097. 『安眠装置』


「――ああ」


 声と共に発した息が、白くなってふわっと消える。


 とうとう駄目になってしまったか。


 持って来た簡素な木のテーブルの上で、何とか踏ん張っていたパソコンが、とうとうディスプレイを真っ暗にして、黙りこくってしまう。


 パソコンが正常に動作する室温は確か、10度から35度であったか。温度計なんてもうとっくに壊れているし、ここが今どれ程寒いのかは、震えるこの身で大凡分かる。長居していいような室温では無いと分かっているが、空調も壊れたのでもうどうしようもない。


 白衣のポケットに手を入れた。


 暖を取る訳ではない。そもそも白衣なんて薄っぺらいもので、凌げる寒さなんて無いだろう。煙草を取り出す為だ。……煙草を吸っているなんて知ったら、兄さんは悲しむだろうか。医者か科学者になるって言っていたのに、不養生なんてどうなんだって。もう二十歳は過ぎてるから、勘弁して欲しい。


 それでも妙な罪悪感を覚えつつ、マッチで火を付けたショートピースを銜えた。


 軽くふかしてから、ちろちろと、フィルターの先から上る煙を、ぼんやりと眺める。


「…………」


 何だか、お線香みたいだ。


「……煙草は吸い方で、肺ガンの発症リスクが変わるんだよ。兄さん。煙をふかすタイプの人は1.72倍で、煙を吸い込むタイプの人は、3.28倍なんだってさ」


 当然、返事なんて来やしない。


 パソコンを奥に置く形で、手前に広げていた手記を見た。タイトルは、「醜悪なる起源」。この魔鉄まてつ戦争の始まりと、鉄側と魔法側という、壁により二分された世界で生きる二つの人種について、大まかにだが纏めておいた。もし誰かがこの手記を拾った時に、この世界の事を、少しでも伝えられるように。


 ……終わりを迎える心とは、こうも静かなものだったのか。


 右手で弄んでいたシャーペンを、ころころとテーブルに転がすと席を立つ。


 おんぼろのパイプ椅子だ。まだ動き回れるフロアから、何とか見つけて引っ張り出して来た。


 どんなに軽いものを乗せてもギシギシ嫌味っぽく悲鳴を上げるこいつより、警告音が喧しく、フロア全体に響き続けている。


 天井に設置された無数のランプは真っ赤に明滅を繰り返し、いかにもこの世の終わりって感じをしていた。「被検者の状態を保持出来ません。栄養状態、室内の湿度、温度等の確認を直ちに行って下さい」と、さっきから鳴り始めたアナウンスは、ずっと煩いし。


「……もう必要無いんだよ。時間なんだ」


 丁度天井を見上げると、スピーカーがあったので言ってみた。


 当然こちらも、返事なんて帰って来ない。


 この国営病院の生き残りは今し方、もう私だけになったのだ。


 擡げていた顎を下ろし、じっとフロアを見る。


 地下駐車場のような殺風景な室内に、もう、何千人もの人々がぎっしりと、カーテンに仕切られたベッドの中で横たわっている。揃って頭には、ヘッドギアのような医療器具を装着し、苦しみから解放されたような、それは安らかな死に顔を晒していた。


 このヘッドギアのような医療器具の名は、安眠装置。開発のヒントは夢殺むさつの魔法使い、ザスパー・アガッツァーリの魔法から得られている。使用者の生体機能を極限まで削ぎ落し、仮死に近い状態にまで陥らせ、そのまま寿命が尽きるのを待つ間、脳に電流を送って夢を見せる為の装置である。


 安楽死させるにも物資不足で薬が無いので、使い物にならなくなった負傷兵に、寿命が来るまでこいつを被せ、ゆるゆると楽に死なせてやる為に作られたのが始まりだが、次第にその対象は、民間人にも及ぶ。鉄側が撒き散らした化学兵器と、魔法側が降らせた魔力という、未知の物質が結び付いた事により現れた不治の病、壁裂症へきれっしょうに罹患してしまった患者は、次第にこの安眠装置による、「終末治療」を望むようになった。死を迎える為の医療。いかに苦痛を取り除いて死なせてやるかという、医者として一種の諦めのようなこの分野に、まさか自分が関わる事になるなんて。


 ああ、でも、そんな事よりも。


「――経っちゃったって事か。あの日から、252,288,000秒」


 年単位に置き換えると、八年分。


 兄が倒れてから、もう八年。


 私は二十三歳になり、兄はもう、二十五歳になった。


 兄は高校二年生の春、学校の健康診断に引っ掛かり、元々壁裂症へきれっしょうを抱えていたという事で、そのまま終末治療の為に入院した。寿命が近付いて来ると幸せな夢が始まるように安眠装置を設定すると、仮死状態へ。そこからの八年間、世界は凄惨と表しても足りないぐらいの、惨たらしい戦いを繰り返す事となる。


 ただ、この入院に、本人の意思など無い。


 両親は戦争に巻き込まれ死んだし、そもそも壁裂症へきれっしょうには、治療法が無いのだ。物資も食糧もどんどん減っていく中、仮死状態になり救援を待つという事は、何も愚かな事じゃない。寧ろ効率的だ。ただ、苦しくなっていく戦況下で、もし奇跡的に回復した場合、すぐにでも戦地に送り込めるよう、夢の中で実際の魔法使いを元に作られた、仮想の敵との戦闘経験を積ませる事は出来ないかという実験が政府により始まったのは、安眠装置の開発者であった私の師も、想定外だった。ましてその弟子である私が、装置と罹患者の管理を担う事になるなんて。


 本人の意思の確認も取らず、どうやって病室に連れ込み、安眠装置を装着させるかって? そんなもの、それこそ健康診断なりの適当な理由で病院に呼び出し、睡眠薬入りの水を、あたかも待合室に備え付けられたウォーターサーバーから取ってきましたという顔をして受付にでも持たせ、対象の患者に「どうぞ」と一服盛り、意識を失った間に病室へ運んで、安眠装置を頭に被せればいい。あとは装置の電源を入れれば、仮死状態になってだんまりだ。こちらが操作しない限り患者は――。いや、あくまで健康診断という体なんだから、被検者・・・か。被検者は、絶対に目覚めはしない。たとえ意図して、安らかに死を迎える為の幸福な内容から、魔法使いと戦わされるという惨い夢に、叩き落されていたとしても。

 

 被検者が意識のある間に揃って最後に聞く、コツンという音は、ウォーターサーバーから持って来たと思わせて盛られた、睡眠薬入りの水が入った紙コップを落とした音だ。



 「死神のひづめ」という、安眠装置に関わる仕事に従事する者を示す名は、この強引な方法から名付けられている。



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