026. チカイ


「ギルドに報告してる通りだからねえ……。怪我の形から見るに、大きな爪で引っ掛かれたか、太い牙に裂かれたかじゃないかって、お医者様は言ってたけれど……」

「火傷や凍傷はしてなかったかい」

「いや、無いね。ただの裂傷だよ。ああでも……」


 包丁でてきぱきと、ほうれん草みたいな濃い緑の葉野菜を切っていたおばさんは、ふと手を止める。


「魔物が持っていた魔力が体内に残っちまって、怪我の治りを遅らせてるとは言ってたね」


 おばさんは包丁を置くと切り終えた野菜が乗る、木製のまな板を掴んだ。調理台の左手にある、コンロのようなスペースの上に置かれた黒い鍋に野菜を入れていくと、コンロのすぐ目の前で、パチンと指を鳴らす。すると火花が散って、コンロらしき部分から赤い火が点き、とろとろと鍋を加熱し始めた。


「えっ――」

「爪と牙か……。ちょいと息子さんの顔、見せてくれかい? 怪我の形状を確かめてえんだ。何か魔物について、分かるかもしれねえ」


 息を飲む俺に被せるように、ラトドさんは言う。


 するとおばさんは、ほんの一瞬だけ固まった。まな板を置いて向き直るその表情は、さっぱりしてるんだけれど、どこか、ぎこちなくて。


 俺はそういう顔を、何度も何度も見た記憶がある事を、ぞっとしながら思い出す。


「……驚かないでくれるかい?」


 おばさんは、そう困った笑みを浮かべると、息子さんの部屋へ案内してくれた。


 玄関の向かいにあるドアを開けると、二階への階段が現れて、おばさんを先頭に上る。


「……息子はねえ。そこの黒髪のお兄さんよりちょっと年上ぐらいなんだ。二十歳を過ぎたばかりでね。こんな平和な街なのに、俺がこの街を守るんだって息巻いて、警備兵になった馬鹿なんだけれど、お人好しな所が自慢でねえ……」


 軋む階段の音が、酷く不気味に聞こえる。


 辺りの空気が何だか、生温く淀むようだった。


「さっ。ここだよ」


 階段を上がり切ると、正面に伸びていく短い廊下に、左右一枚ずつドアが現れる。

 おばさんは左側のドアの前に立つと、ゆっくりと開けた。きぃいと、短い悲鳴のような音がして、俺の緊張を、とどめとばかりに跳ね上げていく。


「――寝てるからね。ちょっと覗くだけにしてやっておくれ」


 おばさんは部屋には入らず、俺達を促すように、部屋の入口の右手に立った。体格的に、まず俺が入り口の前に立って、その後ろからラトドさんが、覗き込む形になる。


 それがごく自然な事だとは分かっていても、嫌で仕方無かった。


 消毒液だろうか。部屋は薬品のような匂いが、少しだけ鼻を突く。部屋は、廊下に沿うよう奥に伸びていく細長い形で、入ってすぐの所にベッドが置かれていた。そこには、頭のてっぺんからぐるぐる巻きにされたヒトガタが、部屋の奥へ頭を向けて横たわっている。体格から確かに男性と分かったが、それ以外の事は、分からない姿をしていた。


 ああ。


 掛けられている布団の膨らみ方で、気付いてしまう。


 膝ぐらいから、左足が無かった。


 俺は胸が空っぽになるような気持ちになって、すうっと全身から、力が抜けそうになってしまった。


「…………」

じきによくなるとは、お医者様から言われてるんだけどね」


 右側から、おばさんの声が響く。


「その子は隊の先頭辺りを歩いてたから、一番酷く襲われちまったみたいで。然も、魔物の魔力が身体に残っちゃったから、治りを邪魔されてるみたいなんだ。それはゆっくり回復には向かってるんだけれど、多分生き残りの中で、一番調子が悪いままだね」


 息子さんを見たまま、ラトドさんは呟くように言った。


「……魔物が持ってる魔力と、相性が悪かったのか」

「ああ」


 おばさんは頷く。


「毒みたいに蝕まれてるって、お医者様は言ってたさ。でもワセデイには、血清に当たる手段が無い魔物だって言われちまって、じっと待つしか無いだろうって。まだ若いから、体力で負ける心配は無いから大丈夫だとも、言われてる。苦しむ時間が延ばされているだけで、死にはしないってさ」


 俺は息子さんから目が離せないまま、乾いた口を潤すように、無理に唾を飲み込もうとしながら言った。


「……本当にそれだけで、問題は無いんですか……?」

「ああ。大丈夫だよ」


 一貫して明るい調子で答えるおばさんが、痛々しくて堪らなかった。


 顔を見なくても笑顔で言われたと分かるその声に、俺は、息子さんを見たまま応える。



「――その魔物、絶対に倒します」



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