第13話 宿題の行方


「……王子、今日はもう帰りましょう」


 アビはそっと王子の肩に手を置き、そして出口へと導いた。


「失礼した。ではまた出直そう」


 そうして出て行く二人をルクドゥは俯いたまま黙って見送った。王子はアビに背中を押され、とぼとぼと歩くだけ。村を出て宿舎までの長い長い道のりをただ黙って歩く二人。その足もとから月明かりの影が長く伸びていた。


 村を出てしばらく歩くとクロミアが立っていた。それに気付いた王子は慌てて服の袖で涙を拭く。


「腹ごなしのお散歩にしてはちょっと遠出しすぎのようですな」


 王子は答えずにとぼとぼと宰相の横を通り過ぎる。クロミアはアビをちらりと見た。アビもじろりとクロミアを睨んだ。余計なことは聞くな、とその目が言っている。


「どうしたんですか王子。かけっこはもうおしまいですか」


 口の端を上げてクロミアが王子の背中に言葉をかけても王子は振り返らなかった。


「……うん、おしまい」


 そうぽそりとつぶやいて王子は力なく歩いて行ってしまった。思わずアビとクロミアは顔を見合わせた後、互いにぷいと顔を背けた。



 宿営地に戻った3人はお茶を飲みながらテーブルを挟み、話し合いと言う名の説教が始まった。


「水場を作らせた件は聞きました。国境の外というのは如何かとは思いますが、ただの水場でもありますし。何より今の王子にはその命令を出す権限があるのですから私は何も申し上げません。……しかしキルティンの村に勝手に交渉に行かれたのは賢い選択とは思えませんな」


 冷ややかに、しかし強い口調でクロミアは言い放った。


「ふん。はかりごとを潰されたからと言って負け惜しみかヴァンス。こちらは既に次回の目通りの約束も取り付けてきた。交渉くらい貴様なしでも十分だ」


 クロミアの目がきらりと光り片眉が上がる。


「ほう、意外だな。で、次はいつ会うと? 条件は何を提示したのかな」


 アビは一瞬言葉につまる。


「そ、それは……。よくわからんが……カトゥムが星を3回廻ってどうのと言っていた。恐らく3日後のことだろう」


 クロミアはそれを聞いてくすりと笑う。


「ああ、成程。了解した」


 そして王子に向かって真顔で告げた。


「王子。残念ながらこの課題は取り止めです。一度国に帰って議会を開きましょう」

「どういう事だヴァンス! 貴様この期に及んでまだ王子の宿題を邪魔立てするつもりか!」


 驚きと怒りで真っ赤になったアビが大鎌をつかんで立ち上がり、大声で叫ぶ。


「落ち着けルーン将軍。キルティンは我々との交渉を拒否したのだ」


 クロミアの穏やかな声。アビは驚いてクロミアを睨みつけた。


「いい加減な事を言うな!」

「嘘ではない。おそらく族長はこう言ったのだろう? 『カトゥムが3度星を廻って楽園に辿りついた時に会おう』と。それは彼らの言葉で来世を意味する。つまり現世で我々と交渉する余地はないという断固とした意思を表すものだ」


 王子とアビは顔を見合わせた。


「た、確かにそう言った。しかし……」

「これからの事は国に帰って考えればいいでしょう。王子もあまりお気になさらぬよう」


 アビは思わず王子の肩を抱きしめる。王子は何も言わずに顔を伏せたまま微動だにしない。


「朝一番に国へ戻る手配をしておきます。今日はもうお休みください」


 クロミアはそう言って何事もなかったかのような淡々とした様子で部屋を後にした。



 深夜になっても王子はなかなか寝付けなかった。夜も明けようという頃にふらりと部屋から屋外へ出た。国境の塀にもたれて丸い月を眺めるが、月は青々と冷たく王子を照らすだけ。


 王子は思わず溜め息をついた。王子は王国を出てからこれまでの事を色々と思い出していた。たくさん、たくさん走って、とっても頑張ったつもりだったが、結局族長は王子を認めてはくれなかった。キルティンの人たちを助けることはできなかったのだ。


「あなたがたは大地に線を引く民。大地の神を卑しめる者たちだ」


 族長の言葉がはっきりとよみがえってくる。


「キルティン族はこの西域では中立地区にしか入ってはいけないのです」


 兵士が言った言葉も同時に思い出され、王子ははっと息を飲んだ。


「キルティンの人達の旅を国境で邪魔しているのは僕達なんだ……」


 王子は今ようやく気が付いた。遠い昔からこの土地を行き来していたキルティン族から旅の自由を奪ったのは、王子たち西域八ヶ国の国境なのだ。そして王子がお願いした「協定」とは、キルティンに国境を守る手伝いをしてもらうという事。


「そんなこと、お願いするほうが間違ってるよ」


 王子は何も考えずにいた自分がとても恥ずかしくなり、髪をぐしゃぐしゃと掻き毟った。


「そんなお願いをしなきゃ王様になれないくらいだったら……」


 そうつぶやいて、途中で言葉を切る。


 王子として生まれ、将来は王になるものと自然に思い込んでいた。難しい事は分からない。しかし幼い頃から聞かされていた過去の国境を巡る戦争の悲劇。自分が王になるなら市民が犠牲になるような戦争が起こらない、そんな国にしたいとずっと思っていた。


 その夢を叶えるためにキルティン族との協定はとても有効だろう。しかしそれは国境紛争に彼等を巻き込む事になるのだ。こうして考えは堂々巡りするばかり。水場の提案を断られたのも、交渉の条件と取られたからなのかもしれない。

 王子は俯くと、座り込んで膝を抱えてしまった。

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