第8話 森へ
俺は八歳となった。
身長も結構大きくなってきて顔立ちもはっきりしてきた。やはり母親似なのは前世の頃とは変わらず、かっこいいというよりは可愛い顔立ちをしていると思う。
今俺は庭で新しく自分で作った案山子かかしを相手に訓練している。
「ふぅ……」
息を吐いて極限まで力を抜く――。
腰には真剣を携えて、鞘さやからも抜かずに柄つかにすら手は添えてはいない。身体の横に力を抜いて自然体のまま立っている。
目の前にある案山子を睨み――。
そして――抜く。
真剣は既に振り抜いており、それを静かにまた腰に差す。
すると――後ろにある案山子が胴体から半分に斬り裂かれて、地面へと上半身がずり落ちる。
――居合斬り。
剣を鞘に納めた状態から刹那に剣を抜き放ち、斬る。
ただそれだけの技。
俺は案山子との間合いを一呼吸の間に詰めて、剣を抜いて斬った。
斬った後は案山子を追い越したために背後に案山子がある状態になったのだ。
「……チッ、遅すぎる」
俺は舌打ちをして後ろにある案山子を見る。
切り口を見てもあまり良い感じに斬れていない。
俺は今日初めて真剣で居合斬りをしてみたのだ。
真剣は数ヶ月前から母さんから使用の許可を貰って練習していたが、最初は慣れなかったので普通に剣を振るって筋力を鍛えていた。
そして慣れてきたので今日居合斬りをやってみたのだが……前世での居合斬りとは比べものにならないくらいに遅い。
速さについては前世の二割の速さにも届いていない。
しかも――俺は額にかいた汗も手で拭う。
一振りしただけでこの疲労感。体力も筋力もまだまだ全然ダメだ。
もっと鍛えなければいけない……。
隣で見ていた――十歳になったティナがパチパチと手を叩きながらこちらに向かってくる。
「凄いね、エリック! 速くて剣を抜いたところが見えなかったよ」
「ありがとう、ティナ姉ねぇ」
ティナは赤みがかった髪を結構長くしていて、それを後ろで縛ってポニーテールにしている。
田舎の元気な女の子って感じで、とても可愛いと思う。
ティナは俺がお姉ちゃんと呼ばないと、悲しい顔をして俺に罪悪感を抱かせてお姉ちゃんと呼ばせるという高度な技を身に着けていた。
だから俺はもう最近では「ティナ姉ねぇ」と呼ぶのが当たり前になってきている。
「剣ってそんなに速く斬れるんだね。魔法より全然速い」
「そうだな。魔法は発動が遅いけど威力とか規模が大きいのが多いから」
魔法の方も俺は結構鍛えてはいるが……今言った通り、魔法はやはり発動が遅い。
魔法というのは威力や発動の難しさなどによってランク分けされている。
下から、
下級魔法、中級魔法、上級魔法、最上級魔法、王級魔法、精霊級魔法、神級魔法
となっているらしい。
威力が強くなればなるほど魔法発動に時間がかかるものである。
人間が習得できるとされているのは最高でも王級魔法程度であり、王級魔法を使えるとなれば歴史に名を遺すほどである。
俺は今のところ中級魔法まで使えるが……これでも前世の頃は下級魔法しか使えなかったからな。進歩した方だと思う。
だが先ほど言った通り中級魔法も少し発動が遅いので、それだったら剣で斬った方が圧倒的に速い。
軽い魔法……戦闘中に目くらまし程度なら出来るかもしれないから今後の課題としてやっていこうかな。
「はい、これタオル。冷たくしといたよ」
「ありがとうティナ姉」
ティナは魔法でタオルを水で冷やしてくれていて、俺はそれを受け取って顔に当てて汗を拭く。
火照った顔をひんやりとしたタオルが冷やしてくれる。汗をかいた後にこれをやると本当に気持ちがいい。
こういう気配りが出来るところは本当にお姉ちゃんみたいで頼りになると思う。
俺とティナが庭で少し話していると、庭に親父がうるさい足音を立てながらやって来た。
「エリックよ! 俺は今から森に行くぞ! ついてくるか!?」
「っ! うん、いくよ」
少し前から親父は俺を森に連れてってくれるようになった。
なんとか母さんを説得してくれて、親父の狩人の仕事をそばで見るだけということならという母さんの妥協で話は終わった。
だけど……母さんには内緒だが、俺は普通に魔物を狩っている。
森にまで行ったら魔物を狩らないと訓練にならないだろ、と俺は思って親父に俺も魔物と戦いたいと言ったら。
『それでこそ俺の息子だ!!』
と言って二つ返事で承諾。さすがに母さんには俺が魔物を狩っていることは親父も黙っているが……。
「ディアンおじさん、私も行きたい!」
「むっ! そうか……」
親父は顎に生えている無精髭を撫でながら考える。
