081. 現ヨリモ素晴ラシキ。


 ……魔法側に、住む場所を追われて。


 壁裂症へきれっしょうを患い、歩けなくなって。


 それでも笑みを絶やさなかった今西が、小さくなって泣いている。


「馬鹿な事言ってるのは分かってる。夢かもしれない、ただの魔法使いに見せられてる悪夢かもしれないのに……! 家族に会えなくなる事より、友達に会えなくなる事より、二度と目が覚めない事より、もう本当に、あの世界で歩けなくなっちゃう事の方が、ずっと、怖い……!」


 俺は、胸が押し潰されてしまいそうになった。


 元の世界には、絶望しか無い。


 魔鉄戦争に、鉄側の勝機が無い事は、今西の方が分かっている。俺も今西から話を聞いて、とても勝てるとは、思えなくなった。この世界に迷い込んでいる間にも、徐々に追い込まれているだろう。いや、もう、駄目かもしれない。今西が住んでいた、沿岸部であった筈の魔法側の進行が、内陸部の俺が住んでいた町まで及んでいると考えられる現状があるという事は、もう、日本は。


 戦況がどうなろうと既に今西は、不治の病に蝕まれている。元の世界に戻った所で、怯えて死を待つしか無いのは、同じなのだ。


 元の世界に、希望なんて無い。


 でもだからって、この世界に留まる方が、幸せなのだろうか。ただの、俺達を殺す為に用意された、魔法使いの悪夢だったとしても。


「……考えるまでもないよな」


 俺の言葉に今西は、涙を拭いながら振り返る。


 俺は肩を竦めると、乾いた笑みを浮かべた。


「最初は冗談じゃねえって思ったけれど、慣れちまったらこっちの方が、よっぽど居心地がいい。元の世界より。空気は美味いし、景色は綺麗だし、平和で、長閑で。どっちの世界の方がいいかって訊かれたら、そりゃあこっちの方がいいって、誰だって言うだろうさ。……俺だって、そうだよ」


 意味なんて、あるのだろうか。このやり取りに。


 そう思いながら俺は、口にする。自分を受け入れる為にも。


「……検査の為に、病院にいたのは本当なんだ。春の、学校での健康診断に引っ掛かって……。でも、今年の一月を最後にお前のお見舞いに行かなくなったのは、面倒臭くなったからとか、お前を忘れてた訳じゃないんだ。その……。それには、事情があって……」


 意味も無く、足元の砂利を見る。分かってるけれど、そこに気の利いた言葉なんか、落ちちゃいない。


 それでも砂利を見つめたまま、唾を飲み込んだ。


 ……頭の中に用意した言葉を、じっと見つめて、覚悟を決める。


「……俺も、壁裂症へきれっしょうだったんだ。体調が悪くなってて、一般のクラスから、特別支援学級に移ってて。戦況も厳しくなってきたのか、外出を控えるようにって、国からも指示が出てたから……。それまでみたいに毎日のように、お前に会いに行けなくなってたんだ」


 今西は、俺を見たまま固まる。


「……嘘」

「嘘じゃないさ」


 肩を竦めて、苦笑してみせた。


 本当に苦々しくて、さっき食べた魚の肝を思い出す。


「寧ろ急に来なくなった俺に、怒らなかったのがびっくりだった。地下採石場で会った時」

「お、怒る訳無いじゃん……。そんなので」


 今西は、目を擦りながら言った。


「……いつも、来てくれてたもん。黙って学校休んで、そのまま休学した後も、ずっと……。最初は皆来てくれたけれど、荒井君だけだったもん。何にも入院の理由とか、何で休学したのかも話さなかったのに、い、いつも会いに来てくれたの……」


 しゃくり上げながら言う今西に、俺は困って笑ってしまう。


「当たり前の事しただけさ。友達だろ?」


 背負っていたリュックを下ろすと、タオルを探した。一枚ぐらい、入っていそうだが。外のポケットにハンカチを見つけて、それを今西に渡す。


 今西は俺が近付くと、慌てて立ち上がった。背を向けながらハンカチを受け取ると、ごしごしと顔を擦る。


「だから俺も、元の世界に帰るのが怖いよ」


 今西は、まだ涙に濡れた顔を、こちらに向けた。


「……病院には、健康診断で来てたけれど、俺ももうすぐ、入院するんだ。主治医の先生もいて、多分、お前と同じ病院に。俺だってもうすぐ、自由に動けなくなる。足が、あんまりよくないんだ……。体力も落ちてるし、食欲も出なくなってるし……。だから俺も、この世界に来た時、驚いたよ。まるで治ったみたいに……。健康な時よりも、元気に動き回れて。やっぱり、怖かったけどな。急に勇者だとか何とか言われて……。でも、嬉しかったよ。オマ村とか、ワセデイの為に、こうやって戦えたのは。俺、夢だったからさ。元の世界で、誰かを守ったり、助ける事がしたいって……。かすみみたいに頭はよくねえから、手っ取り早いのは志願兵かなって思ってたんだけれど、家族がそんなのやめろって言うし。徴兵が始まった頃には壁裂症にかかってたから、この様なんだけれど」

「……徴兵なんて始まってたの?」


 今西は、目を見開く。


「この春ぐらいから、ちょっとずつな。話自体は年明けぐらいに国から発表されてて、心配させるかなって、お見舞いの時には言わなかったんだけれど」


 今西は向き直ると、ハンカチを握ったまま、俺にしがみついて来た。


「そんな……駄目だよ! 兵隊なんて! 絶対に勝てない……死んじゃうよ、荒井君!」


 今西の両腕を掴みながら、その恐怖に歪む目を、じっと見る。



「だから、ここにいたいって思うお前の気持ちは、分かる気がするよ」



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