第138話 次の依頼は



 エルシェと過ごしていると、本当に一日が早く終わってしまう。


 今日も一緒のベッドに入って、寝転がりながら話す。


 最初は興奮して止まらず話し続けるエルシェだったが、やはり朝からずっと遊んでいたのでだんだんと瞼が重くなってきたようだ。


 僕の腕の中で目をギリギリ開けているエルシェ。

 寝かしつけるように頭を撫でて、背中を一定のリズムで叩く。


「おやすみ、エルシェ」

「うん……おやすみなさい、お兄ちゃん……」


 最後に可愛い笑顔を浮かべ、幸せそうにエルシェは夢の中へ入っていった。



 とても可愛らしい、見ていて安らぐ寝顔。

 このまま寝ずに、ずっと見ていたい。


 だが……そういうわけにもいかない。


 僕の腕を枕にしているエルシェの頭を、少し上げて腕を抜く。

 高さが変わらないように枕を頭の下に入れてあげる。


「いつもの枕より、お兄ちゃんの腕枕の方が寝心地が良いの!」


 そんな嬉しいことを言ってくれる、可愛いエルシェ。


 僕のことを想って言ってくれたのか、それとも本当にそうなのか。

 わからないけど、ごめんね。

 今日は、普通の枕で我慢して。


 音を出さないように布団から抜け出そうとする。


 しかし……。


「……っ!」

「んんっ……おにい、ちゃん……」


 僕のシャツの袖を、エルシェが限りなく小さな力で掴んでいた。

 そのまま気づかずに動いていれば、何の抵抗も無く外せるぐらいの力。


 だが僕の動きを止める力も無いその手に、僕を引き止める想いは最大限にあった。


 行きたくない、このままエルシェの隣で眠りたい。

 何も考えず、一緒に二人で朝を迎えたい。


 だけど……!


「……ごめんね、エルシェ」


 裾を掴んでいた腕を優しく持って、寒いだろうから布団の中に入れてあげる。


 君の英雄にはなれないけど……君を守るために、僕は何にでもなる。

 だから、行かないといけない。


 ベッドから出て、エルシェがお風呂に入っている間に書いた手紙を懐から出し、目立つところに置いておく。


 今回の依頼がどのようなものかわからないけど、朝までに帰れるとは思えない。


 そして――生きて帰ってこれるかも、わからない。


 だから僕はエルシェに残す手紙には絶対に、書く言葉がある。



 ――君より先に生まれて良かった。愛してるよ、エルシェ。



 エルシェより後に生まれていたら、君を守れなかった。

 それだけは、顔も名前も知らない親に唯一感謝できることだ。


 最後にエルシェの寝顔を見て、その頰に唇を落とす。

 眠っているのにもかかわらず、くすぐったそうに笑った。


 それを見てから、幸せな気持ちで僕は部屋を出た。



 長く暗い廊下を歩くにつれ、幸せな気持ちが下がっていく。


 下がっていいのだ。

 僕はこれから、人殺しの依頼を受けるのだから。


「待っていたぞ、エレナ」


 その声を聞くたびに、不快度が増す。

 むしろ殺意が湧いてくるが、冷静になるために一度ため息をつく。


「だから、僕の名前を呼ぶな」


 こんな奴に名前を呼ばれたくない。


 汚い仕事をしてきたし、洗い流せないぐらい血で汚れた手をしているが、名前は違う。



 この名前は……友達が、つけてくれたんだ。


『名前ないの? あたしもないわ。良かったらお互いに付けない?』


 そう言って、エレナという名前をつけてくれた。


 会ってすぐのことだったから、僕のことを女の子だと思っていたようで、女の子みたい名前だけど。

 男だとわかってからもう一度名前をつけると言われたが、断った。


 この名前が、気に入ったから。



 だからこんな男に、あの子に……ニーナにつけられた名前を、汚されたくない。


「遅かったな。あいつとの時間より、こっちを優先しろ。時間に遅れたら面倒だ」

「そこは悪かったけど、こっちを優先するってのは気持ち的に了承できないね」

「……ふん、まあいい。しっかり仕事をしてくれれば問題ない。私もあいつには何もしないさ」

「ああ、したら絶対に殺すよ」


 エルシェに危害を加えたら、絶対に殺す。

 彼女が僕の全てなんだ。


「ふふっ、わかっているさ。例えば私があいつを殺したとしたら、お前は必ず私を殺すだろう。どんな手を使っても、何を犠牲にしてもな。そんな覚悟をしているからこそ、私はお前を雇っているのだ」


 本気の殺意をもって睨んでも、こいつは軽々と受けてわざとらしく笑う。

 立場的にはこいつが上だが、生死が絡むと対等な立場だ。


 こいつは僕の大事なものを簡単に殺せるし、僕はこいつを簡単に殺せる。

 今はお互いに利用価値があるから協力してるだけ。


 こいつには何の情もないし、むしろエルシェのことがなかったら今すぐに殺したいくらいだ。

 相手にとっても、僕のことはそんな存在だろう。


「さて、楽しいお話もここまでにして、本題に入ろうか」

「クソみたいな話も聞き飽きたところだしね」


 僕の言葉には何の反応もせず、こいつは続ける。


「この暗殺任務はとても重要だ。これを成功させれば、私はとても裏の社会で誰よりも名高くなり、最高の地位を築けるだろう」


 こいつの地位が上がることなどどうでもいいが、裏社会でそれほど名高くなる依頼?

 どんなものか知らんが、とんでもない依頼であることは確かだろう。


「これだ、読め」


 渡された紙を受け取り、文字を追っていくと……予想以上の依頼だった。


「この情報は確かなの?」

「ああ、もちろんだ。あちらが公表したものだし、しっかりと裏は取れている」


 しかし、まさか……あんなことがあったのに、こんなに早く……!


 そこに書いてあった依頼は――。


『ベゴニア王国現国王、レオナルド・カルロ・ベゴニア。及び、第一王子クリストファー・レオ・ベゴニア。両名の暗殺』


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る