episode:12【一期一会】

 とある県に家族で出掛けた。駅の側に大きな公園があり、子供たちは一目散に滑り台やブランコの遊具に走っていった。


「まったく、長旅したっていうのに元気だね」

「だな」


 夫婦でベンチに腰を下ろし、陽だまりのような目で、はしゃぐ子供たちを見守っていた。荷物は先に郵送してある為、身軽ではあるが電車を乗り継いで二時間半の旅は大人でも疲れる。子供なら尚更だろうと思っていが……子供の体力を甘く見ていたようだ。


「缶コーヒー買ってくるね」

「ブラックで」

「分かった」


 近くにあった自動販売機へ行き、カフェオレとブラックのホットを買い、再びベンチに戻ろうと振り返ると、真後ろに一人のご婦人が杖を持って立っていた。


 お待たせしてしまっただろうか……。そう思い、「お待たせしてすみません」と声を掛けると「大丈夫よ」と彼女は微笑んだ。


「可愛いお子さんたちね。さっき、私に挨拶してくれたの」

「そうですか……。ありがとうございます」


 こういう時、どう返したら良いのか よく分からない。とりあえず、お辞儀と笑顔を私はご婦人に返し、その場を後にした。


 ベンチに戻ると、子供たちが私に駆け寄り、自分たちの飲み物がない!と文句を言い出した。また自動販売機に行くのか……と項垂れながら、顔を上げると先程のご婦人が自動販売機の前で手招きしている。その両手には、ジュースと思わしきパッケージの缶が握られていた。


「わーい、ジュースだー!!」

「ストップ! いつも言ってるでしょ! 知らない人から物を貰っちゃダメって」


 「忘れてた」と口には出さずも、顔に出ていた。子供とは、どこまでも純粋だ。表情一つで、気持ちが読み取れるのだから。


「ちょっと待ってて。話してくる」


 私は自動販売機の前で待つ ご婦人の元へ駆け寄った。


「これ、お子さん達に」

「い、いえ! 受け取れません」

「挨拶してくれたのが嬉しかったの。だから、あの子達に」

「いいえ! お気持ちだけで充分ですから。そのお気持ちが嬉しいです。ありがとうございます」


 頭の下げ合いが続く中、ご婦人は無理やり私の手にジュースを押し付けた。


「 " サイゴ " の……" サイゴ " のお願い、どうか受け取ってちょうだい!」


 言葉だけでなく、彼女の目も「お願い!」と訴えかけていた。ただならぬ気迫がそこにはあり、私は受け取ることしか出来なかった。


 彼女は嬉しそうに「ありがとう」と微笑むと太陽が夕日へ変わり始めた方角へと去っていった。


「知らない人から、物を貰っちゃダメって言ってたのに!」


 子供はストレートに痛いところを突いてくる。親の威厳もあったものではない。これでは、只の嘘つきだ。


「断りに行って、何で貰って帰ってくるんだよ! 赤の他人だぞ?」

「そうなんだけど……断りきれなかったんだよ。だって、" サイゴ " のお願いって言うんだもん……」


 あの時のご婦人の目は尋常じゃなかった。最期を示唆しているようにも感じた。


「……そろそろ電車の時間だ」


 重くなった空気を断ち切るように夫はベンチから立ちあがった。子供たちも彼に合わせ、「また電車に乗るの?」と瞳を輝かせた。私も息を吐き出し、「その前にトイレ行かないとね!」と明るく振舞った。


 こういう時、彼と結婚して良かったとつくづく思う。切り替え上手で、直ぐに場をリセットしてくれる。例え喧嘩をしたとしても、ズルズル引き摺ることは無い。例え、私が引き摺っていたとしても、その気持ちすら切り替えてくれる。手のひらで上手く転がされているだけかもしれないが、そのおかげで夫婦円満に過ごせているのだから、それはそれでいいと思っている。


 駅へ続く階段を登り、切符売り場で私が切符を買っている間、旦那と子供たちは先にトイレへ向かった。


 夕暮れ時なこともあり、駅には たくさんの人がいる。世間の土曜日は、平日と変わらない。


 大きな柱に貼られた駅の全体マップでトイレの場所を確認し、歩き出そうと一歩を踏み出した時だった。


「お嬢さん」


 私を見つめたまま、一人の男性が正面から歩いてくる。見た目で判断するのは失礼だが、歳は五十手前ほど。身長は、さほど大きくない。170cm前後くらいだろうか……。服装も周りのサラリーマンと同じスーツ姿だ。


 しかし、私は " お嬢さん " と呼ばれるような歳ではない。辺りをキョロキョロし、" お嬢さん " らしき女性を探すも目に止まるのは、スーツ姿のサラリーマンの方ばかり。若者は居たとしても、向かってくる男性の背面側。皆せかせかと歩いており、止まっているのは私だけ。


 男性は、ついに私の前に来た。


「これをお嬢さんにあげる」

「……え?」


 差し出されたのは、12ダースのチョコレート。様々な味が入っているらしく、パッケージには色とりどりのフルーツが描かれている。一日に赤の他人から物を頂くことが二回もあるだろうか?


