053. アンノウン



「リュウタさん!?」


 急に射線上に飛び出して来た俺に、ぎょっとするタイナちゃんの声がした。


 放たれたばかりのタイナちゃんの矢が、右頬を掠める。


 矢は深く俺の頬を裂いて行くと、ブレも減速もしないまま、真っ直ぐに正面のナラタ達を貫いた。硬い外殻を穿ち、中の柔らかい肉質を破っていく生々しい音が、鼓膜にこびり付くように響く。


 でもナラタは、まだ消えない。落下していく仲間の死体に目もくれず、真っ直ぐこちらへ飛んで来る。


「何考えてやがんだ! タイナの射線上に立つな!」


 ラトドさんの怒声が響いた。


「――いいっす先輩! ウチが動いて調整するんで、早くリュウタさんの援護に!」

「……馬鹿野郎が!」


 正面に飛んで来たナラタの群れに、全力で剣を振り下ろす。


 羽音の中で微かに聞こえていた二人の遣り取りは掻き消され、剣筋が捉えたナラタは真っ二つになると、そこから弾けた裂傷魔法が、周囲のナラタも巻き込んだ。気味の悪い緑の体液が迸るが、構わず通路に突っ込むと、剣を振り続ける。


「くそ! くそっ! くそッ!!」


 だが幾ら裂傷魔法を炸裂させても、波が止むのは一瞬で、黒い濁流のようにナラタが迫った。


 やっぱり駄目なのか。


 無駄なのか。


 俺は、ナラタの体液に塗れながら叫ぶ。


「ちくしょう、来るなら来いってんだ!! こちとらもう――死人みたいなもんなんだよッ!!」


 襲い掛かると思ったナラタ達は、次の瞬間には――通り過ぎて行く?


 目を疑うがどかどかとナラタにぶつかって、上手く辺りを見渡せない。攻撃されたのかと思って慌てて剣を振るが、斬られようが裂傷魔法の巻き添えを食おうがナラタ達は、俺の事なんて眼中に無いとでもいわんばかりに、第二層へと溢れていくのだ。


 まさか、狙いは二人?


 まだ止まないナラタの群れの中後ろを振り返るが、二人も俺を見て愕然としているだけで、襲われている様子が全く無い。なら、エリタイの死骸が目的だろうかと目を凝らすが、それにも興味が無いようで、通路を抜けると第二層の天井すれすれを飛行し、我先にと第一層へと消えて行く。まるで、何かから逃げ出しているように。


 ……逃げている?


 一体何から。


 ナラタの体液塗れになった俺は、通り過ぎていく最後の一匹を見送りながら、腕で顔を拭った。魔物特有の腐敗臭のような臭いに、つい噎せる。するとたまたま、肩で顔を拭う際に第三層へ向ける形になった左耳が、微かに異音をキャッチした。


 それはあの呻くような、獣を思わせる低い音。そしてイタビノと、タイナちゃんの矢を利用して生じさせていた爆破音のようなものが、ずずと小さくその後に続いた。


 俺は、ナラタ達が完全に第一層へ逃げ去ったのを確かめると、慌てて駆け寄って来ていた二人に告げる。


「……下に――。下に、何かいますっ!」


 慌てて俺の正面で足を止めたタイナちゃんが、後ろから追い付いて来たラトドさんに尋ねた。


「エリタイ……っすかね?」


 ラトドさんは耳を澄ましながら、混乱の所為か、額に汗を滲ませながら口を開く。


「……少なくとも昼間の聞き込みの際見た傷は、エリタイだったぜ。俺の経験上、そいつで間違いえ」

「じゃあさっきのナラタ達はやっぱり、エリタイとの縄張り争いに負けて……?」


 タイナちゃんの言葉を、慌てて俺は遮る。


「――いや、イタビノをタイナちゃんの弓で、爆破させた時みたいな音も聞こえた。多分、他に冒険者が入ってるんじゃねえのかな」

「おいおい待てよ。憲兵共が直前まで、見張りに出てたのにか? この地下採石場への入口は、俺達が通って来た一本の通路だけだぜ? 地図を見ただろう? この中は全部、一本の道で繋がれてて、他に入り込めるような場所はえ」

「地質検査の際に掘られた穴を利用すれば、俺達と一度も会わないまま入れるかもしれません。もしその冒険者が弓使いで、タイナちゃんみたいにイタビノと、強化薬を持ってたら」

「第四層の近くまで掘り進められたまま放置された通路を爆破して、入り込んだって言うんすか⁉」


 タイナちゃんが、素っ頓狂な声を上げた。


「多分。だって、爆発音みたいなのも聞こえたんだよ」


 ラトドさんは頭痛がして来たのか、斧を担いでいない手で、がりがりと頭を掻く。


「……何にせよ、爆発音っつのは見逃せねえな。人間が入り込んでる恐れがある。憲兵共の目を盗んで、石を盗もうと入り込んだ馬鹿な賊か、それともお前の言う通り冒険者か……。どっちにしても、確認が必要だ。取り敢えず、第四層まで下りてみるぞ。何が起きるか分からねえ。今までよりも注意を払って、きっちり陣形を組んで進む。リュウタ。もう二度と飛び出すんじゃねえぞ。てめえの勝手な判断で、タイナを人殺しにさせるな」


 ラトドさんの言葉に初めて、俺はどれだけ危険な事をしていたのかに気付いた。


「あ……わ、分かりました……。つい、カッとなって……」

「カッとなって自殺もんの突撃って何すか。やめて下さいねほんと」



 タイナちゃんに睨まれると今まで通り、前からラトドさん、俺、タイナちゃんの順に並んで、通路を歩き出す。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る