082. リスタート
俺に見つめられていく内に、徐々に今西の目は落ち着きを取り戻しにいき、やがて静かに俺を見た。
「俺も……。元の世界に帰るのが怖い。今こうやって、口するだけでも震えてくるよ」
腕を掴む両手から、震えが伝わっているのだろう。今西は自分の腕を見ながら、俺を見つめ返す。
「なら……」
「でも、やっぱり俺は、元の世界に帰りたいよ」
また、戸惑いに大きく揺れる今西の目を、真っ直ぐ見て言った。
「……帰った所で、希望なんて無いのに?」
俺の言葉を信じたくないように、今西は問う。
「ああ。無いけどだよ」
「どうして……?」
「夢の中で……。魔法使いなんかに殺されるなんて、冗談じゃないからさ」
「抜け出せても、現実が待ってるんだよ? ここより残酷で、どうしようもない」
「それでも俺は、現実でお前と話したい」
俺は強く、今西の両腕を掴んで言った。
「……確かに無えよ希望なんか! くそったれな事ばっかりさ! でも少なくともここに留まってちゃ、殺されちまう……! でも元の世界に戻ったら、治療法が見つかる未来だってある筈だろ!? その未来を、俺は……! 信じてみたいんだ!」
「分かんないよ、そんなの!」
今西は、聞きたくないと言うように俺の手を払う。
「目が覚めたら、この世界より悪い状況になってるかもしれない、もう自分で起き上がれない病状になってるかもしれない! 私そんなの、耐えられないよ……! これ以上、何を奪われないといけないの!? 何が戦争よ……! 勝手に一部の人達が始めた争いに、何で私達が巻き込まれないといけないの!?」
「だからってこのまま、訳分かんねえ世界の都合に流されっ放しで、お前は本当にいいのか!? 戦争で住む場所を追われて、病気になって、夢の中でさえも、誰かのいいようにされて!」
「もう黙ってッ!」
「うるせえ! 俺はお前を置いてなんか、絶対行かねえからな!」
頭を抱え、また涙を流し始めてしまう今西に、懸命に訴えた。
もうここで、仲違いしたって構わない覚悟で。
「引き摺ってでも、一緒に元の世界に帰るからな! ――俺は嫌だぞ。眠ったまま動かないお前に、会いに行くなんて……! 確かにクソみてえな現実しか待ってねえよ。ここにいたって出て行ったって、近々死んじまうんだろう俺達さ。でも現実には、未来がある……! 誰の好きにも出来ねえ、俺達の手で作っていける未来が! 今西、俺はまだ、諦めたくねえんだよ……! ――馬鹿な事言ってるのは分かってるさ。前向きにも度が過ぎるって笑ってくれ。でも俺は……! まだ、生きてたいんだよ……! お前と、夢の中じゃなくて、現実で……! こんな所でいるなんて、寂しい事言わないでくれよ……。そんなの俺、どうすりゃいいんだ……。お前を置いて行くなんてそんな、遠回しにお前を殺すような事、出来ねえよ。……なあ? 一緒に帰ろうぜ? 戦いたくねえってんなら、俺がルートエフと戦うさ。俺が、守ってやるよ。夢の中でくらい……。幻の中でぐらい、お姫様を助け出す、勇者でいさせてくれ……。お前がいない未来なんて、耐えられねえ……」
俺ももう、泣きそうになっていた。
本当に、情け無い。
気の利いた言葉の一つも浮かばず、励ます事も出来ず。ただ俺が、見捨てる事が出来ないから、一緒に来てくれと縋って。
結局今西を、苦しませているだけじゃないか。
「……何よそれ」
罪悪感と自己嫌悪に苛まれていると、ふと、弾けるような声がした。
見ると今西が、拳を口元に当てて、くつくつと肩を揺らしている。
「――デートしよう。荒井君」
「えっ?」
「元の世界に帰ったら」
今西は微笑みながら言うと、残っていた涙を拭った。目は赤く腫れているが、もう涙は流していない。
「ルートエフをやっつけて、元の世界に帰れたら。でも私院内生活で歩けないから、車椅子でちょっと庭に出られるぐらいだけれど」
今西は俺が渡したハンカチを、丁寧に畳むと手渡してきた。
「君の隣で、私に夢を見させて下さい」
そして、その手を伸ばしたまま、俺の目を真っ直ぐ見据えて続ける。
「……荒井君となら、幻の中だろうと、地獄みたいな
その、僅かに照れたような笑顔に、俺はやっと、その言葉を理解し始める。
「……えっと、それはつまり……」
取り敢えずハンカチを受け取ろうと、ゆっくりと手を伸ばした。
然し今西は口を尖らせると、ハンカチを握った手を引っ込める。
「ちょっと先に返事は? デートするの? しないの?」
「ああいや、し、します……」
「っていうか今の、荒井君から告白してきたんじゃないの?」
「えっ!? いい、いや、さっきのは咄嗟に……」
「本音が出てしまった?」
「か、勘弁してくれよ……」
「あははは。でも嬉しかったよ。あんまりカッコよくはなかったけれど」
刺さるぅ!
その、「あんまりカッコよくはなかったけれど」って言葉、刺さるぅ!
タイナちゃんにキモいと吐き捨てられた警備兵さんのように、胸を掴んだ。
「あはは! まあーいいじゃん行こう行こう!」
今西は今度こそハンカチを渡して来ると、笑って滲んだ涙を拭う。
そりゃあ毎日なんて超マメにお見舞いに行ってたのも、タイミングを窺ってた部分もあったけどさ。いつ告白しようかなって。でも不謹慎かなって、ずっと黙って見守ってたんだ。
「いつから私の事、そういう目で見てたの?」
「いいじゃねーかよもう! さっさと終わらせるぞ! こんな夢!」
俺はハンカチをしまったリュックを背負い直すと、海を指差す。今西はまだけらけら笑っていたが、いい加減気を引き締めた。馬鹿にしやがってもう。
「……うん。行こう行こう」
今西は、海へと向き直った。
その背中からは、冗談を言っていた時のような、親しみやすい雰囲気が消えた。
「でも嬉しかったよ。入院してから、毎日お見舞いに来てくれて。いつも言い損ねてたけれど」
「分かってんじゃねえか」
「まあまあまあ。じゃあ
「えっ。マジ?」
「はぁーいここまででーすレッツゴー!」
「あっ、おい!?」
凍った海へ駆け出す今西の背中を、慌てて追う。
想定外の事は起きたが、もう大丈夫だ。最後の戦いを目指し、俺達は走り出す。
絶対に帰るんだ。
地獄よりも惨たらしく、不確かという未来がある、元の世界へ。
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