一次落ちのアクションシーン②


 ――それでも、運命な何度でも彼らを試す。


 甲高い、絹が裂けるような女性の悲鳴が上がった。ただし、アリシェットではなかった。キリエでも、琴音でもない。その女は、完全完璧完膚なきまでに第三者だった。薄い緑色のコートを着た髪の長い二十歳前後女性が恐怖で歪んだ顔で地面に尻もちをついていた。そんな彼女へ、今まさに襲い掛かろうとしているのは、襲撃者の一人だった。左手に黒く光る回転式拳銃を握っている。人質にして逃げる算段かもしれないし、動揺から己の任務を忘れるほど混乱してしまったのかもしれない。一つだけ確かなのは、コートの女性を助けなければ危険だということだ。夏樹は銃口を向けかけるも、後ろからでは身体を丸めた男の頭を、脳幹を貫けない。それが例え、九ミリ・パラベラム弾のシリーズ内でも貫通力を強化した徹甲弾仕様だとしても、拳銃弾とライフル弾では威力が段違いだ。絶望的に、火力が足りない。

 人体の動きを制御する機関を一撃で破壊しなければ指の痙攣で敵の銃が暴発する危険性がある。このままでは、結局、女性が傷付いてしまうだろう。彼我の距離、三十メートル強。走って間に合うのか。いや、助けようとすること自体が正解なのか? ただでさえ、襲撃者がどこに潜んでいるのか分からない状態なのだ。今すぐにでもアリシェットを護衛して逃げるべきだ。一方、王族でも政府の人間でもない〝ただの一般人〟を無理に助ける必要などない。

 任務を全うするための論理的な思考と、夏樹の心を構築する根元にある義憤が交錯する。機械のように振る舞える術はあるが、機械〝そのもの〟に成れるだけの割り切りが出来るほど、彼は歳老いていない。時間にして二秒か、三秒か。次の瞬間には殺されても文句は言えないだけの時間が過ぎて――、

 風が吹いた。いや、風が吠えた。

 襲撃者の頭部に、深々と〝棒状の何か〟が突き刺さった。

 右即頭部から左即頭部をほぼ地面と平行にして貫いたのは細身の直剣だった。男の上半身がぐらりと横に傾き、刺さった衝撃で首の骨が折れたのか筋肉が強制的に捩じれながら引っ張られ、首の長さが倍近くに伸びてしまう。遅れ、ようやく傷跡から血が滲み、眼球奥から赤黒い液体がどろりと漏れた。いったい、誰が。いや、こんな曲芸じみたことを可能とするのは、夏樹が知っている人物の中で一人しかいない。

 彼女がいるだろう方向へ視線をやる。そして、息を飲んだ。距離にして彼と二十メートル、死んだ男とは三十五メートル以上も離れていた。針の穴に糸を通すコントロールに加え、重さ千五百グラムの〝真っ直ぐ飛ぶための細工などまるでない剣〟を投げるだけの技術と可能にするだけの筋力。そして、度胸。こちらに向き直った琴音が、不敵な笑みを浮かべてウインクした。

 かつて、少女が片足を軸にして身体を捻りながら投擲した光景を思い出す。本人曰く、そうすると遠心力で投げやすいらしい。まさか、練習時ではなく、本物の戦場で見られるとは思ってもみなかっただけに、皮膚が泡立つような感動を覚えてしまう。



「――――ひゅうっ!」

 腹の底から絞り出された鋭い呼気が、瞬間的に達人の領域を可能にする。琴音の右手に煌めいたのは刃長、九寸五分(約二十九センチ)の短刀だった。古き時代の技と現代の金属工学が合わさったハイブリッド式の刃が、アリシェットを傷付けようとした敵の腕を肘の辺りから斬り飛ばす。銃を持ったまま腕が地面に転がり落ちる。進む場所も戻る場所も失った血液が心臓のポンプに圧されて切り口から飛び出す。遅れて、悲鳴の嵐。

 右腕を無くした男だけではない。錆びれた場所とはいえ、完全に人気が無かったわけではないのだ。スーツを着た若い女性の悲鳴。年配の男の悲鳴。小学生にも満たないだろう子供の悲鳴。辺りで騒ぎが連鎖的に広がる。日本は〝平和ボケした国〟とまで言われるほど、犯罪には疎い国だ。目の前で本物の殺し合いが始まれば、冷静さを保てる人間など皆無だろう。パニックの渦に飲み込まれようになる中で、琴音が小柄な体格からは信じられないほど声を張り上げた。ソプラノボイスがまるで、死を司る精霊・バンシーのような叫び声となる。

「死にたくなければ逃げなさい。早く!」

 凛とした恫喝が人々の耳に劈くように届く。誰も彼もが我先にと騒ぎの中心から逃げようとする。アリシェットの背中を守るように夏樹は位置を変える。キリエが隠し剣を抜き、辺りに鋭い眼光を向ける。血振りを済ませた琴音が苦々しく頬を歪めた。

