050. 心ハホットニ、頭ハクールニ。


 予想外の雌との遭遇だったが、一応は作戦通りだ。


 まずはエリタイの主な認識機能である、嗅覚を潰す。エリタイの攻撃動作はタイナちゃんの弓で遅れさせ、その隙にラトドさんが攻撃の起点を作り、最後に俺が、裂傷魔法で大きな一撃を与え鼻を壊す。それが決まれば後は、今まで後方支援に徹していたタイナちゃんが、積極的に前に出られるので、タイナちゃんが作ってくれた隙を活かし、俺とラトドさんが二手に分かれ攻撃だ。


 耳と目を潰せば、エリタイの認識機能はほぼ完全に失われるので、そこからは三方に別れて攻撃し、唯一残されている聴覚を混乱させる。狩り道具のイタビノは、その強い光が周囲を巻き込む恐れがあるので、使う時はあらかじめ声をかけ、緊急時の回避用にもなるので、極力取っておく事。ハテニは積極的に使い、傷はなるべく悪化させないように。


 タイナちゃんが早くも負傷してしまったがあれは多分、暴れるエリタイを前にしながら、壁に叩き付けられそうになった俺のカバーに入ってくれたからだ。


 鼻が潰されていたエリタイはあの時から既に、認識機能が耳だけになっているような状態である。この学校のグラウンドより一回りも広い部屋の隅まで吹き飛ばされた俺を、正確に追撃出来るかは怪しい。だが最も深手を与えた相手として、怒りを覚えている相手でもある。エリタイはエハアラより遥かに知能が高い魔物ではあるが、怒った状態ではどう動くか分からない。


 そのエリタイの意識をタイナちゃんは、大きな声で俺を呼ぶという行為で自分達に引き寄せ、かつ弓で、壁に叩き付けられるのを防いでくれた。暴れ回るエリタイを目の前に、かなりの危険な行為だったのだろう。それを示すように二人は吹き飛ばされ、タイナちゃんは傷を負ってしまった。


 ――「もし誰かが負傷しても、動けている限り騒ぐな」


 罪悪感が湧き上がろうとした時、ラトドさんの言葉が頭を駆ける。


 少なくともラトドさんとタイナちゃんは、今まで魔物を狩って生計を立てて来た冒険者で、戦いにはすっかり慣れている。当然怪我にも。ただでさえ旅とは、魔物への用心が欠かせないもので、危険にも慣れっこだ。本当に危なくなったら、イタビノを使って退避するとも決めている。騒ぐと心も乱れるし、敵に隙を与えてしまう事にもなるから、なるべく戦いとは、冷静でいなければならないと。勿論、助けに入る事も大事だが、闇雲に負傷者へ駆け寄る事だけは、絶対にいけない。常に魔物の位置と情報を把握し、魔物が今どうしているかを第一に考えて動けと。


 落ち着け。


 タイナちゃんは動ける。


 ハテニを使って血は止めているし、右肩は動かせない程深い傷でもないようだ。


「――ほら! こっちっすよ!」


 タイナちゃんは、エリタイの気を引き付ける為わざと声を張り上げると、エリタイの左目へ矢を放つ。


 同時にラトドさんは俺へ振り向き、俺へエリタイへ向かうよう、左手で左回りの半円を描いて示すと、付力魔法で加速し、エリタイの左半身へ突っ込んだ。矢を躱そうとした瞬間に距離を詰められたエリタイは、タイナちゃんの声の位置からまだ距離がると思っていた所に、突然現れたようなラトドさんに怯む。


 今のラトドさんのジェスチャーは、エリタイの右手へ向かえという意味だろう。タイナちゃんとラトドさんの攻撃で左半身に意識が向き、がら空きになったエリタイの右半身へ、俺は付力魔法で加速した。エリタイがラトドさんに応戦している隙に、背後に回る。あの厄介な尻尾を、棘が付いてる先端部分だけでも斬り落とす事が出来れば、ぐっと有利になれる筈だ。万喰よろずぐらいの刀身を見れば、早くもウイスタリアの色が、エハアラのような青にしっかりと混ざっている。


 ラトドさんの爆破魔法の音に俺の足音を紛れさせているので、エリタイはまだこちらに気付いていない。俺は逸る思いを抑え、気付かれないよう慎重に近付きながら、両手で柄を握り締める。そしてエリタイの背後に回り切ると、左から右へと掬い上げるように、尾の中央部分へ剣を振り上げた。


 厚い肉の塊に触れた、どっという鈍い感触が剣に伝う。


「う……!?」


 思ったよりも肉が分厚く、弾力が強い。


 だが、そこまで太くない、尾の中央部分を狙ったお陰か、僅かに切れ味が上がっていたお陰か――。迸る血の中で、濡れた尾の断面が深紅に光る。


「ゲオオオオアアアアア!?」


 痛みと斬撃の勢いで、思わず前へ体重が傾いたエリタイが叫びを上げた。聞く者を身震いさせるような咆哮は四方へと突き刺さり、斬り落とされた大木のような尾は、ぶうんと空で唸ると俺の前方へ飛んでった。


 その様を目で追っていると視界の右端に、鋭く天井へ跳んだ、翡翠色の影が走る。


 タイナちゃんだ。


 タイナちゃんは、エリタイの背中を真下にして空を舞った時、既に跳びながら引き絞り、狙い澄ましていた矢を放つ。


 背骨に沿うように背中の中心を、頭部から尾へ向けてまずは三回。そのままエリタイの背後に回るように着地すると、今度は振り向き様に後ろ足の膝裏へ一発ずつ。


 するとエリタイは、びくりと大きく痙攣して、そのまま眠るように床へと崩れた。床に積もっていた埃が舞い上がり、ぶわっと辺りの視界を曇らせる。


 訪れ始めた静寂の中、弓を下ろしたタイナちゃんが、息を吐きながら言った。


「……麻酔薬に漬け込んだ矢を使ったんす。矢尻に染み込むまで時間がかかる薬品なもんで、やっと頃合いになったんすけれど。これで、一時間は眠ったままっすね。また矢を放てば、目を覚ますまでの時間はある程度は延ばせるっすけれど」

「まあ今回は生け捕りが目的じゃねえから、この間に首ちょんぱだけれどな」


 エリタイの頭部がある方から、斧を肩に担いだラトドさんが歩いて来る。


「よう。お手柄だったな。リュウタ」


 ニヤリと悪人面で笑って来るラトドさんに、やっと俺はカタが着いたのだと実感して、大きく息を吐いた。



「……もうどうなるかと思いました――!」



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