062. コノ世界ハ。


「? あの……いまに」

「――オマ村?」


 垂らしていた左腕の肘辺りを、右手で掴んで今西は確かめる。


 その顔は無表情で、後ろで凄まじい飛沫を上げている噴水の音に、掻き消されてしまいそうな小さな声で。


「あ、ああ……」

「コノセちゃんがいた?」

「知ってるのか?」


 今度は俺が目を丸くした。


 でも今西の方がまだ驚いている様子で、見開かれた目には、動揺も滲み始める。


 敷き詰められたレンガの隙間を追うように、俯き加減になった今西は目を泳がせた。


「知ってる、けれど……。でもその村はもう、無いでしょ……?」

「えっ?」

「だってその村、エリタイに襲われて……殆ど村の人、殺されちゃったもん。だから私、かたきを取ろうとして、ここまでずっと追いかけて来たから」

「ちょ、ちょっと待てよ。エリタイは、岩場の村からここまで追いかけて来たって、地下採石場で言ってたじゃないか」


 今西は顔を上げる。


 まだその目は動揺に揺れているが、何か強い、確信めいたものも感じた。


「うん。だから私が見たオマ村は、岩場にあった村だった。でも……。荒井君もいたん、だよね……? オマ村に。コノセちゃんを、知ってるって事は」

「あ、ああ! あの、村で一番足の速い子だろ!? 俺が出会った時は村の前の原っぱで、薬草摘みをしてたんだ。オマ村の村長の、セモノっておばあさんの孫で……」

「他にも木こりのカイハニおじさんとか、猟師のガエルカおじさんも暮らしてた?」


 言葉を失う。


 ……いやでも、おかしい。


 今西の言葉に嘘は無いだろう。確かに今西は、オマ村を知っている。でも俺がいたオマ村と、今西が知っているオマ村は、村に暮らしている人々は同じでも、村があった場所が全く違うのだ。俺がいたオマ村は原っぱが広がる平地にあった村で、今西は岩場だと言っている。


 ワセデイから見た位置も、全く異なっているのだろう。俺がいたオマ村からワセデイまでは、歩いて六日だと言われた。でも今西はその岩場にあったオマ村に現れたエリタイを追いかけて、一ヵ月はかかっていると言っている。でも今西が嘘をついているとは思えないし、俺も村にいた事は変わらない。


「どうなってるんだ……」


 訳が分からなくて、額に手を当てた。


 今西は俺の様子に、俺が嘘を言っていない事も、オマ村が二つ存在している事にも気付いたのだろう。小さく息を吐くと、垂らした両手を組んで俯く。そして、言葉を探すように動かす両手の指を眺めながら、ゆっくりと切り出した。


 その直前に、どうしてこいつはこんなにも、落ち着いているのだろうかともぼんやり思う。腰に差している剣も何だか様になっていて、半年間一人でこの世界を彷徨っている内に、逞しくなったのだろうか。


「――やっぱり偶然じゃなかったんだ」


 どういう意味だ?


 そう尋ねようとした時、丁度顔を上げた今西と目が合う。妙に静かな光を湛えるその目に、何だか引き寄せられ、言葉が出なくなった。


 まだこの話には、続きがあると言いたげな目をしていて。


「……荒井君さ、その村で出会ったものや人の名前は、覚えてる?」

「……え?」

「コノセちゃんとか、カイハニおじさんとか」

「あ、ああ。覚えてるよ。まだ二日しか経ってないし」

「順番に言える? 覚えてる範囲でいいからさ、言ってみてくれない? ものや地名も、初めて聞いた順番通りに」


 どうしてそんな事を言うのだろう?


 今西の言葉に戸惑いながらも、言われるままにやってみる。


「えっと、コノセちゃんだろ? カイハニおじさんに、セモノ村長で……。セモノ村長にここはオマ村だって、教えて貰ったんだっけか。原っぱでコノセちゃんと薬草摘みしてたら、エハアラっていう魔物が現れて、猟師のガエルカおじさんが襲われてて……」

「何か気付く事無い? 今の人名や、地名の並びに」

「え?」


 今西は慎重に、聞き取りやすいようゆっくりとした口調で言った。


「……それぞれの名前だけを繋げるとね。文章みたいになるんだよ。コノセ、カイハニ、セモノ、オマ、エハアラ、ガエルカ。中途半端に切られてるけれど、一旦全部一続きにして読み直してみたら」

「……?」


 頭の中でそれぞれの名前を繋いでみると、確かに言葉が浮かび上がる事に気付く。


「……『コノ世界セカイ偽物ニセモノ。オマエハ、アラガエルカ』……」

「うん。そうなんだよね」


 今西は既に気付いていたのか、冷静に頷いた。



 いや、動揺はしているようだが、まだ気持ちを抑え込んでいた。



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