episode:13【消える靴の謎】


「あれ!? 靴が片方無い!! アンタの仕業ね!!」


 朝の忙しい時間帯。我が家は玄関では無く、縁側で靴を履き、庭 兼 駐車場から それぞれ職場や学校へと向かう。玄関から行くよりも、縁側からの方が早く外に出ることが出来るためだ。


 早出勤務の母が真っ先に縁側で靴を履こうとしたのだが、片方だけ靴が消えていた。


「私じゃないよ! 靴なんか隠したって面白くないもん!」


 小学生の頃の私は母にイタズラを仕掛けて遊ぶのが好きだった。母が座る座布団の下にブーブークッションを仕掛けたり、まさに小学生が考えそうなイタズラで母を困らせていた。そのため、真っ先に疑われた訳だ。


 しかし、私にもイタズラの美学がある。どこかの大泥棒と同じように、人を傷つける事はしない。本当に困るようなイタズラもしない。エンターテインメントに溢れ、イタズラを仕掛ける側も騙された側も笑顔になるイタズラしかしないと決めている。


「心外だなー、まったく」

「早く靴を返しなさい!!」

「だから、知らないってば!!」

「もういい。違う靴履いていくから!! ……この靴、お気に入りだったのに……」

 

 諦め半分、怒り半分で違う靴を履き、玄関から母は仕事へ出かけた。


 それにしても、誰が片方だけ靴を持って行ったのだろう。疑われたままは、癪だ。自分の手で犯人を暴き出す。


 ……そう意気込んだものの、幽霊やオカルトは苦手だ。怖い番組を見たら、最後。目に焼き付いて離れず、瞼を閉じると映像が浮かぶ。寝ることすら、恐怖なのだ。勿論、トイレにも付き添いがいないと行けなくなってしまう。


 果たして、こんなにもチキンな自分に犯人を暴く事が出来るのか……。


「おはよー!!」

「あ、迎えが来ちゃった! 行ってきます!」

「いってらっしゃーい」


 家の前では、登校班のみんなが待っている。急いで ランドセルを背負い、縁側に並べられた靴を履く。大小様々な五人家族分の靴が横一列に並んでいる。これだけ靴があるのに、何故母の右足の靴だけ持ち去ったのか……。謎は深まるばかりだ。


 その日の夕方。学校からの下校途中、近所に住む Oさんと会った。その手には犬用のリードが二本。私の顔が一瞬にして引き攣る。


「ワンワン!!!!」


 案の定、吠えられた。Oさん宅は、登下校のルートに含まれ、彼の家の前を通らなければ我が家に帰る事が出来ない。Oさんは、どこかの会社の偉い方で今は引退したと近所のオバサンたちが話しているのを聞いた。


 近所でも目を引く 洋風の大きな家で庭も広く、飼っているのは真っ黒なラブラドール。体が黒だからなのか、雄だからなのか、それとも私自身が小さいせいか、犬ではなく、ライオンや虎のような猛獣に近い迫力があった。


「コラ! ラッキー!! ……ごめんね、ビックリさせて……」

「い、いえ……」


 ラッキーは怒られ、悲しい目でOさんを見つめていた。名前は可愛いらしいのだが、Oさん宅を通る度、毎回吠えられる。ラッキーは私を見るなり、プイッと顔を逸らした。余程、私のことが気に入らないらしい。


 ラッキーの影から、子犬が現れた。Oさんが手にしているラッキーとは別のもう一つのリードに繋がれている。茶色の毛をフサフサ揺らしながら、私に向かって歩いてくる。


 可愛いテディベアのような子犬。見た目は柴犬のようだが、Oさんに訊ねると「この子は雑種なんだよ」と教えてくれた。


 クンクンと私の足元の匂いを嗅ぎ、差し出した手をペロペロと挨拶代わりに舐めてくれた。可愛い子犬に頬を緩ませていると、ラッキーが私に鋭い視線を向けていた。「早く帰れ」と言わんばかりに。


