第9話 ???の奴隷

 馬車の中は無言だった。


 奴隷と主人。

 餌と捕食者。


 どちらにしてもまともな関係ではない。


 車輪の回る音と、たまに弾かれる石の音だけが聞こえてくる。

 息の詰まるような沈黙。

 そんな沈黙だけが車内を支配する。


 俺は車内を見渡す。


 眠そうにあくびを繰り返す真紅の瞳の子供。

 青ざめた表情で、全てを諦めたような空気を滲み出させる若い女性と子供二人。

 真剣に何かを考えている母さん。


 この場は沈黙を維持するべきだと判断した俺は、車内の様子を伺いながら、口を閉ざす。

 聞きたいことは山ほどあるが、今はその時じゃない。


 そんな状況の中、母さんが口を開く。


「質問してもよろしいですか?」


 母さんの突然の発言に、俺は心臓が止まりそうになった。


 真紅の瞳の子供が、気分を害したらどうするのか。

 何が引き金になるのか分からないのに。


 内心慌てる俺をよそに、真紅の瞳の子供は特に気にする様子はなさそうだった。

 むしろ退屈しのぎができるとでも言わんばかりに目を開いた真紅の瞳の子供は、母さんへ視線を向ける。


「いいぞ」


 ごく普通に、真紅の瞳の子供は答える。

 そんな真紅の瞳の子供に対し、母さんは遠慮なく質問する。


「私達は全員、貴方に食べられるのですか?」


 母さんのあまりにもストレートな質問に、真紅の瞳の子供は一瞬驚いた後、笑みを浮かべる。

 その笑みは子供とは思えないほど妖艶で美しく、そして恐ろしかった。


「そうだ。俺は人間を食わなければ生きていけないからな。一ヶ月に一匹は食わなければ生きていけない」


 その返事を聞いた母さんは、何かを決意したように、真っ直ぐに真紅の瞳の子供を見据える。


「息子を見逃していただくわけにはいかないでしょうか?」


 俺は思わず母さんの方を向く。


「私のことはすぐに食べていただいても構いません。でも、息子だけはできることなら救ってあげたいのです。親の私が不甲斐ないばかりに奴隷となり、たったの十二歳で死んでしまうなんて可哀想すぎて……」


 真紅の瞳の子供は、表情を変えずに母さんを見て、そして即答する。

 慈悲の気持ちなど一切感じさせず、即答する。


「それは無理だな。お前たちの置かれた状況など、いちいち考慮していては、俺は飯にありつけない。まあ、俺がお前たちを生かしたくなるような特別な何かを持っていれば別だが」


 その言葉を聞いた母さんは、落ち込むことなく目を輝かせ、前のめりになる。


「それなら少しだけお時間をください。その間に息子のことを見極めていただき、見込みがあるようなら生かしてあげてください。一ヶ月に一人ということであれば、私を最初に食べていただければ、少なくとも一ヶ月はこの子を見定めていただく時間があると思いますので」


 そんなふざけたことを言う母さんを、俺は慌てて止める。


「何言ってるんだ、母さん。それなら俺が先に死ぬ。母さんこそ見定めてもらってくれ」


 そんなやりとりを見た真紅の瞳の子供は、めんどくさそうな顔をする。


「見るだけでいいなら、二人とも見てやるよ。本当に生かすかどうかの条件は厳しくするから、恐らく難しいとは思うが。足手纏いはいらないからな。まあ、最初に食べるやつは決めてあるから、お前達二人には、最低一ヶ月は時間がある。何かあるならその間に見せてみろ」


