第4話 商人の奴隷③

 食事が終わった俺と母さんは、食器を片付けると、それぞれの職場へ向かった。


 奴隷の仕事は過酷なものが多い。

 そして、奴隷には人権がない。


 主人に使い捨てにされたり、暴力を受けたりで、命を失う者も多い。

 命まで失わずとも、一生残る傷を負ったり、四肢を失ったりする者はザラだ。

 奴隷期間中の死は自己責任。

 そもそも奴隷になるのが悪い、というのが理屈だ。


 その点、俺たちの主人であるアマンダは、奴隷を使い捨てにしたり、意味のない暴力を振るったりはしない。


 優しいからそうしているわけではない。

 せっかく買った奴隷が死ぬと、損だからだ。


 損得勘定ができる商人へ自分達を売った母さんの選択は、正しかったと言える。

 しっかりと計算できる商人は、奴隷の扱いを経済的な損得で考えてくれるからだ。


 金に不自由していない貴族であれば、奴隷を消耗品としか見ておらず、雑に扱う。

 貴族に買われたせいで、無残に死んでいった奴隷達を、この体の持ち主が記憶していた。


 高く買ってくれるが扱いが酷いのが貴族。

 金に目がくらまず、比較的奴隷への扱いがまともな商人へ身売りした母さん。

 きっと俺をできるだけ酷い目に合わせたくないという母さんの配慮だろう。


 俺の決断は、間違いなく、そんな母さんの気持ちを裏切るものになる。

 それでも俺は無理をせざるを得ない。

 こちらの世界の母さんと、元の世界の母親と、ミホのため。


 さっさと奴隷を抜け出し、こちらの世界の母さんへ恩返しする。

 そしてミホを探し出し、ミホの安全を確保する。

 その上で元の世界へ帰る方法を見つけ出し、元の世界の母親を幸せにする。


 そのどれもが容易いことではない。

 だが、やるしかない。

 それが俺の存在価値であり、生きる意味だ。


 そのためにもまずは、アマンダから斡旋されるであろう仕事を無事こなし、さっさと奴隷を抜け出すことだ。


 俺の今日の仕事は荷運びだった。

 元の世界の日本だったら、絶対に十二歳の子供がやる仕事ではない。


 現場監督に命じられるまま、荷を運ぶ。

 渡されたのは、米一俵分ほどはありそうな大きな袋。

 一俵の重さが大体六十キロほどだから、今の俺の体重よりはるかに重い荷物を渡されたことになる。


 よく見ると現場監督はニヤニヤと笑みを浮かべていた。

 明らかに持つことのできない荷物を押し付けて、失敗するところを見て笑おうとでもいうのだろうか。


 どこの世界でも嫌がらせというのは、似たようなものらしい。

 だが、幸い俺は、この手の嫌がらせには慣れている。

 多少バカにされることなど、なんとも思わない。


 失敗して笑われるのも、失敗を理由に暴力を振るわれるのも、両方覚悟して、俺は荷物を持った。


「……えっ?」


 だが、その覚悟は無駄に終わった。

 その荷物を難なく持てたのだ。

 この体の元の持ち主は相当力を持っていたらしい。


 呆けたように俺を見る現場監督を尻目に、俺は黙々と仕事をこなした。


 季節は夏だったので、日差しは辛かったが、作業自体は楽だった。

 元の体の持ち主には感謝だ。


 他の作業者達の様子を見ると相当疲弊している。

 普通の作業者にとっては、かなりの重労働だったようだ。

 確かに、炎天下の中、六十キロの荷物を延々と運ぶなんて作業、苦行以外のなにものでもない。


「おい、お前ズルしてただろ?」


 突然、一人の労働者が俺にそう言ってきた。


「ズルも何も、与えられた荷物を運ぶしかないので、俺には何もやりようはないんですが」


 突然の言いがかりに、俺はつい反論してしまう。


「うるせえ! 奴隷の癖に口をきくな! お前みたいな小さいガキが、俺たち大人でも苦労するこの荷物を、簡単に運べるわけがねえ!」


 屈強な労働者であるその男は、大声で叫ぶと俺を殴りつけた。


「おいおい。奴隷のガキなんか殴ってどうするんだよ。コイツの主人に文句つけられるぞ」


 別の労働者が、俺を殴った労働者を止めようとする。


「コイツがズルしたのが悪い。それに、次の日も働ける程度に痛めつける分には、コイツの主人も何も言わないだろ。お前も溜まってるなら、コイツで発散すればどうだ?」


「それもそうだな」


 止めようとしていた労働者も一緒になり、俺は大人二人から一方的に殴られた。

 殴られるという直接的な暴力には、それ程慣れていないが、理不尽には慣れている。

 俺は殴られるがままに殴られ続けた。


 この体の持ち主は力があるだけではなく、暴力耐性も高いようで、かなり殴られたにも関わらず、そこまで大きなダメージは受けていない。


 直接的でわかりやすい分、この労働者達のイジメは、そこまで辛くなかった。

 元の世界でのイジメの方が陰湿で凄惨だった。

 肉体的苦痛より精神的な苦痛の方が辛い。


 この体に暴力耐性があるからこそ言えることかもしれないが。


 労働者二人が殴り疲れてきたところで、俺への攻撃は止んだ。


「これに懲りたら、もうズルはしないことだな」


 地面にうつ伏せで倒れる俺にそう告げると、労働者の男二人はその場を離れた。

 俺は大きなダメージを受けたふりをして、何も返事をしなかったが、そんな俺の安否を確かめることもなく、二人は去っていった。


