第7話 伝言ゲーム
王子は真っ暗な砂漠をどんどんどんどん駆けていた。月と、星の明かりだけを頼りにどこまでもまっすぐ走る。例の水場を過ぎた時、王子の胸がぎゅっと締め付けられた。けれど王子は止まらずに走り続けた。遠くにテントの集まった村が見えたころ、空はほんのりと明るくなっていた。村の入り口には高い見張り台があり、若い男が座っている姿が見える。
「あのっ、僕トゥーティリアといいます。ルクドゥにお話があってきました」
王子は息を切らしながらその男に話しかけた。
「ルクドゥ様はお前のような余所者にはお会いしない」
見張りの男は座ったままそう答え、こちらを見向きもしなかった。王子は戸惑い、恐る恐る再び声をかけた。
「あの、僕、大事なお話があって来たんです」
「ならばお前がルクドゥ様の知り合いだという証を見せるのだ
王子はますます困惑した。もちろんそんなものは持っていない。しかし、2人の話し声を聞きつけて、奥からルクドゥが静かに姿を現した。
「おお、友よ。再びの出会いをこの朝日の神に感謝しよう」
ルクドゥは嬉しさを隠さず満面の笑みを浮かべた。王子は飛びつくように近寄り、そっとルクドゥに言った。
「あのね、あのね。ルクドゥたちが使っている水場の水は病んでいるって。僕聞いたの。すぐどこかに移動しないと大変なんだよ」
それを聞いて、ルクドゥの顔が一瞬にして曇った。そして彼の口から出たのは、信じがたい言葉だった。
「うむ。知っている」
王子は驚きに目を丸くする。
「……知っていて、使っているの? あれを飲むと病気になるんだよ。あの子達も……」
王子がおろおろしていると、ルクドゥは少し困った顔で屈み、彼に目線を合せた。
「友よ。われわれキルティンは常に旅をしている。世界の全ての神に感謝しなければならないからだ。この土地の神も同じ。ここに留まる以上、水場はあそこにしかない」
「でも、でも……」
そう言って泣きそうになった。いや、泣いていたかもしれない。病気になってまでここに留まらないといけない訳がどうしても理解出来なかったのだ。
ルクドゥは優しく笑うと王子の頭をぽんぽんと撫でた。
「友よ、おまえは優しいのだな」
「じゃあ、薬は? アトゥヤクさんの薬は世界一でしょう?」
その言葉にルクドゥは少し難しい顔をした。
「とてもよく効く薬草が、持ち去られてしまったのです」
いつの間にか後ろにはアトゥヤクも立っていた。
「こんなことは、今までなかったのですが……」
美しい薬師の横顔に陰りが差した。
「この間薬草を摘みに行きましたら、青い幌の車がこのあたりの薬草を全部刈り取って行ってしまうところでした」
「ひどいや。アトゥヤクさんの薬草を盗むなんて!」
王子は思わず大きな声を出した。アトゥヤクは優しく笑って王子の頭を撫でる。
「野の草は皆のもの。誰が摘んでも良いのです。盗んだわけではありません。仕方がないことなのです」
「でも、でも、それじゃああの子達が……」
王子はどうすればいいのか一生懸命考えを巡らせた。
「じゃあ僕、その人にお願いして、薬を分けてもらうよ」
アトゥヤクは目を見開き驚いた。
「まあ。でもきっともう無理です。随分前に旅立ってしまいましたから」
王子は彼女が指差した方をじっと見つめる。
「それは分かんないよ。まだ間に合うかもしれない!」
そう言って走り始め……すぐに立ち止まった。そしてちょっと恥ずかしそうに尋ねた。
「あ、あの、その薬草ってどんなものなの?」
「こう、まっすぐな茎の先が、ぐるぐるに巻いている草です。とても深い緑をしています」
「う、うん。ぐるぐる。ぐるぐるだねっ!」
しっかりと確認して、王子は再び勢いよく飛び出して行った。なにせ相手はずっと前に出発してしまったのだ。急がないと間に合わない。王子は脇目も振らずに全力で走り続けた。
その頃アビも王子を探して砂漠を走っていた。勢いの激しさに、大量の砂塵が舞い上がる。
それを見て隣国ラガマイア王国の国境警備兵は叫ぶ。
「中立地区南部になにやら物騒な人物発見! 武装してこちらに向かって走っています!」
ラガマイア王国は常々ヴィリアイン王国の領土を狙っており、昔から何度も争いのあった因縁のある国だ。勿論今でも緊張状態にある国の一つだ。
「あの格好は……ヴィリアインの兵士だな。何かの奇襲作戦かもしれん。本部に報告だ!」
国境警備駐屯地と、そこから連絡を受けた国境警備隊本部は一気にざわついた。それぞれの部署に状況が伝達される。
「中立地区の砂漠に武装した人物を発見!」
「わが国に向かって進んでいます!」
「巨大な鎌を振り回してこちらを威嚇しているように見えます!」
伝わっていくうちに話はどんどん大きくなる。
「中立地区にヴィリアインの軍隊が!」
「こちらに向かって軍隊が攻撃を仕掛けてくるつもりです!」
ラガマイア王国の国境警備隊は蜂の巣を突いたように騒然となった。
そんなことになっているとはつゆ知らず、クロミアはこれからどうしたものかと遺跡の前で考えていた。すると、後ろからガシャリガシャリと重々しい金属音が近付いてきた。
「いよう。宰相さんよ」
声の主は王立軍のツヴァイ将軍。ぎざぎざの歯と銀色の義手がぎらりと光る。
「近衛軍の次は王立軍の将軍のおでましか。わが国は相当平和なようだな。次の議会では軍事費を大幅に削ることにしよう」
クロミアは振り返りもせずに答えた。
「ふん、やっぱり来たのかあの女将軍め。まあいい。俺はあんたに用がある」
「こちらにはないが」
クロミアは冷たく言い放った。そんなクロミアを見てツヴァイは嬉しそうにくつくつと笑う。
「いいね。媚びないやつと有能なやつが俺は大好きだ。俺はあんたが気に入ってる。例えば……そうだな」
にやり、とツヴァイはまたぎざぎざの歯を見せた。
「俺は命をかけて国に仕えてる。命をかける価値があるからだ。陛下は素晴らしいお方だ。……そして俺はあんたも気に入ってる。陛下とあんたには仕える甲斐がある。だがあの王子はどうだ? あんたはここでやるべきことがあるんだろう? 違うか?」
「どうかな」
クロミアはさらりと流し、ツヴァイはにやにや笑っている。
「……まあいい。俺はあんたの味方だ。それだけ覚えていればいい。俺様は役に立つぜ。何せここは中立地区だ。何か痛ましい事故があってもおかしくないだろう?」
そう言って、ぴかぴかの義手をぶんぶんと振り回して見せた。義手には筒状の、ロケットのようなものまで取り付けてあった。
「確かに一理あるな。覚えておこう」
表情を変えずに冷たい目でクロミアはツヴァイを見すえた。
「とりあえず宿営地にでも控えているのが賢明だな。その格好であまり目立った行動をしてはラガマイアを刺激する」
「仰せのままに」
にやにやと笑ったままツヴァイはうやうやしく敬礼をした。ツヴァイを宿営地に行かせると、クロミアはひとり何処かへと歩き出した。
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