 真紅の瞳の子供の言葉に、一緒に馬車に乗っている若い女性が取り乱す。


「さ、最初って私じゃないですよね?」


 真紅の瞳の子供はニヤッと笑う。


「浅ましいな、貴様は。だが、貴様でもない」


 若い女性はホッと胸をなでおろす。


 そんな若い女性を蔑むように見たあと、真紅の瞳の子供は、残りの二人の子供の方を向く。

 その視線を向けられただけで、二人の子供の動きが止まる。


「俺はうるさいのが嫌いでね。泣き叫ぶガキにはさっさと消えてもらいたい」


 真紅の瞳の子供の言葉に、二人の子供は震えだす。


「そう言えば二ヶ月も飯を食ってないから、腹が減ってきたな……食事にするか」


 真紅の瞳の男はそう言うなり、二人の子供の方へ手を伸ばす。


 二人の子供は泣き叫ぶ。

 ……涙と鼻水を垂れ流し、失禁までしているようだ。

 車内へ匂いが立ち込めてくる。


「い、嫌だ、まだ死にたくない!」


 男の子の言葉に、真紅の瞳の子供は返す。


「それは残念だ。恨むなら、自分達が助かるためにお前らを差し出した町の奴らと、こんな状況でも助けてくれないお前らの神を恨め」


 女の子は男の子の方を指差しながら、叫ぶ。


「さっき一ヶ月に一人でいいって! この子を食べれば私はまだ食べなくてもいいじゃないですか!」


 真紅の瞳の子供は、めんどくさそうに頭をかく。


「二ヶ月食べていないとも言っただろ。その分の補充も必要なんだ」


 真紅の瞳の子供は、そう言いながら、二人に向かって伸ばしかけた手を止める。


「そう言えばわざわざ俺が動かなくても、命令できるんだったな」


 真紅の瞳の子供はニヤッと笑う。


「二人とも逃げるのをやめて、こちらへ来い」


 その言葉を聞いた二人の子供は、急に動きを止め、真紅の瞳の子供の前で静かに立つ。

 顔を大きく歪め、大粒の涙と鼻水を流しながら。


 揺れる車内で直立不動になる二人の子供。

 それを眺める真紅の瞳の子供。


 その様子を見ながら何もできない、俺と母さんと若い女性。

 二人の子供は可哀想ではある。

 だが、ここで声を上げ、自らが食べられたいという人間はここにはいなかった。


 俺には守らなければならない人がいる。

 その人を守るため、見ず知らずの人間のために命を捨てるつもりはなかった。

 人間として許されないだろうとは思いながらも、こればかりは俺の中で譲るわけにはいかなかった。


 そんな俺たちをあざ笑うかのように、二人の子供へ命令する真紅の瞳の子供。

 

「服を脱げ」


 真紅の瞳の子供に言われるがままに、二人の子供は服を脱ぐ。

 相変わらず涙と鼻水は垂らしながら、体は従順に従う。

 本人の意思を裏切りながら。


「ハハハ。こいつは便利だ」


 真紅の瞳の子供は、まず男の子の方の頭を掴み、首筋に牙を当てる。


「いただきます」


ーーグチャグチャーー


 血を撒き散らしながら、生きたまま肉を食べる。

 馬車の室内にも、俺たちにも、血飛沫が降りかかる。


ーーバリバリーー


 骨まで余さず食べる。


 ほんの少し前まで人間だったそれは、ただの血飛沫と染みになった。


 男の子の生きていた痕跡といえば、俺の頬に未だ残っている、真っ赤な血の生暖かさくらいだろか。



 男の子の方を食べ終わると、今度は女の子の方へ手を伸ばす。

 女の子は恐怖のあまり、失神したようだ。

 なんの反応も起こさない。

 だが、彼女にとっては、その方が良かったかもしれない。

 痛みも恐怖も感じることなく死ねるのだから。


ーーグチャグチャーー


 男の子の時と同じように首からムシャぶりつく。


 肉も。


 皮も。


 内臓も。


 耳も。


 鼻も。


 目も。


 全てを余すことなく口にする。


ーーバリバリーー


 頭蓋も。


 肋も。


 尾骨も。


 橈骨も。


 脛骨も。


 大腿骨も。


 全ての骨を噛み潰す。






 ……そして二人の子供は、血の跡だけ残して、影も形もなくなった。


 血だらけの馬車の室内で、真紅の瞳の子供は、口に付いた血を拭う。


「久々の食事は美味いな。やはり人間は若い奴に限る」


 真紅の瞳の子供は、母さんと、もう一人の若い女の方を見る。


「お前たちも十分若いから安心していいぞ。ただ、さっきはああ言ったが、助かろうという期待は持つな。お前達が俺の目に叶うとは思えない」


 目の前で惨劇を見せられた母さんともう一人の若い女は、真紅の瞳の子供の話を聞いているのかいないのか、ただひたすら、馬車の窓から嘔吐していた。


 二人の反応は無理もない。

 俺だって先日の拷問で感覚が麻痺していなければ、二人と同じ状態になっていただろう。


 人間が生きたまま食べられるという衝撃の映像を目の当たりにして、まともでいられる方が異常だ。


 つい先ほどまですぐ隣にいた人間が、同じく、すぐ隣にいた子供に食べられるという衝撃。

 精神を破壊されてもおかしくない出来事である。


 俺は真紅の瞳の子供をじっと見た。


 自分と同じくらいの体積の子供を、骨すら残さず二人も食べたにも関わらず、真紅の瞳の子供は外見的に何の変化もない。

 多少の腹の膨らみすらない。


 間違いなく、元の世界の科学の外側にいる存在だろう。

 軍や自警団も難なく全滅させたらしいことから、戦闘能力もそれなりにあるはずだ。

 その上、最悪なことに奴隷契約の魔法のせいで、俺たちは、そんな存在の命令に、絶対服従しなければならない。


 もし何かの気まぐれで、この子供が「餌になれ」と命令すれば、俺たちは無条件で、自ら食べられに行く以外の選択肢はない。


 俺は奴隷契約の解除条件も知らない。

 逃げることも反抗することも不可能だろう。


 そうすると、先ほど母さんが引き出してくれた条件の通り、この子供に認められるような何かを示さなければならない。


 俺は血まみれの車内の中、血しぶきを浴びて真っ赤になった母さんを見ながら改めて誓う。


 限りなく不可能に近い挑戦だとしても。

 それでも俺は誓う。


 無慈悲な神ではなく、自分自身に誓う。


 何としてでも母さんだけは助けてみせる。


 ……たとえこの命に代えても。

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