「途中までになるが、コロを散歩させてみるかい?」

「え? いいんですか!?」

「もちろん! コロも友達が出来たと喜んでいるよ。まだ家に来て、日が浅いんだ」


 ラッキーは迷惑そうに欠伸を一つ。犬を飼うことに憧れていた私は嬉しくて仕方なかった。


 Oさんからリードを任され、コロと一緒に歩き出す。最初は、おっかなびっくりだったが、少しずつ慣れ、Oさん宅に着く頃には様になっていた。


「ありがとうございました! コロもありがとう!」

「いいえ。こちらこそ、コロの散歩に付き合ってくれて、ありがとう! 今度また、散歩しておくれ」

「はい! ……ラッキーもまたね」


 恐る恐るラッキーに声を掛けるも、見向きもせず、彼はスタスタと歩き出し、Oさんよりも先に家の中へ入ってしまった。


 Oさんとお辞儀を交わし、大きな黒い門がゆっくりと閉じられていく。夢から覚めるように私も現実へ引き戻されていった。


 挨拶程度しか交わしたことが無い Oさんと話しながら歩いたり、犬と散歩するという夢を叶えたこと、同時に二つも凄いことが起きた。


 Oさんは自分の中で、雲の上のような人物なのだ。元社長、ということが大きい。小学三年生くらいの児童にとって、大統領・総理大臣に次いで社長というワードは人気がある。


 翌朝。またしても「靴がない!!」という声が家に響いた。


「今度は誰の!?」

「ワシの靴が!! 散歩に行こうと思ったのに……」


 見ると、祖父の靴が片方消え、もう片方は裏口手前に落ちていた。今度は両足分を持っていこうとしたようだ。ということは、犯人は裏口から侵入し、出て行ったことになる。しかし、裏口が開いた形跡はない。


 不可解だ。腕を組み、首を傾げる。左を見れば、家族全員 同じポーズで、縁側から残された祖父の片方の靴を眺めていた。


「あ、仕事行かなきゃ!! 行ってきます!!」

「わ、もう こんな時間!! 行ってきます!!」


 両親共にドタバタと靴を履き、祖父の残された右足の靴を母は縁側へ戻すと、父と二人 それぞれの仕事場へと出かけて行った。私も、そろそろ学校へ行く準備をしなければ……。


「平成の世に、まさか靴泥棒が現れるとはな……」


 落胆した祖父が零した言葉に私も強く同意した。バブル期は崩壊しているものの、周りの生活は決して苦しい訳ではない。むしろ耳にするのは、海外旅行へ行っただの、国内旅行に三泊四日行ってきただの、新車を現金一括で買ったなどの贅沢に暮らしている話ばかり。


 そんな人々が暮らす町内で靴泥棒が現れた。こんな怪奇な話があるだろうか。空き巣や強盗なら、まだ分かる。それに、靴を盗んでどうするのかも気になるところだ。


 私は思い切って、登校班のみんなに聞いてみた。同じ町内に住んでいて、家も近所。もしかしたら、他にも被害が出ているかもしれないと思ったのだ。


 だが、さすがに「靴盗まれてない?」とは聞きにくく、代わりに「最近、何か失くなったものはない?」と訊ねた。しかし、誰も何も失くなっていないという。


「何で、そんな事聞くの? 何か失くなったの? 」

「いや、ちょっと気になっただけ……」


 苦し紛れの言い訳も生まれた時からの幼なじみには通用せず、「何かあったんでしょ? 話して」と見透かされてしまった。


 列の一番後ろを幼なじみと歩き、小声で彼女にだけ打ち明けた。


「実は……。最近、立て続けに家族の誰かの靴が片方失くなってるんだ……」

「へ? 靴? 片方だけ? 何で?」

「分かんない。だから、家(うち)だけじゃなく、みんなの家も被害に遭ってないか気になったんだ」

「そっか……。多分、みんなの家は大丈夫だと思うよ。ほら、犬飼ってる家ばかりだから」


 言われてみれば、ご近所のお宅は犬を飼っている家が殆どだ。我が家は祖母が潔癖症のため、ペット厳禁だが……。


 そうか……。周りは犬がいるから被害に遭っていないのか。もしかすると……靴を盗まれずに済むかもしれない。


 その晩。私は対策に打って出た。

幼なじみとの会話から得たヒントを元に縁側近くの裏口の扉や壁、更に玄関前にも施していく。「玄関には要らないんじゃない?」と見栄えを気にする祖母に嫌な顔をされたが、気にしない。用心に越したことはないはずだ。


「よし、これでラスト!!」


── ペタッ


 100円均一で買ってきた【 猛犬注意 】と書かれたステッカーを至る所に貼り付けた。犬が居ると分かれば、泥棒も尻尾を巻いて引き返すはずだ。現に犬を飼っている周りの家は被害に遭っていないのだから。