実は前からティナも森に行きたいと言っているのだが、これには母さんもティナの母親も猛反対。
だからティナは一度も森には入ったことはないのだ。
「おじさん……だめ?」
「むぅ……!」
ティナは下から親父を見上げるようにして頼み込む。必然的に上目遣いになるので、親父には凄い可愛く見えるはずだ。
これを一応ティナは狙ってやっては……いないはずだ。最近俺にも結構やってくるから本当に無意識にやってるのか疑ってしまうが。
「わかった! 俺が連れてってやる!! 母さんたちには……内緒な」
親父はティナの可愛さにやられたのか、ティナを連れていくこと決意。尻すぼみしながら俺とティナに内緒にするように言った。
「うん! ありがとうおじさん!」
ティナも嬉しそうに笑いながら約束する。俺も親父には魔物を倒していることを黙ってもらってるからな。言うつもりはない。
「よし……じゃあ静かに見つからないように行くぞ」
いつもの大声を出せずに、足音も極力出さずに親父は家の中を抜けて森に向かう。俺とティナも後についていく。
家を出て数分も歩けば、すぐに村を囲む柵を出ることが出来る。
「よし、ここまで来れば大丈夫だろう! では行くぞ二人とも! ティナのお嬢ちゃんは俺から離れないようにな!!」
「うん!」
そして親父の後ろについていくような感じで俺達は森の中に入っていく。
最初はティナも楽しそうにスキップをして進んでいたのだが、俺と親父の雰囲気を感じ取って静かに俺達の後をついてくるようになった。
親父もいつものようにうるさい足音や騒々しい声などは全く出さずに、息を殺して森の中を進んでいく。
さすがは狩人のプロだと思う。森の危険度をわかっている。
数分歩いていると――親父が歩みを止めた。周囲を見渡しながら後をついていたティナは親父の背中に当たりそうになっていたので、俺が手で制して止めた。
「……親父」
「ああ、十四時方向、距離は六〇――レッドボアだ」
俺も同じ魔物を見つけていた。ティナが隣で魔物の方向を見て息を呑んだのを感じる。
レッドボア――。
赤い体毛に覆われている熊の魔物であり、体長は約三メートル。
横幅も結構大きくて、俺やティナから見ると遠目から見ても俺達の約三倍のでかさがあるように思える。
「まずいな……こんな村の近くにあの大きさのレッドボアがいてはいつ村に降りてくるかわからん。確実に狩らなければ……」
「そうだな……っ! 親父、奥の方!」
「ん? っ! ……子供か」
三メートルあるレッドボアの影に隠れていて見えなかったが、約一メートルほどのレッドボアがいた。
その子供のレッドボアも俺とティナ以上の大きさである。
「厄介だな。子供を守っている親のレッドボアは気性が更に荒くなっている。気をつけろお前達。少しでも音を立てたら――」
――気づかれてしまう。
そう親父が言おうとしたのがわかったのだが――突如俺と親父の後ろで、ピキッと音が聞こえた。
俺と親父が一斉に振り向くと、ティナがレッドボアの迫力に後退あとずさりしてしまった際に、落ちていた小枝を踏んでしまったのだ。
「ひっ――!」
俺と親父が一斉に振り向いたせいなのか、ティナが声を出そうになったのを俺が手で口を塞いで止める。
俺はティナの口を塞いだ後、親父の方を振り向く。
親父はレッドボアの方を観察していて、俺達に手の平を向けて「止まれ」とハンドシグナルを出している。
――……しばらくしてレッドボアの反応がなかったらしく、親父は手を下げてため息を吐く。
「危ないところだったな……。気づかれたら少しやばかった」
「どうやって殺す?」
俺がティナの口から手を外しながら親父に問いかける。
「本当なら遠距離攻撃で殺したいが……こっちにその手はない。狩人の仲間に弓が出来る奴がいたが今から連れてくるわけにもいかんしな」
親父は顎に手を当てて考えている。一気に近づいて殺そうとしても一撃で殺せればいいのだが、多分近づいてる最中に気づかれてしまって一撃では殺せないだろう。
殺せないと暴れて俺やティナに被害がいってしまうかもしれない。
……と親父は考えていると思うが、俺は提案する。
「俺とティナ姉で魔法で先制攻撃をするっていうのはどう?」
「ん? いけるのか? この距離であいつに届くのか?」
「殺せはしないかもしれないが、致命傷はいけると思う」
「そうか……ティナの嬢ちゃん、いけるか?」
親父は少し怯えているティナにそう問いかける。
ティナはそう言われても自分の魔法に自信を持っていないみたいなので、どうするべきなのか迷っている。
「ティナ姉、大丈夫だ。俺よりティナ姉は魔法は上手いんだから、自信もって」
