085. 氷上の騎士
まさに八方塞がりというように迫ってくる瓦礫達に、堪らず俺達は氷を蹴って空へ逃げる。円を急速に狭めて飛んで来た瓦礫は、木っ端微塵に吹き飛んだ。瓦礫は俺達が跳んだ高さまで、バラバラになって宙を舞う。
足元で散らばる牙の残骸に気を取られそうになりながら、辺りに目を向けた。他の瓦礫は、動いている気配は無い。だが警戒は怠らず、着地するとすぐに剣を構えた。
俺は右手、今西は左手に立ち、吹雪の中、自壊し始めた最後の牙を睨む。
スケルトンは、一匹も吐き出していない。ただがらがらと崩れ、頭から身を縮ませ……。もう、二メートル程にまでなっていた。
「…………」
どうしてか、お互いに黙る。
自壊という想定外にではなく、その二メートルぐらいになった牙が、人影のように見えて。
それを捉えた瞬間、煩わしい事に吹雪が増した。
一際激しい、突風のような風が吹き、思わず腕を翳して目を伏せる。一陣の風は雪を攫い、不思議な事にその一瞬で、あれだけ吹き荒れていた吹雪が止んだ。
しんとした、透明に凍り付いた海に戻る。
磨き上げられたような銀盤の上に、そいつは立っていた。
重厚かつ、肌を一切露出しないデザインの黒い西洋甲冑と、足首まである黒いマントを纏った、漆黒の騎士。
背が高い。190センチはある。腰の左手には、スケルトン達が持っていた剣を思わせる黒い直刀を提げ、崩れ果てた最後の牙の中から現れたように、真っ直ぐに俺達を見据えて立っていた。兜の奥に光る、その目の色は全く読み取れない。
吹雪が止んで、奴の後ろの景色が、はっきりと見え始めた。
陸が見える。大きな……。島? だろうか? 海岸の先には、雪に染まった広葉樹林が繁り、雪山がぽっかりと浮かんでいるような、それは寒々しい姿をしていた。
あれが、数多の冒険者が挑み敗れた、未開の地。
つまり伝説は、本物だったという事だ。
そして矢張り、今俺達の目の前にいるのは。
「……ルートエフ」
ルートエフはゆっくりと、余裕とも取れるような緩慢な速度で、剣を抜く。切っ先は空を切ると、そのまま弧を描いて、氷上へ落ちた。
鞘を握った左手は、そこからじっと動かない。
まるで、俺達が動き出すのを待っているように、指一本すら。
空気が、キリキリと張り詰めていく。
俺は、加速度的に鋭さを増していく緊張を、不敵な笑みで打ち破った。
「――お前が来るのを待ってたぜ」
怯える心を振り切って、頭上へ高く剣を振るう。
叩き下ろした切っ先は氷を砕き、
ルートエフは、
だが問題は無い。
今のはただの挨拶であり、起点だ。
俺が風刃を放つと同時に、付力魔法で氷を蹴っていた今西が、剣を薙いだ直後のルートエフの懐に潜り込む。
ルートエフの右腕は、まだ振り切られたまま。
今西は、俺が作ったその隙を逃がすまいと――収めていた剣に手をかけ、抜刀しながら斬り上げた。
火花が散る。
ルートエフが左腕を翳し、袈裟斬りを叩き込もうとした、今西の刃を掴んだ。
鎧に傷を与える事は出来たのだろうか。そう思う隙も無く、刃を掴まれた今西は、腕一本でルートエフの左手へ投げ飛ばされる。既に付力魔法を足に施していた俺は、今西のカバーに向かおうと氷を蹴った。だがルートエフはその場から動かず、妙な動きを見せる。
真っ直ぐに伸ばされたままの右腕の手首を回し、掌を氷から空へ向けると、そのまま肘を脇腹に引き寄せる。
両刃の直刀は、峰から左右真っ二つに分かれると、柄頭を繋ぎ目にするように、見開きのように広がった。薄い二枚になった刀身は、中央の辺りからルートエフに切っ先を向けるように反りを持ち、そしてその中に収納されていた鋼鉄の弦を、二つの切っ先で張り詰めさせた。
黒い直刀が、瞬きも出来ない刹那で弓と化す。
ルートエフはその間に、右半身を前に置くように立ち直ると、弓を握る右腕を前へ翳し――。矢筒も無いというのに、見えない何かをつがえ、弓を満月のように引き絞る。
――氷だ。
今西の方へ走りながら、目を疑う。
ルートエフの左手に、氷の矢として、足元の四方から氷が集まっていく。
その冷たい銀色の矢尻は――迷わず俺を捉えた。
電車が突っ込んで来たような、凄まじい圧で放たれた氷の矢が、突風を起こしながら放たれる。
ルートエフの剣が弓に変形して、矢が放たれるまで僅か二秒。
無論氷上を駆ける矢は、それよりも遥かに速い。
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