095. サイゴノコトバ。


 そう、俺の油断が誘ったかのように、今西の剣が大きく弾かれた。


 それはほんの一瞬の隙を突かれ、頭上に打ち上げられた剣に、今西は体勢を崩す。


 咄嗟に俺が、カバーに入った。


 ルートエフが今西に、頭上から叩き込もうとした右手の剣を割って入るように受け止める。激しく火花が散り、大木でも振り落とされたような圧力に思わず仰け反り、姿勢を崩されそうになった。


「ぐっ……!」


 だがその間に体勢を整えた今西が、俺の右手に回り込み、右から左へと掬い上げるように、ルートエフへ剣を放つ。ガラ空きになったルートエフの右半身へ――今西の万喰らいが食らい付いた。脇から潜り込んだ切っ先は、ルートエフの右腕を根元から切り落とす。切断された右腕は剣を握ったまま、ぶんっとルートエフの背後へ吹き飛んだ。


 今西の斬撃に、ルートエフは悲鳴も上げずに大きく仰け反る。


 そこに俺は腹への蹴りを放つと、爆破魔法をかけた万喰らいを、頭上から叩き落した。


 だが腹部で、どっと鈍い痛みが広がる。


 衝撃で肺から空気を押し出され、息が止まった。


 ルートエフだ。


 右腕が切り落とされたのにも構わず、俺を蹴り飛ばすと間合いを取る。


 俺は吹き飛ばされ、後ろに大きくよろめいた。


 その刹那にルートエフは、逆手持ちにした鞘を翳し、独楽のように身体を右回転させた。その瞬間、付力魔法を更にかけられた鞘が黒く輝き、刃のように俺達に襲い掛かる。咄嗟に身を引いた今西は両手を、よろめいて身動きが取れない瞬間を狙われた俺は、胸に真一文字の斬撃を浴びた。


「がっ……」


 目の前が、胸から噴き出した血で真っ赤に染まる。


 俺の傷に、今西の息が止まった。


「荒井く――」


 構うな。


 痛みを堪え、死への恐怖も堪え、そう強い力を込めて、今西を見た。


 打ち込むんだ。今西。


 絶叫を飲み込み、剣を握り直しながら、戸惑いに揺れるその目をじっと見る。


 帰るんだろう。一緒に。


 ならどうか、その手を貸してくれ。


 今西は、ほんの短く頷くと――強い目に戻って、前を向いた。


 それを見送りながら踏み出していた俺は、三百六十度回転し、着地しようとするルートエフに、狙いを定める。


 今にも心臓が、止まるんじゃないかって思う。


 失血して、死んでしまうんじゃないかとも思う。


 勝てたとしてもこんな海の真ん中じゃ、やっぱり助からないんじゃないかと思う。


 思う。思うけれど。


 あらゆる恐怖を飲み込み、氷を蹴った。


 今西も、ほぼ同時に同じく跳ぶ。


 この絶望を、終わらせる為に。


 元の世界に、帰る為に。


 今ここで――全ての幕引きを!


「「うおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」」

 

 着地の瞬間を狙い、ルートエフの懐に飛び込んだ俺達は、その胸に万喰らいを突き立てた。


 二つの黒刃こくじんは、群青と蒼の尾を引いて、深々とルートエフの胸を貫く。俺は右、今西は左へと、そのままルートエフの胴体を両断するように、万喰らいを引いた。同時に左右へ切り開かれた胸の傷は、ルートエフを真っ二つに断ち切り、それぞれの刃に乗せていた、雷の魔法と爆破魔法を受け――。跡形も無く吹き飛んだ。


「荒井君ッ!!」


 まだ、青と群青の光が尾を引く中、氷上に倒れ込んだ俺に今西が駆け寄る。うつ伏せに倒れた俺の肩を掴んで、仰向けにさせると、頭を膝に乗せた。


 俺は、万喰らいを離した右手でウエストポーチを漁ると、最後の霊薬を取り出す。今西が飲んだので残りは三分の二程になっているが、足りるだろうか……。


 朦朧もうろうとした意識の中、そんな事を考えていると、俺の右手から霊薬を奪うように取った今西が、コルクを引っこ抜いて俺の胸に霊薬をかけた。もう、語れるような程度じゃなかった胸の痛みが、みるみる引いていく。


 ……ぼんやりとしかけた意識がはっきりしてきて、今西の悲痛な呼びかけにも漸く気付く。


「――荒井君!? 荒井君!? 大丈夫!? しっかりして!」

「あ、ああ……。もう大丈夫さ……」


 笑いかけると、今西は両手で口元を覆い、じんわり涙を滲ませる。


「……もう、突っ込めなんて言うから……!」

「はは……。アイコンタクトって、やつだな……」

「笑い事じゃないよ! もう!」

「悪い悪いって。……それより、ルートエフの奴は?」


 今西は、血塗れの手で涙を拭いながら答えた。


「いなくなったよ……。私と荒井君の魔法で、粉々になった」


 俺は今西の言葉に、恐る恐る身体を起こすと、辺りを見渡してみる。


 ……確かに何も無い。ルートエフは、木っ端微塵になっていた。


「……勝った、のか?」


 まだ信じられなくて、今西に尋ねる。

 

 今西は涙が止まらないのか、本格的に泣きそうになりながら口を開いた。


「うん。勝ったよ。一緒に。これで帰れるよ……。荒井君……!」

「…………」


 俺は言葉の意味が分からなくて、暫くぽかんと今西を見る。


 じわじわと、理解してきたのか実感が湧いてくると、立ち上がって、今西の脇腹を掴んで抱え上げた。


「――やっ……たああああ!!」


 がばっと持ち上げられ、目を丸くする今西を下ろすと両肩を掴む。


「やったなあおい! これで俺達……元の世界に帰れるぞ!」

「う……うん! やったよ荒井君!」

「マジかよ夢みてえだ……! あっでも、どうやってここから出られるんだ!?」

「え、えーっと、ルートエフがこの夢の世界の親玉だったなら、もうすぐ覚めると思うけれど……!」


 なんて、氷の上できゃーきゃー言っている間に、強烈な眩暈に襲われる。睡魔……のような。


 今西も同じものを感じているようで、額に手を当てた。


「何だろこれっ……? 帰れるって、事……?」


 今西の声を聞きながら、ふと、辺りに目を向ける。辺りの景色が水彩絵の具のように、じんわりと溶け始めた。単に、重くなった瞼が落ちて来ているだけなのかもしれない。でも、このタイミングでこんな事が起きるという事は、きっとそうだ。


「ああ……! きっとそうさ……! ――今西、俺、検査が終わったら、また会いに行くからさ。もう暗い事考えるのはやめろよ?」


 眠気を誤魔化すように、目を擦りながら今西は笑う。


「ふふ。もう何よそれ……! 荒井君こそ、ちゃんと言えてない事あるんじゃない?」

「あ、ああ……! そうだったな……! 最後だし、ここで伝えるよ……!」


 帰れる。これで、元の世界に。


 戦争中だろうと、病気を抱えていようと、そんな事関係無い。現実が……。どうとでも変えていける、未来というものがある場所へ、今西と。


 俺は達成感と、その喜びに涙を滲ませながら、泣き笑いになって思いを告げる。



「今西、俺、お前の事――」



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