第6話 砂漠の水
その夜は、干し肉とパンを食べて、クロミアが用意してくれた寝袋で王子は眠った。あんなにたくさん寝たのに、お腹がいっぱいになるとすぐに眠くなってしまうものだ。まして国外の荒野を長時間歩いたり走ったりしたのだ。王子は余程疲れていたに違いない。
深い眠りに落ちたのを確認したクロミアは、王子のリュックをそっと開けた。中を漁っていると、タオルや宝剣の他に水が満たされた水筒もあった。
彼は宝剣を手に取りじっと見つめた後、水筒を取り出し静かにテントの外へと出て行く。外は真っ暗で、空にはたくさんの星が瞬いていた。
クロミアは水筒のふたを開け、ざざあーっと中に入った水を全て捨てた。水はあっという間に乾いた砂に吸い込まれていく。
「夜中の砂漠で他人の水を捨てるヤツを見かけたら、そいつは何を企んでいると思えばいいのかな」
クロミアの後ろから声が聞こえた。ゆっくりと振り向きながらクロミアは答える。
「企む、とはまた人聞きの悪いことだな。ルーン将軍」
そこには革の鎧を身に付け、自分の身長よりも大きな鎌を持ったアビが恐ろしい顔で立っていた。
「やはり思ったとおりだな。大体私は最初から反対だったのだ。王子と貴様を二人きりになど……」
アビは自分の背よりずっと長い大鎌をクロミアに向ける。暗闇の中、大鎌の刃はぎらりと鈍い光を放った。
「どうやら何か誤解があるらしいな」
クロミアは涼しい顔。
「誤解、だと?」
アビはクロミアに顔を近づけると小さな声で囁いた。
「お前はうまく隠しているつもりのようだが私は知っている。……貴様も王位継承権を得る資格がある身だとな」
それを聞いてクロミアの眉がぴくりと動いた。
「たとえそれが本当だとしても、貴公には関係のないことだ」
クロミアはアビを鋭くにらみつけた。普段余り感情を表さない彼にしては珍しい。
「関係ないだと? では今の行為をどう申し開きする気だ。王子の水を捨てて砂漠に置き去りにするつもりだったのだろう!」
アビは怒りにまかせて大声で叫ぶ。クロミアは人差し指を口の前に立てた。
「大きな声を出すな。王子が目を覚ましてしまうぞ。……大体それなら水だけ捨てずに水筒ごと持ち去るが?」
「王子に聞かれて困ることでもあるのか! ならば何故だか答えてみろ!」
アビは再び怒鳴り散らす。クロミアは、すっとアビの目の前に王子の水筒を差し出した。
「では教えよう。この水は病んでいる。貴公は王子にそんなものを飲ませたいのか」
予想外の答えに、アビはきょとんとして聞き返した。
「病んで……いるだと?」
クロミアは考え込むように手をあごに当てて目を閉じる。
「王子の足にキルティン族固有の模様の入った布が巻かれていた。どうやら私と離れている間に既に王子はキルティン族と接触したらしい。……もしやと思い調べてみたが、水筒の水は残りわずかだったはずが今は満ちている。どこかで汲まれたと考えるべきだろう」
アビは何か言いたげに口をモグモグさせていたが、黙ってクロミアの言葉を待つことにした。
「最近の調査で、キルティンの水場が汚染されていると聞いた。そのために今キルティン族の中で病が流行している、ともな」
そこまで聞いてアビはみるみる青ざめた。
「何だと?! 貴様それを知って何故悠長に構えている! 今すぐ王子を連れ帰って医師に診せねば!」
「慌てるな。少量飲んだ程度なら直接病に冒されることはない。あの水は続けて飲むと免疫機能が低下するのだ。そのため今キルティンでは風土病が流行っているという訳だ」
驚いて王子のもとへ行こうとするアビと、それを止めようとするクロミアが振り返ると、遺跡からひょっこりと顔を出している王子と目が合った。
「……どういう……こと?」
その声はひどく心配そうで、今にも泣き出しそうだ。
「水が病んでるって、本当なの? あの子達が病気だったのは、そのせいなの?」
アビは慌てて王子に駆け寄った。
「王子、王子、その足は? 大丈夫ですか? この男にやられたのですか?」
少年はふるふると頭を振る。
「あのね、アビ、僕自分で崖から落ちちゃったんだ。そしたらクロミアさんが助けてくれたの」
アビはそれを聞いてクロミアを睨めつけた。
「王子を助ける振りで油断させるつもりか。そのような手が通用するものか」
「アビ、ねえアビ。僕ね、ルクドゥやみんなにも助けてもらったの。みんなが困ってるなら、僕も助けてあげたいんだ」
王子はアビにすがって懇願を始めた。アビは困ってしまいその肩に手を置き諭す。
「王子、それは無理です。あなたは『宿題』のために来たのですから。それ以外の目的でキルティン族に関わるのは良くありません」
王子はそれを聞いてますます泣きそうな顔に。
「だから大きな声を出すなとあれほど……」
クロミアは聞き取れないほどの小さな声で呟いたが、アビの耳は地獄耳だ。アビは鬼のような顔になってクロミアに向き直った。
「うるさい!元はといえば貴様が王子から目を離すからこのようなことに……!」
アビは噛み付きそうな勢いでクロミアに食ってかかる。
「やれやれ。自分のことは棚上げでなにかというと大声を張り上げるとは実に大人気ない」
クロミアは薄笑いを浮かべてかぶりを振った。アビはますます頭に血が上って頭から湯気が出そうな勢いだ。
「よし、いい機会だ。貴様は昔から気に喰わないと思っていたんだ。今ここで成敗してくれる。いざ勝負!」
アビは大鎌をぶんぶんと振り回す。
「……待て」
クロミアは右手を差し出してアビを止めた。
「命乞いか。見苦しいぞクロミア・ヴァンス」
赤髪の鎌使いはにやりと笑みを浮かべる。
「そうではない。……王子はどこだ」
はっとしてアビが見回すと、王子の姿はどこにも見当たらなくなっていた。
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