 明日こそ、静かな朝を迎えられる。そう思っていたのだが……。


── チュン、チュン……


 翌朝。目が覚め、真っ先に縁側へ向かうと、既に家族が集結していた。


「おはよ。……どうだった?」

「効果なし。今朝は、アタシの靴をやられたよ……」


 ガッカリした面持ちで残された右足の靴を祖母は私に見せた。


 ステッカーも意味を成さなかったか……。一度盗みに入り、犬がいない事を知っているから通用しなかったのかもしれない。


「……参ったなぁ」


 どうしたものかと歩いていると、私が発するよりも先に目の前に立っている男性が そう呟いていた。


「おはようございます」

「あぁ、おはよう」


 振り向いた男性は、Oさんだった。どこかソワソワして落ち着きがない。何かあったのは、一目瞭然だった。「どうかしたんですか?」と訊ねた私に Oさんは肩を落としながら、話し始めた。


「実は、コロが行方不明でね……」

「え!? いつからですか!?」

「今朝、散歩に出て帰ってきたら逃げてしまったんだ。そこまでは、よくある事なんだが……一時間以上も帰ってこないから心配で……。それに、家の前に こんなものが。まったく、どこで拾ってきたんだか……」


 Oさんが手にしていたものを見て、私は驚いた。それは紛れもなく、今朝 祖母が私に見せた残された靴の片割れだったから。


「……失礼ですが、コロの犬小屋見せて頂けませんか? 実は、その靴……祖母のなんです」

「何だって!?」

「もしかしたら、だけど……。毎朝 家の誰かの靴が朝に失くなって……」

「……有り得るかもしれないな……。どうぞ、入って。一緒に見てみよう」


 「はい」と返事をしたものの、大きな黒い門を潜り、Oさん宅の敷地内に入った途端、引き返したくなった。


 あのラッキーが自由に、それも優雅に庭を歩き回っていたのだ。


 私を見つけるなり、ラッキーは威嚇に入った。低い唸り声を上げ、鋭い牙を見せ、今にも噛みつきそうだ。


「ラッキー。お客さんだよ」


 Oさんの声にラッキーは威嚇を止めた。が、何故か私の後ろを付いてくる。そっと振り返ると、「へたな真似すると噛むぞ」と刑事ドラマで犯人を連行する警官のような顔つきで私を見張っていた。


 ラッキーを賢いと思いつつ、自分は信用ないんだなと悲しくなった。


 お屋敷の裏に木があり、その下にコロの犬小屋はあった。真新しい木で出来た小屋で、仄かに木の香りが辺りに漂っていた。


 Oさんが小屋を覗き、次々に小屋から靴が顔を出す。我が家のものが殆どだったが、中にはOさんの奥さんの靴や、Oさんの靴も紛れていた。コロは靴をおもちゃ代わりにしていたようだ。


「こりゃ驚いたな! すまなかったね、迷惑かけて……」

「いいえ!」

「コロには、きつく叱っておくから。御家族にも謝罪に行かないと! すまないが、案内してくれないかい?」

「え? あ、はい……」


 「謝罪は大丈夫です!」と言いたかったが、大人には色々と事情がある。特に狭い町内だ。いい事も悪い事も広まるのは、あっという間。私は、Oさんを自宅へと案内した。


 元社長さんというのは、やはり凄い。というのも、私への手土産が【 高級クッキー詰め合わせ 】二缶。「貰い物で申し訳ないが」とOさんは言っていたが、とんでもない。


 そんな【 高級クッキー詰め合わせ 】が家にある事自体、私からすれば奇跡のようなものだ。更に「誰も食べなくて、溜まってしまうんだ」とは羨ましい。美味しいものが食べられるなら、Oさん宅の子供になりたい。


「……参ったねぇ」


 家に着いた時。祖母の声が聞こえ、私を現実に引き戻した。


「ただいま! どうしたの?」

「……可愛いお客さんが」


 裏口から中へ入ると、ボールと遊んでいるコロがいた。


「コロッ!!」


 祖母に謝罪をした後、Oさんはコロに駆け寄り、説教を始めた。私は祖母にOさんに頂いたお土産と、持ち帰った みんなの靴を渡した。


「あら? じゃあ……犯人は」

「そっ。コロだったんだ。……犬じゃ、ステッカー貼っても字は読めないし、匂いで犬がいないって分かるから、すんなり入って来れたんだろうね。まだ子犬で体も小さいから。ただ、じぃちゃんの靴は大きいから裏口の下に片方しか通らなかったみたいだけど」


 犯人も分かり、この日以来 誰かの靴が失くなることは無かった。が、頻繁にコロが家に遊びに来るようになり、潔癖症の祖母も たいそう可愛がっていた。


消える靴の謎【 完 】

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