「これ、どういう意味だと思う?」

 血を急激に失ったショックで倒れ、痙攣し出した男の喉を裂き、琴音が問う。地面に血が広がりながら染み込み、夏樹が重々しく口を開いた。

「どうもこうもあるか。……そういうことだろ?」

敵の容赦の無さに夏樹は深い憤りと後悔を抱いてしまう。まさか、こんな白昼堂々と襲ってくるなど思いもしなかった。いや、どんな事態にも対処するだけの覚悟はあった。過信ではなく、それは失念。歯噛みする時間さえ惜しくなって彼は腰からクーガーを抜いて手動式の安全装置を解除する。

「こんな場所だ。キリエは王女を守ることだけに専念してくれ。琴音と俺が敵を〝消す〟」

「――了解。そっちもヘマするんじゃないわよ」

「了解しました。王女様、走れますか?」

 この場でもっとも懸念すべき要素だろう。夏樹や琴音の視線を受け、アリシェットは顔を強張らせるも、すぐに気丈な態度を取り戻す。それで、十分だった。この少女が間違いなく王女だ。さあ、悠長に話している時間など無い。こうしている間にも、敵の気配は濃くなっているのだから。

「で、夏樹。どこに行くの?」

「適当に逃げる。なんとなく、北に」

 ダンスのターンでも決めるように夏樹が後ろを向く。ほぼ同時に発砲され、九ミリ・パラベラム弾がこちらに物影から銃を向けていた男の額を容赦なく貫いた。あんな離れた場所から撃てば、王女だけではなく、辺りの人間にまで被害が及ぶだろう。その阿呆加減に、叫びたくなる衝動を必死に押さえる。そして、四人は北へ走りだしたのだ。

 場所はちょうど繁華街の端だ。ここから北に向かえば完全に繁華街から外れる。少しでも犠牲者を出さないためにも、それが賢明だろう。夏樹は手持ちの弾薬が残りいくらなのか計算し、暗く笑う。朝に頬を撫でた〝嫌な予感〟が当たったからだ。余計に持ってきた予備弾倉をこんなにも喜んだことなどない。周りへの配慮の意味で、貫通力を強化した銅被甲弾ではなく、先端を窪ませることで着弾時に弾丸が潰れて広がり、内臓へのダメージ効果を高めたシルバーチップである。これなら、敵に当たった弾丸が肉体を貫通して、他の人へ当たるリスクを低減させてくれる。

 走る速度は必然的に王女に合わせる。幸いなのは、アリシェットが健脚であることだろう。たっぷりと休み、元が良いのだろうか、その速度はこちらの戦闘にぴったりとあった程度には早かった。夏樹は三人よりもやや後方を走る。――前方から再び、敵勢が現れた。

 夏樹はすぐにクーガーを向ける。走りながらの射撃では命中率が落ちるからと両手でグリップを構え直して発砲。

 喫茶店からとび出した男二人――どこにでもいそうな容姿の若い男――が、膨らんだ腰周りから何かを取り出そうとしたところで夏樹のシルバーチップに撃たれて坂道を転がった。四人はそのまま駆け上がり、さらに走る。高架下を潜り抜けようとした所で、試練が訪れた。琴音が、この場の誰よりも危機感知能力に長けた少女が叫ぶ。

「止まって!」

 アリシェットが大慌てで足を止め、慣性を殺し切れずに前へつんのめりそうになって甲高い銃声が線となってアルファルとの地面を砕く。ここは高架沿いの薄ら寂しい道だ。もしも、夏樹達の素性を知っている者ならば、こちらが民間人を犠牲にしてまで逃げようとしないことを調べているかもしれない。ならば逆に、こうした人気の乏しい場所に兵力を割く戦略をとっている可能性もあるのだ。今、彼らを前方から、真横から、斜め右前方から敵が五名も銃口をこちらに向けていた。それも、当たればまず致命傷を負う突撃小銃――アサルトライフルのAK四七のショートバレル・モデルを構えて。七・六二×三九ミリ(ファースト・カラシニコフ)弾の鋭さを砕けたアスファルトが明確に示していた。

(黒いマスクに、同じ服。あの時と同じか。つまり、敵さんはまだまだ余力を残しているってことか? それとも、今になって総攻撃を? どちらにしろ、こっちの動きが監視されていたってことじゃねえか!)

 焦りと恐怖、混迷しかける理性を夏樹は原始的な叫びで凌駕する。琴音が右手に投げ式ナイフを構え、キリエが王女を抱きかかえて地面へ転がるように跳んだ。――中軽量の高速弾が一斉に襲ってくる。

 半秒、夏樹の弾丸が前方の敵を一人撃つ。さらに半秒、琴音が投げたナイフが真横の敵の喉元を食い千切った。一秒と二秒、アリシェットがいた場所に弾丸が無数に飛び散り、キリエが肩と足を摩擦で傷付けながら命を拾う。全てが彼岸の向こうへ吹き荒ぶような間隙の五秒間。誰もが音を忘れていただろう。

 琴音が纏うコートの右脇腹部分が裂けた。夏樹の理性がとうとう沸騰しかけるも、少女が気丈にナイフを投げる。最後に残っていた敵の脳天に深々とナイフが突き刺さった。そうして、カランと地面に刃の欠片が落ちた。それは、少女のコートの内側から落ちた刃だった。遅れて先端が潰れた弾丸も転がる。

「琴音!」

「……脇差が折れただけよ。なんにも心配いらない」



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