服
アンジールが通されたのは古着が山と積まれた物置球であった。真ん丸な部屋に、布という布が目に痛いばかりに光っていた。灰色の清貧な世界で生きていたアンジールにとっては、思わず顔が引きつるほどのきらめき。
着替えのために男衆は遠くに追いやられている。部屋にいるのはアンジールとタリアの二人のみであった。
「縫うにしても時間がかかるからね。この中から好きなのを選びな」
「あの……、これが全部、古着、なんですか?」
「町中から集めて再生するからね。ここでできる贅沢なんざ服くらいのもんさ。あんたも遠慮せず見栄えするのを選ぶといいよ。ほれ、これなんか良いじゃないか」
小さな体を布の海に踊らせて、気に入った色合いのものを捕獲してくる。光の具合で赤く輝く髪が、大魚の鱗の様でもあった。
タリアの取り上げたのは、夕凪の海の反射をそのまま平面に閉じ込めたような、金と紺色の着物であった。ひざ下にまでかかる長い裾に、動きを阻害しない程度に広い袖。くるりと回れば、ほとんどミラーボールである。
「こ、これはちょっと。派手過ぎるような……?」
「そうかい?悪かないと思うんだけどねぇ。じゃあこれならどうだ」
今度は朝焼けを照り返す巻雲のような、赤紫と白の衣装。これまた日の当たる場所ならば、街の端から端までも視認できそうな凄まじいド派手さであった。
「あ、あの。もうちょっと地味な、単色のつやの無い服は無いんでしょうか」
「何言ってるんだい。そんなの着てたら壁と見分けがつかないよ。かくれんぼでもするつもりかい?」
「で、でも、私お金もないし」
「お代ならジャクルの奴が持ってきたもので、この部屋ごと買ってもお釣りがくるよ。何があったかは聞かないけど、あんたを打ち上げた連中には、そのことだけでも感謝するこったね」
ジャクルが適当に突っ込んできた小物に、多量の鉄が使われていることが分かると、アンジールの尋問に参加した者たちの興奮は最高潮に達した。
タラクサカム、いや成層圏上に住まう全てのものにとって、重金属類は最高級の品である。彼らが日常で使う元素は、炭素、酸素、窒素、水素など。要するにほぼ有機物のみである。当然ながら空に金属元素は存在しないため、金属を得るには雲の中に含まれる微粒子を収集。分子単位で分離して凝縮しなければならない。
下から数十km持ち上げるにも多量のエネルギーがいるし、雲自体密度が非常に薄い。都市一杯分の雲をさらっても得られるのは爪の先くらいのインゴットだけである。運んできたジャクルにいくらか分け前を渡すにしても、ここ何年か遊んで生きるには十分な価値があった。
ここでアンジールの評価は、長い間一攫千金を夢見て雲の下に潜っていた、ヤクザな一家の忘れ形見というところに落ち着いたのである。
とはいえアンジールからすれば、なんだか皆を騙しているような後味の悪さがある。それも派手派手しい服を貰うのに躊躇する理由であった。
しかしタリアからすれば、代価を受けた分だけ払わなければこっちが詐欺師になるのだから、気負いなどせずにどんどん持って行ってもらわねば困る。
結局あまり多くてもかさばるからという事で、角度によって銀に輝く白のワンピースだけを貰っていった。どう探してもこれ以上地味なものが無かったのである。
「ほら、帽子もかぶりな。日当たりのいい所だと肌が灼けちまうからね。気を付けるんだよ」
「はい、ありがとうございます。おばあ様。それで、私はこれからどこに行けば」
「それなんだがね。あんたは一人前以上の財産を持っちゃあいるが、家を建てるにも時間がかかる。だもんでジャクルの奴のところに住んでくれないかい?」
「ええ!?」
いきなりの提案に言葉を失う。同年代の男子と同棲とは。そもそも自分以外の子供自体見るのが初めてであったアンジールには高すぎる要求である。
