Aから始まるダンスビート
今日はライブの日。
ライブは、行われる会場によってはリハーサルのために前日入りしないといけない。今日もそういった会場の一つで、私は前日の夜から今いるこのホテルの部屋に泊まっていた。
いつもならライブの日はラスナ君が護衛に来てくれるんだけど、お父さんが昨日依頼の電話をしたら断わられてしまったらしい。ふん、別にいいけどね。人が本気で心配してたのに、帰っていきなり「スカートめくりをさせて欲しい」とか言い出すばかな人なんていなくてもいいんだから。
それに、ガルド王家のメアリーちゃんに言い寄られてデレデレしてたってフィーナちゃんが言ってたし……。ラスナ君はわんちゃんじゃなくておサルさんだったのかな……心配してた私がばかみたい。
今日護衛に来てくれればちょっと話をするくらいには許してあげてもいいかなって思ってたのに……。もう知らない。
ラスナ君に断られたので、今日は別の人が護衛に来ることになっているらしい。元々ラスナ君がやってくれている護衛というのはただの話し相手みたいなものだから他の人だとあまり意味がないんだけど、手続きとかちょっとした雑用をするための形式的な代役だってお父さんが言ってた。
どんな人なんだろう。緊張するな……。
私の心配にも構わず、部屋のドアを誰かがコンコン、とノックする音が響く。どうやら代役の人が来たらしい。椅子から立って姿勢を正し、王女としての外向けの格好を作り出す。
「どうぞ」
返事をすると、ロックが解除されて扉が開いた。
「えっ」
私は驚きのあまり、初対面なのに失礼、なんてことを気にする余裕もないまま、そんな声を漏らしてしまう。
開いた扉の先にいたのは忍者だった。
忍者が胸の前で腕を組み、直立不動の姿勢でこちらを見ている。そしてその体勢から少し体を前傾させ、掌を合わせて「いただきます」のポーズを作ると、不自然にしゃがれた声で挨拶をしてきた。
「コンニチハ」
時間に関係なくこういった場所でのあいさつは「おはようございます」だと思うんだけど、そんなことを言える余裕はもう私にはない。
「あっ……えっと、忍者さん、私がスノウ=ヴァレンティアです。本日はよろしくお願いします」
お辞儀を返しながらそう自己紹介が出来たので、何とか気を取り直したと思っていたけど、実際には私は相手の名前も聞き忘れるほどに取り乱している。
「ジェームスデェス。ヨロシクオネガイシマァス」
片言の日本語!?私の混乱は最高潮に達した。
現在地球では忍者は昔日本に存在した過去の人種とか文化のようなもので、今は漫画やアニメの中か、もしくはコスプレなど、もの好きな人が趣味で嗜む以外には存在しないと聞いている。
でも、天界では趣味が高じて本物の忍者として暮らし始めた人たちが、壁の外の世界にいくらかいるとは聞いていた。ガルド王国の忍者マサユキさんはそういった人たちの子孫だったと思う。
そして、天界ではとりあえず日本語が喋れれば言葉が全く通じない地域はないと思って良い。第一公用語が日本語で、第二公用語が英語になっているから。一部に地球のアメリカ人を祖先とした、日常会話をほとんど英語でこなす人たちもいるけど、そういった人たちでさえも日本語は喋れるはず。
だから、片言の日本語を喋ることがあるのは、地球の英語を公用語とする地域に住む人たちだけ。
今までのことを全部踏まえて考えると、このジェームスさんは地球からやってきてそんなに時間が経っていない人で、しかも普段は少なくともマダラシティの外側に住んでいる人ということになる。
どういうことなんだろう……?わざわざ壁の外の人を護衛に?後でお父さんに事情を聞いてみないと……。
そんなことを考えていると、ジェームスさんは「シツレイシマァス」と言いながらスタスタと歩いて部屋の中に進み、私から見て左側の少し離れたところの、ぎりぎり視界に入るところに立った。
……あれっ?
