086. ブラックアウト


「――ッ!?」


 俺は咄嗟に氷を蹴り、空中前転で矢を往なした。


 矢が過ぎ去っていく様は嘘のように一瞬で、浮かべた冷や汗がもう干上がる。


 投げ飛ばされた先で氷を転がりながら、何とか四つん這いで態勢を整えたばかりの今西を迷わず目指した。今西は腕から先に着いたようで、遅れて氷を削る足が弧を描く。


 だがルートエフは、安堵する暇を与えない。今西と合流させたくないのか、走る俺へ続けざまに三本の矢を放つ。


 今西への道を塞ぐように、進行方向へ先読みして放たれた一本目は急停止して過ぎるのを待ち、足を止めた瞬間を狙ったように飛んで来た二本目は前進で躱す。最後にこめかみを狙われた三本目は、スライディングで前へ飛び出すと何とか凌ぎ、すぐに体勢を立て直し氷を蹴ると、一気に今西の元へと辿り着いた。瞬きも出来ない猛攻を切り抜けると、今西を守るように前に出る。


 丁度起き上がった今西は右手の剣をくわえると、着地の際、砕けて両手の中に入った氷を、ルートエフへ投げ付ける。付力魔法をかけた両腕で砕きながら放たれた氷は、つぶてのようになり、無数の弾丸のように襲い掛かった。礫には何か魔法をかけているのか、蒼い尾を引いて飛ぶ。余りに的が多過ぎるのと小さ過ぎるので、矢では全てを落とせない。


 ルートエフは透かさず左手でマントを掴むと、身を包むように翻しながら背を向けた。空気を含んで膨らむマントに今西の礫がぶち当たり、ルートエフの輪郭を浮き上がらせながら、耐えるルートエフの姿勢を僅かに崩す。一つ一つに貫通能力を施したのか、凄まじい音を立てながらルートエフにぶつかる礫は、その場にルートエフを屈み込ませた。礫は鎧に弾かれているが、その僅かな一瞬の間、ルートエフの視界を完全に封じる。


 今西を巻き込まないように、一人で跳んだ。


 すっかり丸められたその黒い背へ、頭上から剣を振り下ろす。


「――いけえッ!!」


 裂傷魔法と火の魔法を合わせた一撃を、ルートエフへ叩き込んだ。


 裂傷魔法の亀裂は氷にまで走り、そこを万喰よろずぐらいから噴き出した火が駆ける。火と裂傷、そして、付力魔法で強化された勇者の膂力が、衝撃となって砕いた氷を吹き飛ばした。


 貫ける筈だ。今西の魔法を見て、これまでの戦いの経験を活かし、最高の威力を引き出せた一撃なんだ。


 亀裂は深々と走り、何十メートルも氷を剥ぐと、辺りへ紙屑のように吹き飛ばしていく。


 だが不気味な手応えが、しっかりと伝わっていた。


 キリキリと、黒板を爪でひっかくような、耳障りな音が僅かに聞こえる。


 辺りの氷が剥がされていく直後には、それは動いた。


 マントを掴んでいたルートエフの左腕が、ぶんっと大きく振るわれる。


 嘘のように健在だった。


 纏わり付いていたマントを払ったのと同じような気軽さで、後方へ押し戻される。


 俺は着地すると本能的に、両手で正中線に剣を構えた。


 何が起きたのか分からなかった。


 頭が真っ白になって、集中が一瞬途切れる。


 キリキリという耳障りの音の正体が、鎧に押し返されている刃の音だったという事に、どうしてか今気付く。


 左腕を振るいながら立ち上がったルートエフの右半身から、弓から剣へと戻っていた漆黒が姿を現す。立ち上がりながらこちらへ歩き出し、数歩進んだ先で――。喉の周りに引き付けるように肘を曲げた右腕から、黒い魔力を纏った、一閃が放たれた。


「荒井君ッ!!」


 今西の、絶叫のような呼びかけに我に返る。


 だが時は止まらない。


 半円を描いた黒い斬撃が、鼻先に迫る。



 目の前が、蒼と黒に塗り潰された。

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る