第2話 国王の忠告
そもそもどうして王子が国境を越えて旅をしていたのか。それは数日前に遡る。
「王子、お疲れ様でした!」
王国議会会議場から出てきたのはトゥーティリア王子。金の巻き毛が陽射しを纏ってキラキラと輝いている。大きな蒼い瞳、紅色の唇は実に愛らしい。幅広のシャツとパンツに膝丈で袖のない草色の上着を被り、ふわふわの玉虫色の帯を巻いたクートと呼ばれる正装が良く似合っている。ただ、120cmという小柄な体格が13歳という実年齢よりも随分とその姿を幼く見せていた。
「アビ、迎えに来てくれたの?」
アビと呼ばれた、藍色と金の軍服姿の女性は膝をついて王子を受けとめ、ぎゅっと抱き締めた。彼女はアビ・ルーン。近衛軍の将軍であり、王子の教育係でもある。また23歳という若さで近衛軍の国内警備隊隊長を務めている。燃えるような赤く短い髪と緑の瞳が美しく、彼女の気性の強さを表していた。
「当たり前じゃありませんかあ。マルゥがケーキを焼いて待ってますから、早く離宮に帰りましょう」
アビは王子を溺愛しており、周りからは少々甘やかし過ぎだという声も多い。しかし彼女にはその自覚は全くないようだ。優しく王子の背を撫でさすりながら、待ち切れないように問いかけた。
「それで『宿題』の方はどうなりました?」
『宿題』とは正式名を『王位継承権認定基準課題』という。一般には『王子の宿題』と言われているものだ。
この国では遠い昔に悪政を敷き国政を危うくした王がおり、怒れる民や元老院により王位を剥奪された事がある。以来、王位継承権を得るには、たとえ第一王子であっても議会の承認が必要になったのだ。承認の条件とは、議会で定められた規準課題をクリアすることが条件だ。
とはいえ現代では形だけの慣例となっており、軍の訓練体験や論文提出で済まされるのが通例だ。もしも論文や筆記試験だった場合、勉強が苦手な王子には不利なのをアビは心配していた。
「あのね、僕旅に出るんだって。国から出た事ないから楽しみだなっ」
「旅? 国の外にですか!?」
得意げに頬を染める王子とは対照的にアビの顔は青ざめていった。
「うん。それでね、父さまの代わりにナントカ族の人に会ってね……」
王子の言葉を遮ってアビが悲鳴に似た声をあげる。
「ナントカ族ってまさか……!」
「えーっとね、えーと……キ、キラキラ? ……キリキリマイ?」
「は? 何ですかそれっ?」
必死で思い出そうとするが、言葉が出てこない。王子は物を覚えるのが人よりも苦手なのだ。
「キルティン、ですよ」
突如背後から割って入った声。アビは嫌という程聞き覚えがあった。抑揚の少ない金属のような声。彼女は無視して王子に話しかけようとする。しかし声は更に続く。
「ちなみに課題内容は『西域連盟中立地区での有事に於けるキルティン族との武力協定締結の代行』です」
「あ、それそれ!」
王子は背後の男を指差し、嬉しそうにぴょこんと跳ねた。アビ達の後ろにいつの間にか男が立っていた。細身で長身。議会用の正装は藤色のローブに藍色の筒状の帽子。灰色の瞳に感情は見られない。何より目を引くのは肩まで伸ばした艶やかな銀髪だ。年の頃は24、5歳のこの男の名はクロミア・ヴァンス。この国の若き有能な宰相だ。
「キルティン族はこの大陸を流浪し続ける太古からの先住民族の一つで、ここ西域地方では中立地区のほぼ全域に自治権と影響力を持ち、近代兵器を以てしても容易には対抗し得ないというその驚異的な戦闘能力故に、我がヴィリアイン王国を含む西域八ヶ国間で長年続く国境紛争の要とも言われていますが、実際のところ……」
「口を挟むな、クロミア・ヴァンス。私は今王子と話している」
何時までも続く蘊蓄を、びしりと封じるアビ。額には青筋が浮き、短く紅い髪が逆立って燃え上がっているように見える。
「私もだよ、ルーン将軍。……ああ、成る程」
目を合わせる事もなく片眉を上げる。声色に、僅かに滲む嘲笑。
「『その程度』の事、教育係の貴公が既にお教え申し上げている、という事かな?」
痛い所を突かれ、アビは全身から汗が吹き出すのを感じた。彼女はその極端な軍人気質故に常に武道優先だ。それは王子に対する教育にも言える事。王子は剣術や体力は驚く程に長けているが、勉学の方は今一つ、二つなのだ。しかし今それを認める訳にはいかない。
「と、当然だろうっ!」
赤毛の将軍の口からはなんともお粗末な嘘が飛び出しただけだった。
「そうか。それは失敬。……ではな」
クロミアは敢えて反論せずにただ鼻で笑い、すたすたと立ち去っていった。
(いけすかない! やっぱり奴はいけすかない……っ!)