 二人が完全に立ち去ったのを確認して、俺は立ち上がる。


 真面目に働けば働いたで、他の労働者から疎まれるし、手を抜けば抜いたで、恐らく現場監督から仕置を受けるのだろう。

 一日でも早く奴隷期間を終えたい俺には、手を抜くという選択肢はないが。


 今日程度の暴力なら耐えれないこともない。

 ただ、往々にして、イジメというのはどんどんエスカレートしていくものだ。

 今日大丈夫だったからといって、必ずしも今後も大丈夫という保証はない。

 だが、この体の記憶によると、仕事場は都度都度変わるようだから、いつも同じメンバーと顔を合わせるわけではなく、それなら大丈夫だろうとも思う。

 経験上、状況を楽観視していると、想定以上に辛い仕打ちを受けた際に対処できないから、常に最悪の想定をしておくに越したことはないが。




 仕事を終えて家に戻ろうとすると、見知らぬ男が俺を待っていた。

 荷運びの男たちとは異なり、小綺麗な格好をした男だ。

 クールなビジネスマンといった雰囲気を醸し出している。


「アマンダ様がお呼びだ」


 どうやらご主人様のお呼び出しらしい。

 お願いしてから一日も経たずに仕事を見つけてくれるとは、俺のご主人様は相当仕事が早いようだ。


「すぐに伺います」


 男はボロボロになった俺の全身をチラッとだけ見たが、特に何も触れず、無言で頷く。

 俺はその男に連れられて、アマンダの家へ向かった。




「ご主人様、本日はどのようなご用件でしょうか?」


 頭を下げて挨拶をした後、俺はアマンダの目を見る。

 特になんの感慨も示さない目をしたアマンダは、表情を変えずに答える。


「用件も何も、お前の仕事のこと以外、ありはしないだろ?」


 俺は再度頭を下げる。

 今度は形式だけの挨拶ではなく、お礼のつもりで下げた。


「早速ありがとうございます。どのようなお仕事でしょか?」


 アマンダは微笑む。

 笑顔という、通常ならポジティブな印象を受けるはずのその表情に、心臓を鷲掴みにされたような嫌な感じを受ける。


「仕事内容は私も知らない。ただ、ある男に、一週間泊りがけでお前を預ける。その期間、お前はその男の奴隷ということになり、お前の所有権はその男に移る。何をさせるかはその男次第だ」


「報酬はどうなっていますか?」


「お前の家の借金返済一年分だ。おいしい仕事だろ?」


 俺はアマンダの目を覗き込む。

 嘘を言っている目ではない。

 だが、俺のためを思って言っているかといえば、そうではないだろう。


 アマンダの提示した話は、俺からすると願ったり叶ったりの条件だ。


 だが、美味しい話には間違いなく裏がある。

 仕事内容が分からないというのが特に怪しい。


 では断るか?


 答えはノーだ。

 相手の手札がババだと分かっていても、引かざるを得ない時がある。

 それが今だ。


「もちろんお受けします」


 俺の返事を聞いたアマンダが満面の笑みを浮かべる。

 その笑みは悪魔の笑みにしか見えない。


「そう言ってくれると思った。それでは早速明日から仕事場に向かってくれ。依頼主の家の場所等は帰りに門番から聞くように」


 アマンダの言葉に俺は頷く。


「かしこまりました」


 頭を下げて辞去しようとする俺をアマンダは呼び止める。


「ああ、そうそう。多分大丈夫だと思うが、万が一ということもある。母親に伝えたいことがあるなら、仕事に向かう前に話しておいた方がいいかもしれないぞ」


 白々しいことを言うアマンダに対し、心の中で舌打ちしつつ、俺は再度頭を下げる。


「ご助言ありがたくお受けいたします」


 門番に依頼主の家の場所を聞いた後、俺は家に帰る。




 家では先に仕事が終わった母さんが待っていた。


「お帰りなさい。いつも無理させちゃってごめんね……今日はいつもより遅かったけど大丈夫?」


 心配そうな顔をする母さんに、俺はできる限りの笑顔を返す。


「大丈夫。むしろ今日はいつもより楽だったくらいだよ」


 嘘は言っていない。

 労働者二人に殴られたのは仕事の後だ。

 荷運びの仕事そのものは、この体の筋力のおかげでかなり楽に感じた。


「それより母さん。明日から俺、一週間泊りがけの仕事になった。大した仕事じゃないみたいだけど、しばらく家に帰れないから」


 母さんは再び心配そうな顔になる。


「泊りがけなんて心配だわ……ご主人様にはお叱りを受けるかもしれないけど、母さんからお断りしようか?」


 母さんの申し出に、俺はもちろん首を横に振る。


「大丈夫だって。アマンダ様だって俺みたいな子供に無茶な仕事は与えないから」


 俺の言葉に母さんは納得がいかないようだ。

 納得いかないのは当然だろう。

 話している本人である俺が、全く信用していないのだから。


「もし無理だと感じたら、途中で戻ってきてもいいからね」


「分かった」


 途中で戻って来るつもりは更々なかったが、俺は笑顔で返事する。


 アマンダからのアドバイスは無視し、母さんへはそれ以上何も伝えなかった。

 変に伝えて、余計な心配はかけたくなかったからだ。





 ……この時まだ俺は、この世界の奴隷を舐めていた。

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