045. 接触


 ラトドさんは、こちらに振り返ると声を張り上げた。


「どうした!」

「今何か、下から音が聞こえませんでしたか!?」

「あ!? 音!?」


 分担していた分の調べを終えかけていたラトドさんは怪訝そうに言うと、そのままこちらへ歩いて来る。


 俺はラトドさんが目の前に来ると立ち上がり、足元を示してみせた。


「今この辺りから、唸り声みたいなものが聞こえたんです」

「唸り声……」

「ええ。何か、生き物がいるような気配がしました」

ちけえか」

「そう感じました」

「音の出所は、一つか。複数か」

「一つでした」

「やるじゃねえか。――タイナ! 矢の準備をしてろ! 魔物が近え!」

「聞こえてるっすよ!」


 呼びかけを受けたタイナちゃんは前を向いたまま、ショルダーポーチの後ろのポケットに右手を回す。外套でよく見えないが取り出したものを、矢筒へ入れるような仕草を見せた。


 昼間の作戦会議の際に見せて貰ったがタイナちゃんの矢筒は、弓と同じくカーボンのような材質で、黒地に赤のラインが施されたデザインをしている。そして、矢をしまうスペースは三つの仕切りに区切られ、矢筒の縁にはそれぞれの部屋の中に、矢尻へ施す薬品を流し込む為の溝が彫り込まれていた。


 今の動作はエリタイ用の矢を作る為の、薬品を流し込んだのだろう。薬品は鮮度が大事だそうで、漬け込み過ぎると矢尻が傷んでしまったり、浅いと十分な威力を発揮出来ないなど扱いが難しく、いかに薬品を流し込むタイミングを見極めるかが、弓使いの腕を大きく左右する要素の一つらしい。


「――っ?」


 第二層への入口へ向いて立つタイナちゃんの動きを見ていると、両足の裏に再び振動が走った。先程よりずっと微かなものだがぶるぶると、震えるように伝わってくる。まるで、小さな虫の羽音を聞いたような――。


「……タイナちゃん!」


 俺が叫ぶのと同時に第二層への通路から、喧しい程の羽音を纏った何かが、タイナちゃんへ飛びかかるように迫る。


「――見えてるっすよ」


 勇者の五感だから聞き取れたのだろう小さな声が、羽音に紛れながら闇に溶けた。


 タイナちゃんが何かを握った右手を薙ぐと、周囲を強烈な光が襲う。俺が思わずかざした腕を下ろすのを待たずに、放たれた矢が何かを貫く、ガツッと硬質な音が響いた。


「お二人とも! ナラタっす!」


 腕を下ろすと、部屋の中央へ跳び退ったタイナちゃんが、弓を構えたまま頭をこちらに回して叫ぶ。第二層への通路には無数の赤い、小さな球状の光が輝いていた。何だろうと目を凝らすと、その不気味な姿に息が止まる。


「うっ……!?」


 全長は、一・五メートルはありそうだ。背中にトンボのような透明の羽が四つ生えた、金属を思わせる光沢を放つムカデのような黒い生物が五匹、無数の太い足をばたつかせ、かさかさと忙しない音を立ててひっくり返っている。目は爛々らんらんと赤く輝き、不気味な明滅を繰り返していた。


 タイナちゃんが放ったイタビノ――。手の平サイズのボール状をした、強い光で敵の視覚を一時的に封じるという、魔物を主な対象として用いられる『狩り道具』の一つに目を潰されたのだろう。一番手前にいた一匹は頭に矢を受け、腹を天井に向けて動かなくなっている。目から光は消えていて、どうやら死んでいるように見えた。


「――下から響いてた音はあいつらか?」


 二メートルに及ぶ背丈に並ぶ程の大斧を構えながら、ラトドさんは静かに俺に尋ねる。


 俺は慌てて剣を抜くと、両手で構えながら答えた。


「い、いえ。違うと思います。もっと獣が発するような、低い唸り声みたいなものでした」

「よーしよく聞き取ったな。まァ今は取り敢えず――……あいつらを片付けるぞ!」

「はい!」 


 両足に意識を集中させ魔力を集めると、ラトドさんと同時に床を蹴る。正方形の部屋の中心へと下がりながら矢を放っていたタイナちゃんに、一息で追い付いた。


 昼間ラトドさんから習った、魔法の一つだ。冒険者にとっては基本の基本、身体能力を魔力で強化する付力魔法ふりょくまほう。これをマスターすれば、どんなに強力な魔物が相手でも後れを取らない。


 陣形は一列縦隊の、前からラトドさん、俺、タイナちゃん。まずはラトドさんが先陣を切って、開いたその空間に俺が切り込む。俺達が討ち損ねた分は、背後からタイナちゃんが射抜く作戦だ。


 タイナちゃんを挟んで隣に追い付いたラトドさんが、透かさず再度床を蹴り、高く第二層への通路へ跳躍した。頭上に両腕で掲げた斧が、まだ足元でもがくナラタ達を捉える。通路の天井よりやや高く跳んだラトドさんは、構うものかとそのまま斧を振り下ろした。壁に触れた斧はバターでも切るように壁に食い込むと、柄ごと石の中へ身を潜らせ、突然天井から刃が現れたように、ナラタ達の腹へ叩き落ちる。



 まだイタビノに目を回していたナラタ達は、黒光りする頑丈そうな外殻に似合わない、やけに明るいピンクの肉と、緑の体液を撒き散らしながら粉砕された。



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