092. 血も、傷も、痛みも越えて。


「ぐあっ!?」


 視界が、雪雲に覆われた吹雪く空から、黒い光と赤い飛沫に塗り潰された。余りの激痛に、意識が飛ぶかと思う。


 ……ルートエフか……!


 歯を食い縛りながら右を見ると、剣を振り下ろしたばかりのルートエフが、凄まじい勢いで迫って来る。


 さっきやったみたいに、氷の魔法を纏った斬撃を放ったんだろう。もう、空へ伸ばした俺の右腕は凍り付き、めちゃくちゃに切り裂かれていた。形が辛うじて保たれているのが奇跡である。


 だとしても、負けるものか。


 ぼろぼろになって感覚が消え、勝手にぶらりと垂れ下がっていく右腕に目もくれず――。飛び散る血が目に入りながら、左腕を伸ばす。


 もう十歩先にまで、近付いてくるルートエフ。兜で表情は全く読めないが、真っ直ぐ俺を見据えているのは分かった。ルートエフを全力で追う今西も、目の前に映る。


 そして万喰らいは、吸い込まれるように――俺の左手に収まった。


 地獄のように長い刹那を越え、左腕一本で万喰らいを構えると、血を撒き散らしながら、ルートエフへ飛び出す。


 右腕を治すのは後でいい。


 ルートエフの肩越しに、今西へ目で訴えた。


 今はこの、ルートエフの前後を取れているチャンスを、最大限に活かすんだ!


 それまで、不安そうな顔でルートエフを追っていた今西は、迷いを払うように俺をじっと見て、短くも強い頷きを返す。そして同時に、ルートエフへ斬りかかった。


 俺は、左肩から右脇腹へ、今西は右肩から左脇腹へと、頭上に掲げた剣を、ルートエフへ振り落とす。


 だがルートエフは、分かっていたように右足で踏み切ると、左手で鞘を抜きながら身体を左回転させ、俺の攻撃は左の鞘で、今西の攻撃は、右の剣で受け止めた。マントを翻し、独楽のように鋭く回るルートエフに、堪らず俺達は弾かれる。左腕一本で攻撃した俺は、一際大きく離された。


「クソ――!」


 雪に紛れるように、剣と鞘が触れ合った瞬間生じた火花が散る中、三百六十度回転したルートエフが着地する。俺はその隙に足元に剣を刺すと、左手でウエストポーチから飲みかけの霊薬を取り出し、右腕を確かめながら飲んだ。


 当然ルートエフはこの隙に向かって――来ない?


 ルートエフは鞘をしまいながら、俺に背を向けると氷を蹴り、吹き飛ばされた今西に飛び掛かる。


 てっきり俺を狙うと思っていた今西も、予想を裏切るルートエフの動きにぎょっとする。


 俺に攻撃を仕掛けるだろうと先読みし、背後を取ろうと動き出していた今西は、突然向き直ると飛び掛かって来たルートエフに右からの薙ぎを放たれた。咄嗟に剣で受け止めるも、体勢が乱れ押し戻される。


「う……!?」


 ルートエフは、振り切った剣の切っ先を頭上へ翻すと、踏み込みながら今西の頭へ振り落とした。


 今西は氷を蹴ると宙を舞い、ルートエフの頭上を跳び越え剣を往なす。氷を叩き割ったルートエフは透かさず振り返ると、背を向ける格好で着地した今西の背に斬り掛かった。


 今西が屈んだまま、何とか対応しようと振り返った瞬間に、俺はルートエフへ風刃ふうじんを放つ。


 風刃は、身を捻りながら立ち上がろうとした今西の頭上を走り、上段から剣を叩き込もうとした、ルートエフの胴を捉え吹き飛ばした。タイミングがよかったのか、今西の意表も突いた攻撃は、数歩ルートエフをよろめかせ押し戻す。


 今西はその隙にルートエフへ向き直ると、俺が後ろにいるのを一瞥で確めた。その目線に、「動かないで」と訴えられたのを感じ取る。ルートエフへ顔を向け直すと、両手で握った万喰らいを――。背中にまで振り上げた。バチッと蒼い光が、刀身を這うように走る。


 雷の魔法だ。


 刀身を這う光は、徐々にその激しさを増し、瞬きの間にも、刀身全体を蒼く激しく輝かせた。


 後ろへよろめいたルートエフが、何とか氷上に持ちこたえる。


 その瞬間、今西は万喰らいを前方へ振り下ろした。


「――行って、荒井君ッ!!」


 蒼い光の塊が落雷のように、蛇のように不規則な軌跡を描いて、ルートエフへ迸る。


 ルートエフが、両手で剣を握った。


 ――付力魔法だろうか。ルートエフは黒い光を纏うと、走って来る雷を剣で受け止めた。雷を通していないのか、魔力を纏ったルートエフの全身は黒く光るだけで、感電している様子は見えない。だが今西の魔法が凄まじいのか、耐えるように足を大きく開き、押し留まろうとする。然し、その重厚な鎧を纏う長身を支える足が、押し返され氷を削る。


 今西が雷の魔法を放ち、ルートエフとぶつかり合うまで、時間にすれば、ほんの数秒。


 でもそれは、この戦いの中では、十分な隙となる。


 ありったけの魔力を全身への付力魔法を変え、俺は今西を跳び越えようと、氷を蹴り上げた。割り抜いた氷が、巨大な鉄球でも打ち込まれたように、何十メートルも表層を剥がして飛んで行く。


 余りの勢いに、今西を巻き込んでしまったかもしれないと思いつつ――。雷の魔法が、今西とルートエフの間合いを駆けると同時に、空へ身を躍らせた。


 足元の氷上では、ルートエフが今西の魔法を受け止め、雷を左右に切り裂く。雷が過ぎ去り、ルートエフが僅かに後ろへ押し込まれた時――。完全に無防備になったその瞬間、俺はルートエフの頭上で、万喰らいを頭上に掲げた。そこで刀身が深い、群青色の魔力に初めて輝く。


 これが、俺の魔力の色なのか。


 ラトドさんが言っていた。しっかりと魔法を扱えている時にだけ、魔力はそれぞれの使い手の色を示し輝くと。


「――おおおおおおおおッ!!」


 叩き込まれた群青の一閃に、一瞬視界が塗り潰された。その一撃は、氷に蜘蛛の巣状の亀裂を深々と刻み、氷の海を巨大な氷塊に変えて吹き飛ばす。


 手応えは……。


 氷塊と共に、遠く前方へ吹き飛ばされていくルートエフが、嵐のように荒れ狂う、群青の魔力の隙間に映った。初めて氷に叩き付けられたルートエフは、すぐに起き上がろうとするもぎこちない。


 当然その隙を、俺達は見逃さない。



 既に走り出していた今西に、着地した俺は付力魔法で追い付くと並走する。



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