単体では敵わないだろう」


 グレンは絶望的な目で下を向く。


「俺の力は、そこまで強くない。一般兵相手なら遅れを取るつもりはない。相手が単独なら、条件次第では戦えるかもしれないが、総力で来られたらまず間違いなく勝てない」


 グレンは少しだけ視線を上げる。


「そいつから目をつけられた時に、俺は魔族の仲間にも見捨てられた。今の俺は味方がいない。ただ、死を待つだけの存在だ。そんな俺と共に戦ってくれるというのか?」


 どうせこのままでは、グレンの餌になるだけだ。

 逃げ出してその十二貴族とかいう奴のところに逃げ込もうにも、奴隷契約があるから無理だ。

 一ヶ月の間に、その十二貴族が来るのを待つというのも手だが、グレンが一ヶ月待つ保証はない。

 どこかで怒らせてしまうかもしれないし、気まぐれを起こすかもしれない。


 もはや世界を救うことなどどうでもいい。

 悪魔に魂を売ってでも、俺は母さんを守るために動く。


 人間から見たら、人間を食事にするグレンの方が間違いなく悪だ。

 そして、それを手助けする俺も悪ということになるだろう。


 当面の危機を凌ぐためだけの、場当たり的な間違った選択かもしれない。

 それでも俺は目的ために選択をする。


「俺をあなたの配下にしてください。共に戦いましょう。お互いが生き残るために」


 俺は右手を差し出す。

 グレンは少しだけ考えた後、口を開く。


「……ああ。よろしく頼む。もっとも、役に立たないと思ったら食事にするけどな」


「それで結構です」


 グレンも右手を差し出し、俺の手を握る。


 俺は、グレンの弱みに付け込んだ。

 グレンもそれが分かっているだろう。


 だが、同時に俺が裏切らないことも知っている。

 奴隷契約があるからだ。


 グレンはグレンで、俺を簡単に見捨てたりはしないだろう。

 猫の手でも借りたいほど、追い込まれた状況だろうからだ。


 歪んだ信頼関係。


 それでも構わない。

 どうせ誰かからの本当の信頼など、今まで受けたことはないのだから。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る