アビはギリリと歯噛みした。
「アビ、大丈夫?」
無垢な蒼い瞳が見上げてくる。アビは跪きその瞳を見返して、王子をぎゅっと抱き締めた。
「大丈夫ですよ。お気遣い有難うございます。王子は本当にお優しいですね」
「そ、そんな事ないよ……」
照れて王子は赤くなる。そこへ少ししゃがれて低い、しかし良く通る声が割って入った。
「おう、ここに居たかトゥーティ」
「あ、父さま……」
「陛下!」
いつの間にか王子達の後ろに熊のように大きな人影が立っていた。トゥーティリアの父でヴィリアイン王国の国王、オクトゥビア・ヴィリアインだ。
腰まで伸びた漆黒の髪が風にさらりと舞い上がり、金の瞳が実に美しい。ただひとつ惜しい点を言えば、肝心の顔立ちがまるきり猿のようであることだろうか。
身の丈2m程。鍛え上げられた体躯を革鎧で包み、腰の両側にはそれぞれ形の違う剣と刀が提げられている。その姿はそうと言われなければ国王とは思えず、軍人か武闘家のようにしか見えない。
「陛下、護衛の近衛兵は……?」
アビは異変に気付き辺りを見渡した。常にオクトゥビア王を警護しているはずの近衛兵たちの姿が見えない。オクトゥビアの顔に渋い色が浮かんだ。
「あーアビ、ありゃあダメだな。まるで稽古になりやしねぇ」
「警護兵を稽古相手にしないでください!」
「守るっつーのに俺にさえ勝てなくてどうすんだ? 大体アレだ。あいつら、攻撃ってものを知らねえ」
「警護兵が陛下を攻撃するわけないでしょう!」
アビはがっくりと肩を落とす。こんなやり取りが今までに何度も繰り返されてきた。アビ以上に武道剣術しか頭にないこの国王は、暇さえあれば対戦相手を探して戦いを挑んでいる。彼にとっては身近にいる警備兵が絶好の対戦相手という訳なのだ。
「まあそう落ち込むな。まあいい、いざとなりゃああいつらの4人や5人俺が守ってやらあ」
この言葉にアビの目が三角になる。
「ええ、ええ、分かりました! これから近衛兵の強化訓練してきますっ!」
「おう、頼むぞ」
噛みあっているのかいないのか分からない会話を終えてアビは近衛軍の宿舎へと駆けていく。残されたのは小さい小さい王子と、とてつもなく大きい王様。王子は緊張と嬉しさがまぜこぜになったような顔で父王を見上げる。
「なあトゥーティよ。今回の課題はちと厄介かもしれんが頑張れよ。まあ、あれだ。大抵の事は気合いでなんとかなるもんだ」
「は、はいっ」
「俺は手伝ってやるわけにはいかねえが、代わりにいいものをやるぞ」
そう言って王様はごそごそと何かを袂から取り出し、王子の前に差し出した。王子の瞳が大きく見開かれる。50cm程の短剣。しかも金銀の細工が施され色とりどりのまばゆい宝石で飾られた宝剣だった。父はそれを息子の小さな手に握らせた。
「これはな、特別な剣だ。代々国王に受け継がれる「王の証」ってやつだ。俺もお前くらいの年にお前のじいさまから預かって旅に出たんだぞ」
王子は頷きながら真剣に聴き入る。王様は小さく咳をして、その後一気に言い放った。
「第一王子トゥーティリアは王国議会が定めた期間に限りこの宝剣の所有を承認され、何時如何なる状況に於いても国王と同等の権利を保障されるものとし、これは王子自らの意思により放棄されるまで議会及び国王によっても剥奪は認められないものとする」
「…………?」
長くて難しい国王の説明に王子はぽかんとするばかり。
「分かるか? 分かんねえよな。俺も言ってて分かんねえけど、これを言うのが決まりなんだとよ。覚えるのに苦労したぜ」
