第3話 鳥との出会い


 こうして鶴ならぬ王の一声で、元気いっぱいの王子と淡然とした宰相という妙なコンビの旅が始まった。そして出発早々に危険な中立地区で立ち往生という事態に陥ってしまったのだった。


 足に添え木と包帯で応急手当をして、二人はなんとかあの崖から北にある遺跡に辿りついた。遺跡と言っても、良く見なければそれとは分からない。風に侵食され僅かに形をとどめる石積みや倒れた柱が砂に埋もれているだけだ。


「ここなの?」


 こんな所にどうやって身を隠すというのだろう。王子は不安げにきょろきょろと見回した。


「ご安心を」


 クロミアが石積みの奥の砂をかき分けると、石の扉が現れた。どうやらこの奥、地下に身を隠す場所があるらしい。


「階段がありますのでお気を付けて」


 クロミアは壁にあった松明に火を点けながらさっさと下りていく。王子も恐る恐る後を追う。


 まだ日が高いせいか、松明の灯りが届かない所も薄明るく見える。中は思った以上に広く、ひんやりとして静かだ。


「古いね。遺跡なの?」

「古代の陵墓ですね」


 陵墓と聞いて王子はやや心細くなったが、クロミアには「ふうん」と平静を装って答えた。怖がっているとは意地でも思われたくはなかった。


「いいですか、絶対にここから動かないように。日が暮れると外は野盗や野獣がたくさん出るのです。いいですね?」


 クロミアは王子の両肩に手を当て、真剣な顔で王子にそう言い聞かせた。


「はぁい」


 王子がにこにこと答えると、お供の宰相は振り返りもせずに遺跡を後にした。



 地下の古い霊廟は、薄暗くひやりとして静かだ。王子は心細そうに時折辺りを見回してはまた膝を抱えてじっと座っていた。


(マルゥやアビはどうしてるかな……)


 普段なら今ごろは午後のお茶の時間だ。離宮の中庭で鳥の声を聞きながらお菓子を食べ、談笑している頃だ。王子はふと思い出し、リュックの中から小さな包みを取り出した。お世話係のマルゥが持たせてくれた手作りのクッキーだ。水筒の水を飲み、クッキーをかじると体の疲れはとれた気がする。しかし離宮が恋しい気持ちは更に募るばかりだった。


「アビと一緒だったら良かったのに……」


 思わず本音が口から出て、思わずきょろきょろと辺りを見渡した。勿論クロミアの姿はなく、王子はほっと胸を撫で下ろした。


 そんな時、ふいにカツンと音がした。続いて何かを引き摺るような音。

 カツン、ずるり。カツン、ずるり……。


 誰も居ないはずだった。緊張の面持ちで耳をすますと、それは霊廟の入り口の方から聞こえて来るようだ。そちらをじっと凝視していて、少年は息を飲んだ。


「ひゃっ」


 思わず小さく悲鳴をあげる。白く光る物体がふわりふわりとと宙を舞い、少年の頬を掠めたのだ。

 

 思わず亀のように首を竦め立ち上がり、そのままよろめいて尻もちをついた。痛む足をさする。しかし好奇心が恐怖と痛みに勝った。王子は謎の白い物体の後を追って行く。すると陵墓の入り口近くに、あるものを見つけた。


「鳥さん……?」


 それは中型犬程の大きさの鳥だった。先程の白い物体はこの鳥の綿毛だろう。ほぼ全身が純白のその鳥は翼と冠羽が藤色で、蒼い瞳を持つ美しい姿をしていた。しかし先ず目につくのは足の付け根に負った切り傷だ。流れる鮮血が美しい羽根を赤く汚している。王子の胸がどくんと跳ねた。


「鳥さん、怪我してるの?」


 彼が近付いても鳥は怯えるどころか、こちらへと寄って来た。王子の膝に体を擦り付け、助けを求めているようにじっと見上げた。


「今、手当てしてあげるからね」


 鳥は小さくギョギュと鳴いて目を閉じた。少年はぎこちない手つきながらも、持っていた傷薬を鳥の傷に塗り込み、自分の足の包帯をほどいて止血してあげた。武芸と一緒に応急手当の仕方もアビに教わっていたのがここで役立った。


「大丈夫、傷は深くなかったよ。ここは夜盗や野獣が沢山出るから、中にお入りよ」


 そう言って王子は自分の身の丈の半分以上ある鳥を抱え、再び遺跡の中に戻った。そうして残っていたクッキーを鳥に与え、水筒の水を分かち合った。体が冷えないようカバンから毛布を取り出し、膝に乗せた鳥ごと包まる。


「このまま一緒に助けを待とうね」


 鳥はギャギョと鳴いてじっとしている。鳥を抱いているととても温かく、鳥も王子もいつの間にか深い眠りに落ちていった。




 人の口に戸は立てられぬとはよく言ったもので、王子が行方不明という噂は意外と早く国内に広まっていった。それを聞いて怒り心頭なのはアビだ。近衛軍は国内で待機せよとの命令が下ったからだ。


「納得がいかん!」


 アビが拳を振り下ろすと、重い木製のテーブルが軋んで踊った。品の良いティーセットがガチャリと鳴る。


「だから私がお供すると言ったではないか!」

「王子なら大丈夫よ。通信機が壊れただけかもしれないでしょう?」


 地団駄踏んでいるアビの傍らで彼女をなだめているのは王子のお世話係のマルゥだ。長い黒髪と大きな黒い瞳、つややかな肌がまるで陶器の人形のように愛らしい。しかし今はその瞳も不安に揺れていた。


「だが、違うかも知れん。なにせ中立地区なのだぞ」


 唸るような声。アビが憂慮しているのは通信が途絶えた事だけではない。そもそもお供がクロミア一人という事が不安なのだ。彼は世にも聞こえた優秀な宰相。元老院など国の有力者の中にも、王子よりクロミアを次期国王にと考えている者は少なくない。そしてもしも彼自身もそれを望んでいるとしたら──?


 そう思い心配していても、親友のマルゥにはどうしてもそれを言えない訳があった。彼女の名はマルゥ・ヴァンス。クロミア・ヴァンスの妹なのだ。彼女にとってクロミアは唯一の大事な家族。ただでさえ王子と兄の身を案じている少女の身内を悪しざまに言う事などできるはずがない。募る不安を親友と分かち合えない事が一層彼女を苛立たせていた。

 アビはマルゥが淹れてくれた紅茶を一気に飲み干し、大きく息を吐いた。


「待機などしていられるか。私は行くぞ」

「でもアビ、誰かに知られたら……」


 近衛軍は基本的に国外での活動を禁止されている。そして更に今回は念を押すかのような待機命令まで出されているのだ。それを破ったなら、厳しい処分が下るのは明白だ。それでもアビはこの事態を見過ごすことはできなかった。


「私なら大丈夫だ。王子を必ず無事に連れ戻す」


 マルゥは少しだけほっとした顔をし、白いエプロンの裾をきゅっと握って頷いた。実際はアビに王子を探しに行ってほしいと思っていたのだ。大事な王子と兄に一体何が起こっているのか心配でたまらなかったのはむしろ彼女の方だろう。


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