『風神龍』ルドラ

 首都リオクライドに着いたのは夜だった。

 今回は寝ることもなくずっと起きていたフィーナは、宿に向かう道中も元気一杯だ。

 フィーナはサントを出る前に着替えておめかしをしている。首都ではガルド王家の目があるかららしい。王女ってのは大変だな。しかし、目があるっつってもいちちいそんな見てるやつがいるもんなのか。たしかに、さっきから誰かに見られている気がしないでもないけど……。


 リオクライドの街を歩く人々の数は、サントとは段違いだった。

 街を照らす街灯の数が多く、夜なのに電気系統の設備があるみたいに明るい。

 昼と変わらずにどこかからやってくるたくさんの人々が、止むことのない喧騒を生み出し、街を彩っている。


 宿を目指して歩きながら、ライラが明日のことに関する説明をしてくれた。


「これから宿を取って一泊し、朝には風神の住処であるグリーンバレーを目指して馬車に乗ります。ただし、馬車に乗れるのはグリーンバレーの手前までです」

「そうなのか?」

「ええ。行けばわかりますが、グリーンバレーはその名の通り谷ですから。とても馬車が往来できるようなところではないのです」

「なるほどな」


 リオクライドは宿の件数も多く、混むようなイベントも現在は行われていないので、部屋をすぐに確保できたのでその日はすぐに休んだ。


 翌日、目が覚めるとすぐに準備を済ませて、グリーンバレー行きの馬車に乗る。

 グリーンバレーまでの道は、今までとは違ってマダラの行き来とは関係のない道だからか、人通りは少なくあまり整備もされていない。馬車の後ろを尾を引くように舞う土埃の匂いを嗅ぎながら風景をぼんやりと眺めていた。


 グリーンバレーに到着し、馬車を降りる。今までとは違い、馬車乗り場に人はいない。俺たちだけだ。ここが風神の住処というのは周知の事実らしいけど、普段は神々に会う必要もないので、ここに来る用事があるとすれば祈りを捧げたりとかくらいだ。早い話が普通に生活してれば来ることはないってこと。

 一般の人が魔法を使う際に行われる契約も、わざわざ会って交わすわけではなくて自然といつの間にか交わされているものだ。


 一般の人は生まれたときから一つだけ契約が交わされていて、最初に契約が交わされた属性の魔法だけが使える。で、その属性の「熟練度」を高めて極めると、次の属性の魔法が使えるようになる。らしい。この辺は学校で普通に勉強する話だ。

 「熟練度」というのは、その属性の魔法を使い慣れることで、神々に自分のイメージをより鮮明に伝えやすくなるパラメーターのことだ。でも、目には見えないから、魔法の修行を積む人々はそこで自分との戦いになる。いつまでやればその属性を極められるのか、わからないままに延々と修行をすることになるからだ。

 ちなみに、「熟練度」を上げ切って次に使えるようになる魔法の属性は、今のところ選ぶことはできないと言われている。正確には、「ある程度根拠のあるランダム」といった感じで、その人との相性や、普段から次に使えるようになりますようにと強く願っているかなど、様々な要素が影響していると考えられていた。


 馬車乗り場から谷の入り口に来ると、眼下に広がる風景に息を呑んだ。

 こちらと谷の向こう側とで大きく大地が割れ、崖には下へと降りるための道が土魔法によって両側に整備されている。谷底はそこそこに深いけど、ここから見えないというほどでもない。

 時刻は昼過ぎ。晴天の空からは陽射しが差し込んでくるものの、その暖かさが失われていくかのように、谷の下の方には光が届きづらく、生命の気配も薄れていっている。

 谷の周りも殺風景だ。視界の奥の方には緑が見えるものの、ほとんど何もない。転がった石や目の荒い砂からできた土の地面が、足音を荒くしている。

 こちらと向こうを繋ぐ橋も谷にかけられているが、怖すぎてここから渡るやつはいないだろう。


「グリーンバレーって割には緑が全然ないな」

「風神龍ルドラはグリーンドラゴンですので。それでグリーンバレーと呼ばれている、というのが最も有力な説ですね」


 何て?