「エリック……」
「失敗しても俺が護るから」
ティナは俺の眼を真っすぐ見ていた。その眼にはもう怯えの感情は見えなかった。
「……うん、わかった。私やるよ、エリック」
「よし、親父」
「わかってる。俺が追い打ちをかけるから失敗を恐れずにやれよ」
親父はそう言って俺達から離れて、ギリギリまでレッドボアに慎重に近づいていく。
親父が歩みを止まるのを見て俺とティナは魔法の準備をする。
俺とティナは並んで魔法を唱えようとするが……隣でティナが震えているのがわかる。
俺は静かにティナの手を繋いで安心させようとする。
ティナは少し驚いて俺の方を向くが、微笑んでいるのが見えた。
そしてティナの震えは完全に止まった。
「行くぞ、ティナ姉」
「うん!」
――俺とティナは同時に魔法名を唱える。
『刃風ウィンドソード!!』
俺たち二人の髪が舞い上がり、刃となった風が六〇メートル先のレッドボアに向かって撃ち出される。
風をまさしく斬る音が聞こえると同時に――レッドボアの身体から血が噴き出す。
三メートルの親のレッドボアは『刃風ウィンドソード』で身体が真っ二つに引き裂かれた。
一メートルぐらいの子供の方は身体から血が吹き出てはいるが、絶命までは至ってない。
突如謎の攻撃に襲われた子供のレッドボアは痛みに唸るように叫んだが――次の瞬間、近くにいた人間に驚き逃げようと後ろへと走りだそうとする。
「逃がす訳ないだろ!! ふんっ!!」
親父は持っていた大剣を上段から思いっきり叩き潰すかのように振り下ろす。
子供のレッドボアよりもでかい大剣はレッドボアを胴体から真っ二つにぶった斬った。
親父は返り血を浴びながらレッドボア二体が絶命していることを確認する。
「よし、大丈夫だぞ二人とも!」
その言葉に俺とティナは親父に近づいていく。
近づいていくにしたがって血の匂いが増していく。
「さすが俺の息子だ! でっかいレッドボアを真っ二つとは! この俺でもこのサイズの獲物を真っ二つには出来ないぞ!! ティナのお嬢ちゃんも良かったぞ!」
親父は俺達をそう言って褒めてくれるが……親父は大きな勘違いをしている。
「親父、俺の魔法が当たったのは小さい方だ。でっかい方を真っ二つにしたのはティナ姉の魔法だ」
「なんだと!?」
親父はたいそう驚いた様子で大声を上げる。
俺とティナが撃った『刃風ウィンドソード』。
風魔法の中級魔法である。
同じ魔法だが……術者が違うだけでこれほど威力に差が出るのだ。
俺が放った方は小さい方を傷付けるだけ、ティナの方は大きなレッドボアを真っ二つにするほどの威力が出るのだ。
ティナはまだ一応中級魔法しか覚えてないが、その威力などは上級魔法にも届く。
三年前は俺の方が魔力量は上だったのだが……もう俺がティナに魔法で勝てる要素は無くなったのだ。
俺の方が先に魔法を練習していたのに……辛い。
「そうだったのか……」
親父は少し考えるそぶりを見せてからティナに話しかける。
「ティナのお嬢ちゃん……将来、狩人になるつもりは――」
「やめとけ親父」
親父がティナを狩人に誘おうとしたが止める。
「なぜだ!? 力があるのなら女の子でも構わん!! どうだティナ嬢ちゃん!!」
「えっと……嫌です」
「くっ……そんなにはっきり言われるとは……」
そりゃそうだ……普通の女の子がこんな血生臭い職業に就くわけないだろ。
そして親父は大きな方のレッドボアを、俺は小さい方のレッドボアを引きずって村に持って帰る。
凶暴な魔物でも一応食べられる肉なので持って帰れば村の皆に喜ばれるのだ。
そして森を抜けて村に戻ると大きなレッドボアを担いでいる親父が目立ってしょうがないので、すぐに村の皆に囲まれる。
「はっはっは!! 村の皆よ!! 今日は熊の肉を分けてやるから楽しみにしているのだ!!」
親父は皆に囲まれて調子に乗っているので大声でそう叫んでいる。
――後ろから恐ろしい冷気を出しながら迫っている母さんがいることに気づかずに。
「あなた……!!」
「ん? ひっ!! セレナ……!」
親父を囲っていた村の皆は母さんの姿を見てすぐに飛び退いて散っていく。
「人様の娘さんを森に連れておきながら……こんなに危険な魔物を狩ってくるですって……?」
「ち、違うんだ! この魔物が村の近くにいたから仕方なく……!」
「言い訳無用!! そこに正座なさい!!」
三メートルの魔物を担いで意気揚々と戻ってきた男の姿はもうどこにもなかった――。
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