047. 真打?


「ナラタの卵殻だな」


 左隣に立っていたラトドさんが、足元のビニール袋のような破片を見て言った。


 軽く息が弾んでいる。長い通路を、襲い掛かるナラタに突っ込むような形で走って来たのだ。まだ何ともない俺は、勇者の力でタフになり過ぎているだけで、一般人ならあの距離を走り続けるだけでも、へろへろになっている所だろう。こっちの世界に飛ばされる直前の俺だったら、平均以下の体力しか無かったかもしれない。運動なんて、殆どしなくなっていたから。ラトドさんを挟んだ先で、遅れて追い付いたタイナちゃんも、足を止めると大きく息を吐き、腕で額の汗を拭っている。


 ラトドさんはゆっくりと息を吐きながら、呼吸を整えると続けた。


「――さっき倒して来たナラタっつう魔物は、どこからともなく死体の臭いを嗅ぎ付けて現れては、その死体に卵を生み付けて繁殖する性質を持つんだ。この半透明の妙な破片は、ナラタの卵殻だろう。ここで孵化して捜索隊の死体を食らい、さっきみてえな黒い成虫に成長したんだ。ナラタは短命な分、育つスピードもとんでもねえ。まだ下の層にも潜んでるかもしれねえな」

「じゃあエリタイの餌が、横取りされてたって事ですか?」


 俺の問いにラトドさんは、にやりと笑う。


「鋭いじゃねえか。その通りだ。こいつは好都合だぜ。死体の肉を奪い合って、縄張り争いが起きてるかもしれねえ。ナラタはさっきみてえに、群れで動くのが基本だからな。大群を成せば、でけえ魔物にも勝つ事がある」

「それにその縄張り争いは、もう始まってるみたいっす」


 暑そうに、外套のフードを下ろしたタイナちゃんは言った。


「単にウチらの声を聞いて攻撃にし来たのか、エリタイと思われる魔物との縄張り争いに負けて、地上へ逃れている途中だったのかはまだ分かんないっすけれど、百三十人も亡くなってわんさか餌がある場所で、たったあれだけの数しか繁殖出来なかったとは思えないっす」

「今倒して来たナラタの数は、どれぐらいだった?」


 ラトドさんが、タイナちゃんに尋ねる。


「六十二っす」


 きっぱりと答えるタイナちゃん。その言葉には絶対的な自信があって、あの猛進の間に、全てのナラタを正確に数えていたのだと分かった。なんて目をしてるんだ。


 更にその動体視力と観察眼を披露するように、タイナちゃんは続ける。


「あと個体の中には、片目が潰れている奴や、外殻に傷が入っている奴もいたっす。多分下層にいる、エリタイと思われる魔物にやられたんじゃないっすかね。いつぐらいに付けられた傷かまでは把握出来なかったんで、今負けて逃げて来たのか、ウチらが来る以前にやられて、層を変えて休んでいた所に現れたのかまでは、ちょっと分かんなかったっすけれど」

「上出来だ。リュウタ。今下の層から、さっきみてえな音は聞こえるか?」


 俺はラトドさんに言われるのと、ほぼ同時に剣を収め、その場に屈み込むと両手を床に付けている。


 じっと手の平に、意識を集中させ息を止めた。


「……います。さっきと遠さは、同じぐらい……? 多分、第四層にいます。唸り声みたいな低いのと、ナラタ、かな……。羽音みたいなのも、第四層辺りから聞こえて、ごちゃごちゃになって固まってます。第四層から音が広がってるだけなのか、第三層ぐらいからも、羽音みたいなものが聞こえますかね……」

「ラッキーじゃねえか。その喧嘩、利用させて貰おうぜ。まず第三層に向かって、ナラタがいたら皆殺しだ。第四層には慎重に向かうぞ。通路から様子を窺って、読み通りエリタイなら作戦通り、イタビノを使いながら目を潰して攻撃する。イタビノは三つずつ渡してあるが、落っことして失くしてねえな?」


 ――ゲォッ。


 ふとラトドさんの言葉の中に、カエルの鳴き声のような、えずくような音が混ざった。


 地下からだろうか? ラトドさんの話を聞きながら、改めて耳を澄ませてみる。でも下からは、それらしい音は聞こえない。


「縄張り争いが拮抗してる状態だったら、下手に入らねえで様子を見るぞ。形勢が、完全にどちらかに傾いてから攻撃だ。両方ともぴんぴんしてる所に入って、同時に狙われちゃたまんねえ。ケリが着けば、消耗してる所を狙う。上手く共倒れしてくれりゃあそれでよし――」


 ……下? 下に意識を集中しているのがまずいのだろうか? でも見渡してみても、周囲に魔物の影なんて――。


 ゲォッ。


 嫌に近いのに、意識を傾けている方向と、全く別の位置から再び音がした。


 まだ言葉に出来ない確信が脳裏をよぎった時、背中を悪寒が駆け上がる。


「……おい。聞いてんのか? リュウ――」


 俺は咄嗟に二人に振り返ると、立ち上がりながら飛びかかった。


 完全に不意を突かれた二人は、されるがままに床へ吹き飛ばされる。


 それと同時に俺達が今までいた場所へ、どすんと大きな影が天井から落ちて来た。淀み始めていた空気が埃を舞い上げ、もやのように辺りを覆う。二人の間に入るように、それぞれの肩を掴んで押し倒した俺は、すぐに後ろへと振り返った。



 靄の向こうにぼんやりと、何かの影が浮かんでいる。すぐに露わになるその姿に、息を飲んだ。

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