 俺は思わずライラの方を見た。


「えっ……何?グリーンドラゴン?」

「はい。グリーンドラゴンです。それがどうかしたのですか?」

「えっ……ルドラってドラゴンなの?」

「もしかしてお兄ちゃん知らなかったの?」


 何?結構一般常識なの、それ?


「ボブは風神がドラゴンだって知ってたか?」

「…………」

「そこは喋らないのかよ!」


 こいつの喋るタイミングの基準が全然わからん。


「逆に聞きますが、ルドラを一体何だと思っていたのですか?」

「いや、何かよぼよぼの仙人みたいなのを想像してたんだけど……」

「それ、ルドラさんには絶対言っちゃだめだよ……」


 フィーナは呆れ顔だ。


「またそのような嘘を……ラスナ殿のことですから、ルドラのことは若い女性だとでも思っていたのでしょう?」

「何を言ってんだ?」


 なぜかライラは俺を犯罪者に仕立てあげる方向で物事を考える傾向があるな。


「しかし困ったな……。いざとなればルドラを倒せばいいかくらいに考えてたんだけど……」

「お兄ちゃんバカじゃないの?」


 うっ……妹のように可愛がっているフィーナに言われるときつい。


「ていうかドラゴンってことは話が通じないんじゃないのか?」

「本当にラスナ殿は女性のことしか頭にないのですね……神々が人語で会話ができるというのは常識中の常識ですよ?」


 もういい加減この扱いにも慣れてきたので、前半はスルーだ。


「じゃあもしルドラが『我と契約を交わしたければ、我を倒すがいい!ガーハッハッハ!』とか言ってきたらどうするんだよ」

「漫画の読みすぎですね」


 ライラは額に手を当ててため息をついてから続ける。


「ルドラは神々の中でも親人派……私たち人間を好きな方の神なのです。少なくとも直接戦うような要求はしてこないでしょう。契約に際して条件を出してくるとしたら、それが簡単なものとも思えませんが」

「そうだったのか」


 人間を好きな神ってのもいるんだな。ガイアは嫌ってそうな感じだったけど。


「一応言っておくけど……他の神様も、全部ドラゴンだからね?光と闇の神様は誰も見たことがないから、そうとは言い切れないんだけど」

「そうなのか」


 さっきから頷くことしかできない。そして、フィーナが教えてくれた中に少し引っ掛かるものがあった。


「光と闇の神は誰も会ったことがないのか?何で?」

「どこに住んでるかわからないから……だと思う。なぜか光と闇の魔法だけ性質が特殊だから、そもそも神様がこの世界にいるのかどうかもわかんないの。私は光魔法を使わせてもらってるから、光の神様には一度くらい会ってみたいんだけどね」


 光と闇の魔法は特殊で、生まれつきの素質がなければ使えない。素質がある人なら例えば、火が最初に契約された属性だとしたら、火と光が最初に使えるといった具合になる。


「なるほどね。二人ともありがとな」


 神様に関するライラ&フィーナ大先生の講義はこれにて終了。


「よし、それじゃ行くか……どこに?」


 そういえばグリーンバレーのどこにルドラがいるのかを知らない。

 俺は後ろを振り返った。


「谷底に大きな横穴が空いているのが見えますか?あそこです」


 ライラの指さした方向に、たしかに横穴が空いているのが見える。洞窟の中に住んでいるらしい。ていうか、俺のすぐ目の前にも「風神龍ルドラのほこら↓」と書いてある看板が立っている。下に行くにつれて他にもあるみたいだ。観光名所か。


「ありがと。それじゃ行こう」


 土魔法で整備されているらしい坂を下る。いつでも元気なフィーナは怖いのか、下っている時には俺の服の裾をちょこんとつまんでいた。

 まあ、気持ちはわかる。正直俺も怖い。

 坂には一応落下防止柵的なものは設置されているんだけど、作りが雑で心もとない。全力で寄りかかれば柵もろとも下に落ちてしまいそうだ。


 びくびくしながら坂を下ると、やがて谷底に到着。

 谷底まで来ると陽光は届きづらく、薄暗くなってくる。ルドラに会う不安と期待のうち、不安を少しばかり大きくされてしまった気がする。

 ルドラの部屋への入り口の前に立った。

 雨風での影響を考慮したのか、入り口を少し入ったところに「ルドラのお部屋」という看板が立っていた。微妙に緊張感がない。

 緊張を身体の中から追い出すかのように、大きく息を吸って吐く。


「よし」


 自分に言い聞かせるように言って、歩き始めた。

 しかしこの穴でかいな。ルドラが通れるようにってことか?