「ああ、心配しなくても大丈夫さ。あいつは飛翔士だからね。ほとんど空を飛び回っているか機体の整備をしてるよ。あんたはその間優雅に過ごしてればいい」
「で、でも」
「なあに、巣の中がどうあれ、飛んでしまえば楽なもんさ!あいつはあほだが、か弱い女の子に手を出すような奴じゃあないよ。あとはジャクルの奴に聞くんだね」
そういって大股に歩き始める。それでもアンジールが少し早足になれば追い付けてしまうのが、彼我の身長差を表していた。
ジャクルは思わぬ収入を懐に入れた者の常として、そこら中の人間からたかられている途中であった。飲み物一杯ぶんくらいなら快くおごってやり、あまりにバカげた要求には秘伝の風切りチョップを打ち込む。
物置きから姿を現したタリアとアンジールを見て、機を逃さずに人ごみから抜け出す。それから、けげんそうにアンジールの装束を眺めた。
「うーん、その服ちょっとおとなし過ぎないかい?暗いとこだとぼんやりすると思うよ」
そういうジャクルの服装は、少し彩度の低い赤に、玉虫の羽根のようなエメラルドグリーンの模様の入ったコートである。それまで着ていた飛行服も下から見えるので、深紅と金と宝玉の緑という南国の鳥もシャッポを脱ぎそうな鮮やかさであった。
ちなみにタリアは茜色の地に雪の結晶の白銀模様と、こちらも方向性は違うが劣る事はないきらめき具合である。
アンジールからすれば圧倒されるしかない。これが特別なわけではなく、そこらにいる誰もが同じではないが似たような、絢爛たる装いなのだ。異文化と知ってはいても、慣れるには時間がかかりそうであった。
「わ、私はこのくらいが落ち着きますから」
実のところ全然落ち着かないのだが、これ以上いってもわがままになる。
「ふーん。変わってるなぁ」
「ああ、ジャクル。この子あんたの家に入れてやりな。あんた一人だから部屋は空いてるだろう?」
「ええ!?なんでまた」
「他にちょうどいい一人身の飛翔士がいないんだよ。だいたいお前が見つけたんだから世話もするべきだろうさ」
「うーん、それならしょうがないか。じゃあしばらくよろしく!」
あっけらかんと言い放つジャクル。ほとんど考えている様子が無い。アンジールとしてはそんな簡単に、と呆れもするし不満でもある。
「そんな、いきなり決まったのに。平気なの?」
「他にいないならしょうがないだろう?君が嫌なら僕が出てくよ。どうせだいたいは飛んでるだけだし」
その本当にどうでもよさそうな態度に、意識を改める。彼にとっての家というのは止まり木以上の意味はないのであろう。横に別の鳥がくれば横にどくし、邪魔だと騒げば争いもせずに飛び立ってしまう。
大事なのは己の翼だけなのだ。あとは翼を維持するための手段に過ぎない。
「そういうことなら、よろしくお願いします。案内してもらってもいい?」
「そりゃあもちろんさ。近道でいこう。眺めもいいしね」
そういって、タリアに軽く手を振ってからすたすたと歩き出した。アンジールも会釈をすると、その後ろをついて行く。
道路は不思議な感触を足に伝える。中身の詰まった綿を踏んでいるようであった。木材ペレットを加工処理して、コンクリートの代用にしているようである。
町並みは森の中にいくつもの風船が浮かんでいるようにも見えた。とにかく軽さを優先して作ってある。球形の家は樹々と区別を付けるためか、原色で塗ってある大振りの果実のようでもあった。
道はその間を支えられたり吊り下げられたりして曲がりくねりながら続いている。たまに踊り場のような広い場所があり、そこでは子供が遊んだり、主婦が洗濯物を干したりしていた。
針先ほどにも見えない道の先まで眺めても、金属の光沢は見つからない。確かに金属類が貴重であるようだった。
長い、いくつも枝分かれした道を迷いなく選択して進む。巨大な広葉樹林の密度が薄れていき、大気による減衰を経験していない素のままの陽光が降り注いでくる。