その所作を不思議に思った私は、ジェームスさんに聞いてみる。
「あの……ジェームス殿。もしかして、いつも私の護衛をしている者から何か聞いたりしていますか?」
私の言葉を聞いたジェームスさんの身体がぴくっと動いた。
「ホワッツ!?ナニヲデスカ?」
「……いえ、何でもありません。失礼しました」
明らかに動揺している忍者さん。う~ん、今のだけだと偶然かもしれないし。
それから妙な沈黙が続いた後、ジェームスさんはコーヒーを入れてくれた。忍者なのにコーヒー。
「カッフィー(coffee)デェス」
「あ、ありがとうございます」
……砂糖少なめミルク多め……。
「ジェームス殿、どうして私のコーヒーの嗜好をご存じなのですか?」
「ワァオッ!?」
変な驚き方をするので私も少しびっくりしてしまった。
「グウゼンデェス」
「偶然、ですか……」
「……ワタシノ闇属性ノユニークスキル『カッフィーメイカー』デェス。ヒミツニシテクダサァイ」
どうやら相手のコーヒーの嗜好がわかる魔法を使えると言いたいらしい。たしかに光と闇の『
…………ふ~ん。
「ジェームス殿。つかぬことをお伺いしますが……普段はどこに住んでいらっしゃるのですか?」
「サントデェス」
「サントですか……今回の依頼は急でしたので、ここに間に合うように来るのもさぞ大変でしたでしょう。ご苦労様でした」
「アリガトゴザイマァス」
ジェームスさんはまた「いただきます」のポーズを作っている。
「ところで、普段私の護衛をしている者がそのサントという都市に最近行ったそうなのですが……ご存じありませんか?常に横に剣を浮かせている青年なのですが」
「シリマセェン」
「そうですか。では聞いてくださいますか?その護衛をしてくださる者というのが私に心配をさせておきながら、自身は他国で女性にうつつを抜かして鼻の下を伸ばすような不届き者だったのです。ジェームスさんはそのような男をどうお思いになられますか?」
「……サイテーデェス」
何だか自称ジェームスさんの身体が急に小さくなったような。
「ジェームスさんもそう思われますか?私もです。ですから、次にその者に会ったときには海に沈めるか、そうでなければ犬の首輪でもつけて王家の犬として飼ってあげた方が彼のためになるかとも思うのですが……どうでしょうか?」
「スノウサマ、コワイデェス」
ジェームスさんの身体がプルプルと震え始めた。ふふっ。可哀そうだし、これくらいにしてあげようかな。時計を見てみるとちょうどいい時間になっていることだし、そろそろ楽屋に移動しよう。
「それでは時間的にもいい頃合いですので移動します。楽屋まで護衛をお願いできますか?」
「モチロンデェス。オマカセクダサァイ」
そうして私はラ……ジェームスさんと一緒にホテルからライブ会場の楽屋に移動した。そこでまた少し会話をしてから、本番の少し前にジェームスさんとは一旦お別れ。ジェームスさんはホテルからの移動の際にも、私の横の少し後ろ、何とか視界に入るくらいの位置をつかず離れずで歩いていた。
そう、知らない人たちと同じ空間で過ごすとき、その人たちが私の視界に収まる位置にいてくれないと余計に緊張してしまうという、家族やラスナ君しか知らない私の性格を知っているみたいに。
気づけば私の緊張は、いつもラスナ君と過ごしたときのようにほぐれている。おかげで今日もいいライブができそうだし、後でRINEでもしてあげよっかな。
ステージ袖でそんなことを考えていると、ライブがスタートした。
私はステージに躍り出る。一曲目はAのコードから始まるアップテンポなダンスビート。イントロでは拍の表でバスドラムを踏みながら、裏でハイハットシンバルをオープンクローズさせる、いわゆる「四つ打ち」のリズムが刻まれる。
会場のみなさんも、イントロの軽快なリズムに合わせて身体を揺らしてくれていた。私も、とっても自然に作れた笑顔を客席に向け、歌いだす。
Aメロで一度テンションは落ちるものの、Bメロからサビにかけてまた上がっていく。ずっとバスドラムが拍の表で踏まれているので、曲を通してアップテンポな感じが保たれていた。
二コーラス歌い終わった後で間奏に入り、コール&レスポンスをする。
モニターを通して返ってくる私自身の歌声が、会場のみなさんの声が、何だかいつもより大きく聞こえる気がした。
楽しい。別にいつも嫌々ライブをしているってわけじゃないんだけど、今日は何だかいつもより楽しいと感じてしまう。それはもしかしなくてもラ……ジェームスさんのおかげだった。
ステージから溢れる光が客席まで届き、会場のみなさんの顔を照らす。
会場に数えるほどしかお客さんのいない、ライブハウスでやっているインディーズバンドの方なんかが、良く「ステージに立つと意外と客席の全体の様子だけじゃなく、お客さんの表情とかまではっきりと見えている」と言うのを耳にする。
私も、さすがに一人一人の表情をはっきりとまでは見ていないけど、みんながこのライブをどう思っているのか、その気持ちはひしひしと伝わってきていた。
まるでそれは、私の心を映す鏡のようだなって、思いながら。
私はもしかしたら今ジェームスさんがそこでこのライブを観てくれているかもしれない、関係者席の方を見ていた。
ライブ終了後。楽屋に戻り、着替えなどの演者が撤収するための作業を終えてから、私は一旦ホテルの部屋へと戻ってきている。今日は会場もそこまで大きくないので、私だけは早めに帰って来られた。どうやら忍者の格好をした安心感を与えてくれた人はもう帰っちゃったみたい。
まずはスマホを使い、いつも通りTyoritterで「ライブありがとうございました!お気をつけてお帰りくださいね」とツイートしておく。事務所から言われてやっていることだけど、せっかく来てくださったみなさんに対しては、本当に無事に家に帰り着いて欲しいな、と思っている。
それからRINEでラスナ君とのチャットを開いた。ラスナ君の反省と謝罪の言葉を最後に会話は終わっていて、ラスナ君側から見ればいわゆる「既読無視」を私がしている形だ。
もしかしたらラスナ君は正体をばらさずにうまくやれた、と思っているかもしれないので、一応今日の忍者さんの件には触れずに会話を続けてあげることにする。
「自分:今日のライブが楽しかったから、許してあげてもいいよ。次の旅ではお土産を買って来てね」
そういえば……ガルドへの旅から帰ってきて以来、フィーナちゃんはそれまで持っていなかったはずの見慣れない赤いリボンで髪をまとめていて、外しているときは大切そうに肌身離さず持っているのを見たけど……。
むう……やっぱり許さない方が良かったかな……。
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