第149話 エレナの覚悟



 僕は、弱かった。


 もともと地下街で搾取される側だったのだから、当たり前だろう。

 弱肉強食の世界で、一番下層のところにいた。


 幼かったといっても、同年代の子の中でも勝てたことはなかった。

 食べ物を持っていても、大人に、同年代に、誰かに奪われた。


 だけどどれだけ奪われても、僕は諦めるわけにはいかなかった。


 エルシェがいるから、絶対に守るべき彼女がいたから。


 一欠片ても持ち帰り、エルシェに渡した。

 汚くて、不味い食べ物ばかり与えてしまった。


 それでもエルシェは、地下に住んでいるとは思えないほど綺麗な子だった。


 彼女の笑顔を絶えさせないために、僕は死ぬ気で食料を取ってきた。


 そんな中で会ったのが、ニーナだった。

 僕と同じような境遇で、僕達は仲良くなった。


 お互いに名前をつけ合い、僕はエレナとなった。

 ふふっ、ニーナは僕の性別を間違えてたから、女の子っぽい名前になっちゃったんだよね。


 それから僕達は、一緒に行動するようになった。

 だけどニーナには、エルシェのことを話さなかった。


 まだあの時は、僕のたった一つの宝物を話すほど信用出来なかった。

 ニーナには悪いことをした。


 そろそろ言おうかと思っていた時期に……あの事件は起きた。



 エルシェが、攫われたのだ。



 いつもの場所にエルシェがいなくて、すぐに攫われたと気づいた。

 この地下街で行方が知らなくなるということは、ほぼ確実にそういうことだから。


 それから僕は……どうやって探したのか覚えていない。


 だけどその時から僕は、人を殺すことをいとわなくなった。


 はっきりと覚えているのは、誰かの血で真っ赤になった身体のまま、エルシェを攫った者の住処に立ち尽くしていたことだ。


 攫った奴らを僕は殺したようだが、そこにエルシェはいなかった。

 すでにどこかの貴族に売ったようだ。


 あれだけ可愛い子だ、すぐに、そして高値で売れたことだろう。

 そのことを思うと苛立ち、もう声も出せない死体に握っていたナイフを振り下ろしたことを覚えている。


 すぐにその貴族の元へと向かったが、さすがに人攫いのような輩とは護衛の力が違った。

 僕は簡単に負けて、捕らえられた。


 エルシェを残して、殺されてしまう……そう思ったのだが。


 その貴族は、僕を実験台として使うために生かした。


 実験が全く上手くいっておらず、駄目元で僕を試したのだ。


 そして……幸か不幸か、僕は実験台としては最良の存在だった。


「はははっ! 素晴らしい! まさかここまで耐えてくれるとは! 最高の拾い物をした!!」


 僕が地獄の底で苦しんでいる最中に、貴族の男が興奮した様子でそう叫んでいるのが耳に残っている。


 何時間その地獄を味わった頃だろうか。

 僕の心は折れ、もう死ぬ……いや、死にたいと思い始めたときに、男は言った。


「最高の実験台が、ここで壊れては困るのだ。そうだな……お前が生きてる限り、あの娘には手を出さないでやろう。どうだ? 生きたくなっただろう?」

「――っ!!」


 忘れていた。

 地獄の苦しみで、忘れてしまっていた。


 そうだ、僕はエルシェを助けに来たんだ。


「っ……それはっ、……ほんとう、だろうな……?」

「ふっ、ああ、もちろんだ。お前が生きていればな」


「ぐっ……そうか、絶対だぞ……絶対に、生き延びてやるから……! エルシェに、手を出すな……!」


 僕はそれから、必死に耐えた。

 気絶も許されない、実験という名の拷問を。


 貴族の男の実験は、最強の兵士を作るというものだった。


 何色かもわからない飲み薬や、明らかにヤバそうな注射を打たれたり……。

 得体も知れない何かが身体の中に入ってくるというだけで、精神的な苦痛が凄かった。


 そしてすぐに効果が出たりして、身体の拒否反応などで文字通り血反吐を吐いた。

 実験中は悪寒が止まらず、しっかりと眠れた覚えがない。


 何度、死にたいと思ったか。

 そしてその度に、絶対に死んでたまるかと思ったか。


 何日間、実験台にされ続けたのか覚えていない。


 さすがに貴族の男も僕が限界だと思ったのか、一度休憩として実験が取り止めとなった。


「はぁ、はぁ……エルシェは、無事、なんだろうな……」

「ああ、傷一つつけてないぞ。信じられないのならば、確認してくるといい」


 地下の実験室を出て、男が言った部屋へと向かう。


 ボロボロの身体だが、服は男が用意した綺麗なものを着る。

 エルシェに会ったときに、心配させないように。


 重い身体を引きずるようにして廊下を歩き、そして……。


「おにいちゃん……!」


 ドアを開けた瞬間、心配そうに僕を見つめるエルシェの顔が見えた。


「あぁ……!」


 僕の方に駆け寄ってくるエルシェを、強く抱きしめた。


 地獄を味わっている間は全く出なかった涙が、溢れるように出てくる。


「おにいちゃん、良かった……! 私、さらわれちゃって、ごめんなさい……!」

「ううん、大丈夫だよ……エルシェが無事で、本当に良かった……!」


 お互いに泣いて、嗚咽を交えながら話す。


 エルシェが攫われてから数日間、会えていなかった。

 こんなにも離れていたのは初めてだったので、存在を確かめるように強く強く抱きしめあった。


「おにいちゃん、ここどこなの……? こわいよ……!」


 エルシェはいきなり攫われ、無駄に良い部屋に通されて怯えていたのだろう。


「大丈夫だよ、エルシェ……僕が必ず、守るから……!」


 死んでは、エルシェを守れない。


 だから僕は絶対に、死ぬわけにはいかない。



 ――僕はどんな拷問を受けても、死なない覚悟を決めた。




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