第5話 商人の奴隷④

 アマンダに紹介されて訪れた家は、とてつもなく立派な屋敷だった。


 美しく煌びやかな建物もさることながら、庭も広大で、手入れも行き届いている。

 芝は青々とし、色鮮やかな花も咲き誇り、噴水から出る水は光り輝いている。


 アマンダの屋敷もすごいと思ったが、この屋敷は、その比ではなかった。

 屋敷というより、城と言った方がいいかもしれない。


 そんな屋敷の門の脇には、無表情で屈強そうな二人の門番が、鎧を身に纏って立っていた。

 門番もアマンダの屋敷の門番より強そうだった。

 俺はその門番の一人に挨拶する。


「アマンダ様の紹介で参った者ですが」


 挨拶した後、懐からアマンダの紹介状を出し、門番へ渡す。

 紹介状を確認した後、門番は、俺の姿を上から下まで品定めするように見た。

 その後、すぐに簡単なボディチェックを行い、再度俺の顔をじっと見る。

 特に隠し事などないが、自分の体の倍はありそうな大きさの屈強な男から凝視されるというのは、あまり気持ちのいいことではない。


 それにアマンダの屋敷では、いきなり門番から蹴り飛ばされた。

 今回も同じようなことがないとは言い切れない。

 俺は相手には分からないよう、念のために身構える。


「……中へ」


 門番はそれだけ言うと、俺は屋敷の中へ案内された。

 何かしら暴力を受けるかもしれないというのは、余計な心配だったようだ。

 商人と貴族では、門番のしつけのレベルも違うのだろうか。


 重そうな門を門番が二人掛かりで開き、広大な庭を進んで、屋敷の中に入る。


 屋敷は外観だけでなく、中の装飾も眼を見張るものがあった。


 屋敷の中には、一際目を引くものとして、ドラゴンと思しき生物の頭や、普通の虎の五倍はありそうな虎の毛皮が飾られていた。

 これらを見ると、改めて自分が異世界に来たことを実感する。

 これまでのところ、異世界らしいものは奴隷契約の魔法くらいしか体感していなかったから尚更だ。

 つい子供のように、キョロキョロと周りを見てしまう。

 今の姿はまさしく子供なのだから、不審に思われてはいないようだ。


 俺を陥れた女神の格好をした女の話では、この世界には魔族や魔物がいるとのことだった。

 部屋に飾られているドラゴンや巨大な虎が、恐らく魔物なのだろう。

 せっかく異世界に来たのだから、魔物というのも見て見てみたいと思ったが、それにはまず、自由を得ることが先決だ。

 そのためにも今回の仕事はしくじれない。

 俺は、改めて気を引き締める。


 俺が通されたのは、応接間だった。

 応接間などというものは、元の世界でもドラマでしか見たことなかったが、その部屋は、ドラマで見たことのあるどの応接間より立派な部屋だった。

 絵画も置物も、ソファも絨毯もシャンデリアも、俺みたいな素人が見ても、明らかに超高級品だということが分かった。


「緊張しなくてもいい」


 そう俺に声をかけてくれたのは、部屋で待っていたらしい、紳士然とした初老の男性だった。

 この男がこの家の主人で、今回の件の依頼主だろう。

 短い白髪にスラッとした長身が、スマートさを感じさせる。

 どことなくだが、気品のようなものも感じた。


「はい、ありがとうございます」


 俺はそう答えて頭を下げる。

 依頼主の初老の男性はにこやかに俺を見ていた。


「あなたが私に仕事を依頼された方ですか?」


 俺の問いに、初老の男は頷く。


「そうだよ」


「いきなりで恐縮ですが、今回私は、どのような仕事をすればいいんですか?」


 早速俺が質問すると、依頼人の男が口元に浮かべていた笑みが、少しだけ下卑たものになったように見えた。

 だが、瞬きをしてもう一度見ると、元の紳士的な笑みに戻っている。

 俺の目の錯覚だろうか。


「なに、簡単なことさ。私の趣味の相手になって欲しいだけだ」


「趣味……ですか?」