タリアの助言は的確であったといえよう。幅広の白い帽子が無ければ、顔に刺すような痛みを感じていたに違いない。
最後の大木が二本、門のように立ち、坂の上から光が差した。そこをくぐると、遮るもののない遥かな景色が飛び込んでくる。
緑の牧草地帯には背の低い建物の他は何もなく、地平は空へと続いていた。カーボンパイクリートのドームが、光の乱反射によって虹の壁を作り出す。小さな青や黄の点は飛翔体のものであろうか。
草原から吹き上がってくる風に目を細め、軽やかな香りを吸い込む。あまりに広い世界だった。地面は空に続き、空は遥かな
「どうかしたのかい?あんまり日に当たると体に悪いよ」
珍しくまともな気遣いをみせるジャクル。確かに、気温に比して陽気の切れ味はカミソリのようである。七分袖のワンピースでは守りが薄い。
もっと厚手のものを着るべきだったかと、少し後悔する。厚手のものは例外なく原色の反射がきついものであったで仕方ないのだが。
しかしここから先は草原に続く道のりのみで、居住区域があるようには見えない。はてジャクルはどこに住んでいるのかと首を回す。
建物は無いが、おかしな機械が据えてあった。上を向いた弓といえばいいのか、人1人乗れる板が弦に乗っている。その前にずっと上へ伸びる長い棒。
「えっと、これは?」
「昇降塔さ。これならすぐに着くよ。使い方は見ての通り」
「見ての……?」
やたら多くの歯車が噛み合った装置を、よくよく観察する。いわば大型の機械弓であることは明らか。そして人が乗れるほどの板。弓は二重になっていて、弦の間をつなぐ板に乗ったものを上へと打ち出す仕組みになっている。
「いえ、ちょっとわからないわ」
「ううん、そうかい?けっこうわかりやすいと思うけどなぁ。まあ僕が先に行くから、真似すればいいよ。じゃあお先!」
ジャクルが板に乗ると、重さを感知して機構が作動する。ギリ、ギリ、と弓を引き絞る歯車の声。
腰のベルトに付属したフックを棒に引っかける。これはどの服にもついているようで、アンジールのワンピースにも、控えめながらしっかり腰回りに装着されていた。
肌を不快に撫でるきしりがいったん止んで、次の瞬間ジャクルが赤い砲弾に変わった。
身体を後ろに傾け、両足で棒を押さえることでバランスを取る。古典力学のお手本のような投げ上げで、毎秒9.8m/s減速をしながら昇っていく。
樹冠の中ほどにある、着地点の高さを足が超える。帯を引いて棒を掴むと、滑り落ちる前に飛び降りた。
「こんな感じだよー!やってみてー!」
「ええ……」
豪快に過ぎる移動法に言葉も無い。確かに風の弱い環境で、簡便に素早く上に行ける。しかし上げ膳据え膳の文明になれた少女には野性的過ぎる動力である。
「お、落ちたりしないのー!?」
「だいじょーぶ!だいぶ余裕をもって作ってあるから、姿勢を保ってれば絶対に着くよ!」
事実、ジャクルが使用した時に危なげのようなものはなかった。むしろ途中で棒を掴んでいなければ、樹上付近まで跳んで行けただろう。
シンプルだからこそ故障も無いはず。そう自身に言い聞かせて、深呼吸をした後板に乗り込む。
内臓が浮遊感をとらえた。板が泥上に置かれたように沈み出して、がき、と固定される音と共に停止する。先ほど見たとおりにフックを棒に引っ掛けた。
「片足を当ててバランスを取るんだ!あとは勝手に跳んでいくから!」
樹上から降ってくる指示に従い、土踏まずを棒を包むようにしてつける。急に体重が3倍になったような重力がかかった。身体が後ろへ転倒しそうになるのを、慌てて両足で棒を挟むことで回避。アンジールは文字通り矢のように打ちだされていた。
前を見ようとすれば帯が緩む。恐怖を押し殺して体を傾け続けると、より高くなった視点から、街の半分の情報量が入ってきた。
「わあ……!」