 困惑している私に男性は続けた。


「これを食べれば救えるよ。……それじゃ」

「え!? あの! ちょっと、困ります!」


 また無理やり手に握らされ、去った男性を追いかけようと振り向いたのだが、人混みに紛れ、男性を見失ってしまった。


 一体、このチョコレートで何を救えるというのだろう……。


 乗車する電車が来るのをホームで待っていると、アナウンスが流れた。


「17時10分発の電車は人身事故の為、運転を見合わせております。再開まで、もう暫くお待ちください」


 人身事故、か……。再開に時間を要するだろう。夫と顔を見合わせ、「参ったね」と肩を竦めた。 


「この近くの線路でお婆ちゃんが轢かれたみたい……。遮断機が降りてたのに、飛び込んできたんだって」


 耳に入った周りの声に胸がざわついた。お婆ちゃん……。浮かんだのは、先程のご婦人の顔だった。そして、あのフレーズがループする。


『" サイゴ " の……" サイゴ " のお願い、受け取ってちょうだい!』


 『ありがとう』と笑った ご婦人の顔は、とても晴れやかだった。もし線路に飛び込んだのが、あのご婦人だとしたら、私は引導を渡してしまったのかもしれない……。


 起こってしまったことは変えられない。私のせいで、彼女がこの世に未練を無くし、去ってしまったのだとしたら、これは罪だ。一生忘れられない過ちを私は犯してしまったのだ。


「ねーねー、チョコレートがあるよ。食べてもいい?」

「コラッ! 勝手にママのバッグを漁るんじゃない!!」


 子供が手にしているチョコレートを見て、男性の言葉を思い出した。


─── これを食べれば救えるよ


 そんな事が起こるはずがない。起こり得ない。気持ちのリセットは出来ても、起きた事をリセットは出来ない。やり直しが利かないのが人生だ。それに、何か変な物が入っているかもしれない。安易に食べるのは危険だ。


 私が色々考えている内、子供たちは包装を解き、「いただきまーす!」と口へ運んでしまった。


「美味しい!! イチゴ味だ!!」

「いいなー。これ何味かな? ……あ! バナナだ! 美味しい!!」

「どれどれ……ん? パパのは何だろう……カシス、かな?」


 旦那まで食べている。「ママも、どーぞ!」と差し出されてしまった。……仕方ない。私も一粒掴み、口へ運んだ。甘いチョコレートの香りと、仄かに香る桃……。口の中で溶けていく美味しさに、うっとり目を閉じた。


── ♪~ ♪ ~

突如、電車が到着した時に鳴る音楽がスピーカーから流れ出した。


「え? え?」


 電車は、人身事故でストップしていたはずだ……。もう再開したというのか? いや、ホーム自体、人身事故があった空気ではない。周りも何事も無かったかのような雰囲気に変わっている。


「17時10分発○○行きの列車が間もなくホームに到着します。黄色の線の内側に……」


 狐に摘まれた気分だ。夢でも見ていたのだろうか……。ホームに設置してある時計もピッタリ17時10分を指している。


 電車がホームに到着した。思いの外、降りてくる人が多い。その中に居た一人の人物と目が合った。それは……切符売り場近くで会った男性。だが、彼はキョトンとした顔で去っていった。まるで、初めて会ったかのように……。


「電車に乗るから、食べかけのチョコレートの蓋を閉めて、ママのバッグに戻して」


 夫に言われた通り、私のバッグに食べかけのチョコレートを子供たちは戻した。車内に乗り込み、空いていたボックス席に私たちは座った。


 チョコレートを食べたこともあり、「喉乾いたー」と子供たちは言い始めた。バッグから、ご婦人に頂いたジュースを取り出し、子供たちに渡した。


 ガタン、ゴトン……

レールの上を電車は走っていく。


 カン、カン、カン、カン……

遮断機の音が聞こえてくる。


「あ!」子供たちが何かを発見し、手を振り始めた。身を乗り出し、車窓の外を見てみると、あのご婦人が踏切の前に神妙な面持ちで立っていた。通り過ぎる、ほんの一瞬ではあったが、彼女は私たちに気づき、手を振った。


 私は彼女を目で追い続けた。《 ……もしや 》を確かめるべく。 踏切の側から離れ、彼女は道を折り返して行った。その足取りは、杖を使ってはいるが、シッカリしていた。


「ねーねー、またチョコレート食べたい」


 チョコレートをバッグから取り出し、表裏を確認したが至って普通のチョコレートだった。不思議なこともあるものだ……。あの体験は何だったのやら……。


「……あれ?」


 チョコレートの賞味期限は、大体が製造から一年。しかし、頂いたチョコレートの箱には、二十年後が明記されていた。ということは、製造されたのが十九年後……?


 私が会った あの男性は、時空列が違うパラレルワールド(平行世界)から来た人物だったのだろうか……。


 ガタン、ゴトン……

電車の走る音が重く耳に響いた。


 きっと、二度と彼らに会うことはないだろう。それが、【 一期一会 】というものなのだから。



一期一会【完】

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