 奥に行くにつれて光はどんどん届かなくなり、視界を闇が覆う。

 フィーナとボブが、火の魔法で明るく周囲を照らし始めてくれた。

 奥に明るい場所から光が漏れているのが見えるんだけど、あれがルドラの部屋なんだろうか。

 途中には本当に何もなく、ただ暗い道が続いているだけだ。

 やがて、その明るい場所にたどり着いた。


 その部屋のような場所は中に入ると一気に開けていて、中々に広い。

 千人ほどを収容できるライブハウスを思わせる広さだ。天井はそれよりも高いかもしれない。

 部屋の壁に点々と松明を置く台座がついていて、そこに火のついた松明が置いてあるので、部屋の全容が見渡せるほどの明るさになっている。

 でも……。


「誰もいねえな」

「そうですね。実は私も場所を知っているだけで、神にお会いするのは初めてですので……どういったシステムになっているのかは把握していないのです」


 ライラが申し訳なさそうにそう言った。


「クロスは何か知らないのか?」

「知らん。そもそも俺は知らないことの方が多いぞ。ガイアからこの世界に関してそこそこの説明は受けたが……お前らが知らんことなら大体は知らん」


 ふむ。八方塞がり四面楚歌。


「ご飯でも買いに行ってるんじゃないの?」

「おっ、だったらここで待ってれば天チキ持って帰ってくるんじゃね?」

「何で天マに行ってること前提なの?」


 フィーナに突っ込まれる。神も天マには行きたいんじゃないかな。


「見当がつきませんね。ひとまず、ここで昼食にしましょうか」

「そうしよ!お腹空いちゃった」


 ライラの提案にフィーナがのった。

 そうして俺たちはこともあろうに神の住処でのんきに飯を食うことになった。緊張感ねえなおい。

 ボブの荷物からシートを出して広げる。

 各自昼食を取り出して座り、準備完了。

 四人が菱形になるように座った。俺は部屋の入り口に向かって座る形になり、俺から見て正面がボブ、右にフィーナ、左にライラが座っている。


「「「いただきます」」」


 お行儀よくいただきますをしてから食器を手に取り、またはパンにがっつこうとしたその時。

 後ろで何かの気配がした。

 まあいいかと思って構わず飯を食い始めたんだけど、フィーナはフォークを、ライラは箸を咥えたまま俺の後ろを見て固まっている。お行儀が悪い。

 ボブも俺の後ろを見て固まっているんだけど、今気づいた。こいつ飯持ってくるの忘れてるわ。何も持っていない。言えばいいのに……俺のを分けてやるか。


「おいボブ。俺のを分けてやろ……」


 そのときだった。俺の言葉を遮るように後ろから声がした。


「ちょうど飯どきだったか。俺も混ざっていいか?」


 男の声だが、聞いたことがない。俺の声でもなければボブの声でもないし、そもそも俺やボブとは年齢のかけ離れた、シブいおっさんの声だ。

 俺は思わず口をもぐもぐさせながら振り返った。


 爬虫類を思わせる頭部に、長短二本ずつのうねうねと曲がった角が生えている。

 腕や足は長くもないけど筋肉質で、鋭く尖った爪を備えていた。

 全身を覆う鱗は緑色。胴体部分からは、身体の大きさとは少し不釣り合いとも言える大きな翼が生えている。


 どう見ても名前の通りのグリーンドラゴンです。お疲れ様でした。

 俺は座って振り返った体勢のまま、口の中のものを飲み込んでから聞いてみる。


「どちら様ですか?」

「何だ。ここまで来たのに俺のことを知らないのか。俺は風属性の魔法を司る『風神龍』ルドラだ。ここはテストに出るぞ」

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