氷のドームがはっきりと見える。街はまさに絶空にたゆたう浮き島であった。草原を割って走るせせらぎ。こんもりと盛り上がった巨大樹の森。その中央に、天頂を支える象牙色の塔がそびえている。
不思議なビオトープの観光は、みるみるうちに大きくなる着地点の端が視界を遮ったところで終わった。アンジールの頭が床の水平面まで上がり、そして止まる。
「あれっ」
「え?」
昇降機に途中から加速する機能は存在しない。止まったならば、あとは引かれるのみである。
「きゃあああああ!!」
ドップラー効果の声も高く、尾を引くような速度で逆行していく。
「しまったあ!」
しかしジャクルは悲鳴を聞く前に動いていた。迷わず高みから昇降塔へ飛び込み、逆さのままフックをかける。まるで綱渡りの芸人のように棒に足をつけると、そのまま駆け下りた。
急な事故に強張っている少女は、それゆえに抵抗で落下が若干遅れている。一気に加速すると、その身体を抱き寄せ、昇降塔を大型霊長類のような握力で締め付けた。
ぎゅう、と皮膚が擦れ、はがれ落ちながらも摩擦を発揮する。少女が落ち始めて秒も経たない早業であった。
「いや、ごめんごめん。君が人並み以上に重かったことを忘れてた。……このくらいなら昇って行けるな。しっかりつかまってね」
そういうと自分とほぼ同じ体格の少女を吊り下げたまま、棒を登り始めた。歩くのと同じくらいの速さで頂上に到達し、床に降りる。
寝入った狸じみて固まった少女は、たっぷり十秒はしがみついたままで、ジャクルが肩をゆするとようやく尻もちをついた。
「うーん、まいったな。弓をもうちょっと強く張らないと。プミラに頼むか」
「……そんなに重いの?」
「うん?」
アンジールが涙目で見上げてくる。事故と事実、二重の衝撃に、彼女は傷心の極みにあった。
「まあ、重いね。ここらにはちょっといないんじゃないかと思うくらいにはあるよ。全体は柔らかかったし、骨が詰まってるのかな?それとも水太りとか」
「じゃああなたはどうなの!」
そこまで言われっぱなしではいくら何でも悔しい。アンジールは肉食目の獣並みの瞬発で、ジャクルを脇から掬いあげる。そして驚愕した。
「軽い……」
本当に、唖然とするほどの目方であった。木でできていると思っていたものが紙製であったときの、予想外の腕の振りあがり。小児程度の体重しかないのではないか。
試しに上下させてみる。重いことは重い。だが予想の半分も無い。恐ろしいほどに疎であるのだ。思い返せば平手打ちをかましたとき、腕に返る反動もほとんどなかった。それは火事場の馬鹿力でなく、単なる体重差ではなかったか。
「そんなに振り回さないでくれよ。酔いそうだ」
「あ、ごめんなさい」
上下させていた腕を止め、ジャクルを床に置く。どうしても気になって、聞いた。
「ねえ、あなたの体重ってどれくらいなの?」
「平均して23.4kgだね。誤差は300g以内に収めるようにしているよ。操縦に影響するしね」
アンジールのほぼ半分である。彼我の隔絶に目眩がしそうだった。ここはまったくの別世界なのだ。自身が突き抜けた壁には、物理量を超えた断層が存在している。息苦しさを唐突に感じた。
世界の遠さに黙然とするしかないアンジールに、なにも考えていない笑顔を向けて、手を伸ばす。
「まあ最初はこういう事もあるさ。家はもうすぐだから、お詫びにお茶でもごちそうするよ。いこ?」
能天気な言い草に、口を開けて、閉じ、苦笑する。いずれにせよ、立ち止まることは出来ない相談なのだ。出された手にそっと触れ、家の並ぶ方へと足を向けた。
「ところで体は柔らかいって?」
「ああ、随分強くしがみついていたからね。心配することはないよ!女の子は体重よりも柔らかさがだいじん''っ」
雲上であろうとも威力の変わらない延髄切りが、ジャクルの鎖骨に抉り込んだ。
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