第107話 一発殴る


 イェレ団長にスパイ活動の任務を言い渡されて、その翌日。


 俺はこの一ヶ月騎士団と過ごしてきて、いつも通りの起床時間に目が覚める。


 王都の騎士団の寮は、先日の急襲の被害をほとんど受けなかった。


 だから俺はいつもの部屋で、いつも通りに起きて準備をする。


 ただ、一つ違うのは。

 隣のベッドに、エレナさんがいないことだ。


 俺が目を覚ます頃にはエレナさんは絶対に起きている。

 目を覚まして隣を見れば、エレナさんが腰掛けてこちらを見ていることが多かった。


 俺が寝坊しそうになったら起こしてくれるぐらいだ。


 一度、「なぜいつもそんな早く起きれるのか?」と聞いてみた。


「うーん、子供の頃からの習慣かな?」


 エレナさんは笑顔でそう言っていた。


 あの笑顔は、本物だったのかはわからない。


 もうあの人の、とても爽やかな「おはよう」は聞けないんだな。


 少し悲しくなりながら準備をし、朝食に向かった。



 食堂には大勢の人がいた。

 騎士団と魔法騎士団の人たちだけじゃなく、街の人たちもいる。


 家を失った人たちが、ここで食事をもらうためだ。


 被害は少なかったが、ないわけではない。

 急襲のせいで暮らせなくなってしまった人は、国からの支援で暮らす場所や食事が与えられている。


 王都は備蓄などが豊富で、他の街からもどんどん資源が来るので、飢え死にする人はいないはずだ。

 あんな急襲があったのに、ここまでしっかりとした体制を整えられるのは、限られた国だけだろう。


「おはよう、エリック」

「おう、おはようティナ」


 いつものテーブルに行くと、ティナとユリーナさんがいた。

 俺のことを待ってくれていたようだ。


「おはよう。私もイェレ団長から、話を聞いたぞ」

「おはようございます。そうですか、では……」

「ああ、退団はせずに任務を全うしようと思う」


 俺たちは頷き合う。

 多分同じ説明を受けたのだろう。


 任務に支障が出ない範囲で、エレナさんを探していいと。


「ティナは……」

「大丈夫だよユリーナ、私も知ってるから」


 ユリーナさんが説明しようとしたが、ティナはそれを止める。


「俺が昨日教えました」

「……そうか。ティナ、知っているなら話が早い。私たちと一緒に、あの人を探してくれないか?」


 俺とユリーナさんは一緒に退団して探そうと言っていたが、ティナはそこにはいなかった。

 いや、その場にはいたが、怪我の影響でまだベッドに寝ていた。


 だから、ユリーナさんは真剣な眼差しで頼み込む。


「もちろんだよ。私もエレナさんがそんなことする人じゃないと思うから」

「……ありがとう」


 ティナは笑顔で了承する。

 ユリーナさんもつられて頰を緩めた。


「それに私の目が覚めなかった理由は、エレナさんにやられたからだしね。一回ぐらい殴っても、文句は言わないでしょ?」

「ふふふ、そうだな。私も一発ぐらいは殴らせてもらおうか」


 そう笑いながら、俺たちは朝食を食べた。



 そして食事を終え、それぞれ仕事をしに行く。

 ティナとユリーナさんは街に行って、復興の手伝いをしに行くようだ。


 俺は午前中は、訓練をする。

 大部分の騎士団の兵士たちが街の復興を手伝っているが、交代で訓練をする。

 そうしないと腕が落ちてしまうからだ。


 この先、俺たちのスパイ活動が終わったら、大きな戦争になる可能性がある。

 だからそこに向けて、兵の実力を下げるわけにはいかない。


 訓練場に行き、何百という人たちと訓練を始める。

 各自で訓練をするが、全員が真剣に本気でやっている。


 急襲が来る前とは、違う殺伐とした雰囲気があった。


「よう、エリック」

「んっ、ああ、おっさんか」


 俺も素振りをしていると、後ろからおっさんが話しかけてくる。

 騎士団に入って、最初の訓練からときどき絡んでくるおっさん。


 最近は訓練の時間が合わなかったからか、あまり会っていなかった。


