第163話 第五研究所へ



 その貴族の男は、待っていた。


 第五研究所で、ある一人の男……エレナ・ミルウッドを。


 その場所には貴族の男以外にも、何人かいた。

 魔術者のような格好をした者が二人、そして屈強な身体をした者が三人。


 そして……鎖に繋がれて研究所の真ん中に横たわっている、エルシェ・ミルウッドの姿。


 魔法で眠らせているので、まだ目覚めてはいない。


「イニゴ様。こんな人数で、あのエレナ・ミルウッドを抑えられるのでしょうか?」


 魔術師のような格好をした者、研究者が恐れながらそう言った。


 恐れているのはイニゴという貴族の男のことではなく、エレナ・ミルウッドのことだ。


「エレナ・ミルウッドは、この実験の一番の成功者。身体能力をとても上げたのは、私達です。そのエレナが私達に牙を剥けるのですから……もっと人数を揃えればよかったのでは」

「人数を揃えるといっても、この実験を知る者は少ない。私の家族や使用人すら、知っている者はほとんどいないのだ」


 確かにエレナを相手するには、もっと人数を揃えた方が安全だろう。

 しかも今のエレナは、おそらく、いや確実に怒り狂っているはず。


 あのエレナが自身の命よりも大切にしている、妹のエルシェに手を出したのだから。


「……本当に良かったのですか? 妹のエルシェ・ミルウッドに手を出してしまって」

「私の研究のためだ。エレナを、最強の兵士にするための」

「ですが……」

「なんだ貴様。私に反抗する気か?」

「い、いえ、そんなことは……」


 研究者は怖気付いて、一歩後ろへと下がった。

 イニゴという男を怒らせて、消えていった仲間の研究者を知っているからだ。


 消える、つまり殺されるだけならまだマシだ。

 実験体にされるのなんて……考えるだけで、身が竦んでくる。


(よく、本当によく……エレナ・ミルウッドは、この実験に耐えられる)


 その研究者はこの研究を手伝っていて、常々そう思う。


 イニゴという貴族は、ヤバい。

 この男は、人を実験体にすることに、何も思っていない。


 罪悪感も、愉悦も、何も感じてないのだ。

 ただただ、実験をしているだけ。


 そこに感情はない。


 研究者はこの実験から逃げ出したいと思っているのだが、それは不可能だろう。


 この実験から抜け出せる時は……研究者が、イニゴに殺される時だけだ。



 そしてしばらく待っていると、研究所に誰かが入って時に光るランプが点灯した。


「イニゴ様」

「ああ、来たようだな」


 この研究所は、表向きは普通の倉庫のようになっている。

 外から見たら誰もここで、悲惨で残酷な人体実験をしているとは思わないだろう。


「お前ら、前に出ろ」


 イニゴが屈強な者達に合図をする。


 その者達は屈強だが、歪な筋肉の形をしていた。

 そして全員が上半身裸で、目が虚ろである。


 イニゴの実験により、屈強な身体を手に入れたが精神が崩壊した者達だ。


 口がずっと半開きで、目はどこにも焦点が合っていない。


 ただイニゴの命令により、フラつくように移動して、イニゴの前に立った。

 エレナがここまで来た時に、盾になるように。


「この肉人形達も、盾にはなるだろう」


 そう言って笑うイニゴに、研究者は身震いをする。


 しばらく待っていると、研究所の扉が左右に開いていく。

 入り口の前に立つと、自動的に開くようになっている。


 しかし……扉が開いて廊下が見えたが、そこには誰もいない。


「……そこにいるのはわかっている。まだエルシェには何もしていないから、おとなしく姿を現せ、エレナ」


 イニゴがそう言うが、エレナの姿は見えない。

 数秒経つと、扉が自動で閉まっていく。


 閉まる間際――研究室内に何かが投げ込まれた。


 見ると小さな球体のようなもので、地面へと落ちてこちらに転がってくる。

 イニゴは驚いたように叫ぶ。


「っ! まさか、手榴弾……!!」


 火薬が入っており、大きな爆発を起こすもの。

 この狭い研究所だったら、一個で吹き飛ぶかもしれない。


「私を守れ!!」


 イニゴは肉人形達にそう命令をする。

 他に二人の研究者がいるが、そいつらを無視して自分だけを守るように。


 そして手榴弾が爆散――と思いきや、そこまでの衝撃や爆発はなく、ただ煙が部屋の中に一気に広がった。


「なっ、これは……! 煙玉だったのか……!」

「――そうだよ」

「っ! 貴様、どこに……!」


 研究所内で聞こえた声に、イニゴは周りを見渡す。

 しかし煙でその姿は見えない。


 これが実力者になれば煙の揺らぎなどや、微かな音で居場所がわかるかもしれないが……貴族のイニゴには、そんな能力はない。


「に、肉人形! 私を……がっ……!!」


 イニゴはまた指示を出そうとしたが……身体が急に痺れたように動かなくなり、その場に倒れた。


「……案外、あっけなかったね」

「き、貴様……!」


 イニゴが倒れると、そのすぐ側にエレナが姿を現した。

 エレナの手には短剣があるので、それでイニゴの身体を傷つけ、毒で痺れさせたのだろう。


 エレナの後ろには倒れている研究者の二人がいる。

 そちらもイニゴと同じように、毒で倒れているのだろう。


「ここにエルシェがいない場合も考えて、一応死なない毒にしたんだけど……こんなことなら、即死するような毒にしとけばよかった」


 エルシェがいなかったら拷問でもなんでもして、居場所を聞き出そうとしていたエレナ。


「くっ……」

「お前は約束を破った。僕の大切な、大切なエルシェに手を出した。覚悟はいいな?」

「く、くくく……それは、どうかな――!」


 イニゴはまだ少し動く手をポケットの中に入れ、その中にある魔道具のスイッチを押した。


 そして――研究室内は、真っ白に染まった。



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