 俺が質問すると、依頼人の男が頷く。


「そうだ。まあ、その話は後でするとして、まずは食事でもどうかな? たまたまいい素材が手に入ってね」


 男がそう言った後、俺の返事を待たずに、依頼主の男は部屋を移動し始める。

 そのまま部屋に残るわけにもいかず、俺も白髪の男の後に付いて部屋を移動する。


 案内された食事の間もまた広大で、何十人もの人が座れそうな細長い机が、部屋の真ん中に横たわっていた。

 真っ白なテーブルクロスは汚れどころか、皺一つない。


 俺はその一席に案内され、椅子に腰掛ける。

 腰掛けるとすぐに、屋敷の使用人と思しきメイドが、食事を運んで来た。

 目の前に現れたのは、元の世界でも見たことのないような豪勢な料理だった。


 今出されたものは、前菜に過ぎないのだろうが、彩も香りも素晴らしかった。

 とてもではないが、奴隷の俺に出すようなものには思えない。


「こんな豪華なもの……」


 俺がそう言いかけると、依頼人の男は優しく微笑む。


「幸いなことに金には困っていなくてね。一週間も一緒に過ごす趣味のパートナーには、最高のもてなしをしたいんだよ。遠慮なく食べてくれ」


 金に困っていないのは、屋敷の様子から見ても明らかだった。


 だが、初対面で、しかも奴隷の俺なんかにこんなに良くしてくれるのは、本当に金が余っているからなのだろうか?


 もちろん手放しには信用できない。

 だが、この流れで食事を口にしないというのは間違いなくまずい。

 奴隷の俺が依頼主の行為を断るなんて、おそらくこの世界では殺されても文句が言えないことだろう。


 俺は考える。


 怪しいのは間違いない。

 だが、仮に何かしらの企みだとしても、食事に毒を盛られているようなリスクは低いだろう。

 もしそうだとしたら余りにも意味がないからだ。


 この男ほど金を持っているのなら、俺を殺す手段などいくらでもある。

 わざわざ家に呼ばなくてもいい。

 奴隷として借りている今の状態で俺を殺してしまえば、アマンダに違約金を支払うことになる。

 殺すならこのような方法をとる必要がない。

 もっと楽で効率的な方法があるはずだ。


 さっきこの依頼主は趣味のパートナーにしたいと言っていたが、毒殺が趣味ということも可能性がないわけではない。

 だが、一週間は一緒に過ごすという言葉を信じるなら、遅効性の毒にしても、死ぬまでに一週間かかるというのは、時間がかかりすぎだ。


 そういった様々な方向からの思考の結果、これを食べたからといって死ぬ可能性は低いと判断した。


ーー大丈夫だ


 俺はそう自分に言い聞かせながら、食事を口にした。


 味に異常は感じない。

 それどころか、これまで食べたどの食事より美味しい。


「美味しいです」


 俺は素直に感想を述べる。


「それは良かった。それにしても君は奴隷にも関わらず、ナイフとフォークの使い方がまともだね」


 俺は依頼人の男の言葉に戸惑う。

 確かに普通の奴隷はテーブルマナーなんて無縁だろう。


 俺も元の世界でそんなにフォークとナイフを使う機会が多かったわけではないが、学校の家庭科の授業でも教わるし、母親に、たまには贅沢でファミレスにも連れて行ってもらっていた。

 厳密なルールはともかく、最低限のテーブルマナーくらいは知っている。

 この異世界でもそのまま通用するのかは分からないが、道具が同じである以上、マナーも似たようなものだろう。


 俺は依頼人の男に回答すべく、自分がテーブルマナーを知っているもっともらしい理由を探そうと頭を巡らせる。

 だが、なかなかいいアイディアが浮かばない。


 それどころか脳が全く働かなくなって来た。


 これは……


 頭が結論を導き出す前に、俺の意識は閉ざされた。

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