「久しぶりに一緒にやろうぜ」

「ああ、いいよ」


 俺たちは向き合い、戦い始めた――。



「あー! やっぱり強えなお前!」

「……まあな」


 おっさんが汗だくで地面に大の字で倒れたところで、一度休憩する。

 何回か戦ったが、一回も負けずに終わった。


 エレナさんにやられた肩の怪我は、ほとんど支障がない状態にまでなった。


 万全の状態で、スパイの任務に行くことができる。


 そして、エレナさんを見つけて……。


「どうした? 変な顔して」


 倒れ込んでいたおっさんが、地面に座り込んでしたから俺の顔を覗いてそう言った。


「いや、なんでもない」

「……エレナちゃんのことか?」

「っ! な、なんで……!」


 なんでおっさんがエレナさんのことを……!


 エレナさんが裏切り者だというのは、俺たちと団長や副団長しか知らないはずだ。


「そりゃわかるだろ。お前はエレナちゃんと仲が良かったからな。行方不明者の名前に友達の名前があったら、誰でも落ち込むだろ」


 あ、ああ、そうか。

 おっさんはエレナさんが死んだと思っているのか。


 行方不明者は生きているかもしれないが、ほとんどは死体が見つかっていないだけだ。

 だから一応行方不明者として扱われているエレナさんを、おっさんが勘違いしているというわけか。


「……まあそうだな」


 本当のことを言うわけにはいかないので、適当に誤魔化しておく。


「俺もショックだぜ。あんな可愛い子がな……」

「おっさん、エレナさんは男だと言ったはずだが」

「男でも可愛ければ大丈夫だろ」

「何も大丈夫じゃないぞ、変態」


 エレナさんは街中の任務でも、おっさんみたいな変態に絡まれているときはあったが。


「一回あの子と話せる機会があったときに、めっちゃ質問攻めしたんだよな。戸惑っていた顔が可愛かった」

「気持ち悪いぞおっさん」

「うっせえ。エレナちゃんが可愛いのが悪い」


 そのときのことを思い出しているのか、おっさんはニヤニヤして気持ち悪い顔をしている。


 だが、質問か……俺はエレナさんのことをあんまり聞いたことがないな。


「何を聞いたんだ?」

「ん? ああ、そうだな。家族構成とか好きな人がいるのかとか、付き合っている人はいるのかとか……」

「聞いた俺が馬鹿だった」


 なんか情報を得られるかと思って聞いてみたが、聞かない方が良かった。


「戸惑った顔は可愛かったんだが、出身とか聞いたときは一瞬怖い表情になってたな」

「っ! エレナさんはなんて答えたんだ?」


 エレナさんの出身、それを聞けばエレナさんを探すのも目星がつくかもしれない。

 今のところ、リンドウ帝国しか候補がないからな。


「んー、国の名前なのか街の名前なのかわからんが、頭文字が『は』って言ってたな。『それ以外は内緒』って笑顔で言われて、可愛かった」

「うん、気持ち悪いぞおっさん」

「それをヒントにいろいろ調べたんだが、『ハーベナ王国』とか『ハマユウの街』とかあった。有力としてはそのどちらかだろうな」

「そこまでいくとストーカーに近いぞおっさん」


 頭文字が、『は』の国か、街……。

 それが本当かどうかはわからんが、参考にしておこう。


 おっさんが言っていたのは、どちらも人族の王国と街だろう。

 エレナさんは魔族なので、そこには絶対にいないはずだ。


 まさかおっさんからエレナさんの場所のヒントをもらうとは思わなかったな。


 おっさんの変態度にも、少しは感謝したほうがいいか。


「怖い表情をしたときも、なんだか可愛い顔とギャップがあってなおさら良かったわ。そんな可愛い子がな……」


 やっぱりしなくていいか、気持ち悪いし。


 しかし、『は』……ん? 待てよ、まさか……!



 『ハルジオン王国』――俺の前世の恋人、イレーネがいる国か……!?

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