「す、すごいです」
「だろう?」
王子の感嘆の声に王様は得意満面だ。
「まあ、簡単に言うとな、これから二週間期間限定で王様気分ってとこだ。どうだ、悪かないだろう?」
「は、はいっ」
王子は宝剣を大事そうにぎゅっと胸に抱きしめた。
トゥーティリア王子は一人っ子。王妃であった母は王子が生まれて間もなく事故で亡くなっていた。それ以来王子は王宮から遠く離れた離宮で女官たちやアビに育てられてきた。
一方王は王宮で王子を避けるかのように仕事に没頭した。王妃を失った王の悲しみは彼の心を打ち砕き、忘れ形見の王子と会う事さえ耐えられなかったのかもしれない。
王子は「父さまはお仕事が忙しいから」と何も疑う事なく父の不在そしてその寂しさをを飲み込んできた。そんな親子が久々に二人きりで会話をし、宝剣まで渡されたのだ。王子の心は沸き立つ。太陽の光を受けてきらきらと輝く短剣と父王の顔を交互に見つめて満面の笑顔を浮かべていた。
そんな彼らを遠目に見守る人影があった。少し離れた会議場入り口の柱の影に、先ほど立ち去ったと思われていたクロミアが佇んでいた。光のない灰色の瞳がじっと宝剣を見つめ、二人のやりとりを眺めている。すると──。
「クロ! おいクロ、居るんだろ! こっち来い」
国王からの突然の呼び出しにどきりとし、あからさまに嫌そうな表情になるクロミア。暫く迷った末、渋々と姿を現した。
「クロって呼ばないでください」
不機嫌を隠さない押し殺した声。
「クロで出てくるんだからクロでいいじゃねえか」
「出てこなかったらいつまでも大声で呼ぶでしょう」
「ぐだぐだうっせー。それよりお前な、トゥーティの課題に同行しろ」
いつもこの調子だから、と半ば諦めて聞き流していたクロミアだったが、最後の言葉に大きく首を横に振る。
「はあっ? 何言ってるんですか! 今は王国議会の真っ最中ですよ。私がいなかったら進行が……」
「大丈夫だ、留守の間は俺が気合いで何とかしてやるから!」
国王に聞く耳はなくクロミアの言葉を遮ると、そのまま王子に向き直る。
「トゥーティ。もうひとつ使える剣を貸してやる。こいつは役に立つぞ。『ヴィリアインの氷の剣』なんて大層な通り名があるくらいだ」
「やめてください!」
通り名まで出されてクロミアの顔は青くなったり赤くなったり、先程までの冷淡さが嘘のようだ。
王子は黙ってそのやりとりを見つめていた。クロミア・ヴァンスは宰相であると同時に、国王の秘書も兼ねている。一日中仕事に打ち込んでいる王と宰相兼秘書は嫌でも一緒に居る時間も長くなる。自分たち親子のぎくしゃくとした様子に比べて、この主従のなんと気の置けないことか。王子の小さな胸がきゅう、と締め付けられた。
「あの、僕そろそろ行かないと……」
王子の、蚊の鳴く様な声。
「おっ、そうか。じゃあ一つだけ俺から忠告しておくぞ」
国王は真面目なトーンに戻り、咳払いをひとつ。王子の目線まで大きな体を屈め、宝剣を指してゆっくりと諭す。
「どんな剣でもな、使いどころが肝心だ。よーく考えて使うんだぞ」
「はいっ」
「それとな、たとえ路銀に困ってもコレは絶対に売るなよ! 後でえらいドヤされるからな!」
「は、はい」
「陛下、あなたじゃあるまいし……」
ぺこりと頭を下げた後、クロミアの呆れた口調を背に王子は足早に離宮行きの馬車へと歩みを進めた。涙目になっているのを悟られたくなかったのだ。
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