episode:11【動き回る体】


 これは、私の友人が体験した話である。とは言え、夢遊病の症状は本人には分からない。なぜなら、本人は眠っているのだから。彼女の怪奇行動を目撃したのは、友人の母だった。


 小学三年生の頃だったか、友人が私に こんな事を訊ねた。


「あのさ……寝ながら、お菓子食べたことある?」


 どういう意味か分からず、「寝っ転がりながらってこと?」と聞き返したが、友人は首を横に振った。


「朝起きたら、お母さんが " 夜中、お菓子食べに降りてきたよ "って言うんだけど……。私、夜中に起きた記憶無いんだよね……」

「……でも、お母さんは見たんだよね?」

「うん……」


 本人は寝ていたと言うが、彼女の母は彼女が自室の2階から1階のリビングに起きてきてお菓子を食べたと言う。一体、どういうことなのだろうか。


 家が近所なこともあり、この日。私は友人宅に遊びに行くことにした。もちろん、彼女の母から話を聞くためだ。気になったら聞かずにはいられない。


 「お邪魔します!」と挨拶をすると、奥から友人の母が顔を出した。


「いらっしゃい! あら? 少し大きくなったんじゃない?」

「本当!?」


 身長が低い私に友人の母は会う度、「大きくなった」と言ってくれる。実際には大して伸びていないが、同級生の中でも一番の低身長なだけに、そう言われると素直に嬉しい。喜ぶ私の後ろから「でも、まだこんなに小さいよ」と自身の鎖骨辺りにある私の頭をポンポンと友人は撫でた。悪気ない一言ほど、イラッとするのは何故だろう……。


「さぁさ、上がって」


 友人の母に促され、玄関で靴を脱ぎ、リビングのソファーに腰掛けた。


 「ごめんね、散らかってて」と言いながら、友人の母は二人分の ぶどうジュースを お盆に乗せ、台所から出てきた。


 乾いた洗濯物は山積みになっており、お世辞にも綺麗とは言い難かったが、友人は四人兄弟。さらに祖父母も同居している。自営業なこともあり、家が職場でもある。家事をこなしつつ、育児もしながら仕事を手伝っているため、友人の母は大忙しなのだ。散らかっていても無理はない。


 頑張り屋の友人の母は、【 母親 】のお手本のような人物だった。


 日頃の疲れもあるかもしれないが、愛情深い友人の母が我が子を見間違えることは絶対に有り得ない。そう確信があったからこそ、私は奇妙な出来事の真相がより気になったのだった。


「あの……夜中、Rちゃん。お菓子食べに起きたって……」

「そうなの! もうビックリしちゃった。ほら、家の子たち人数多いから、小さいお菓子は喧嘩の火種になるから隠しとくのよ。そしたらね、夜中に起きてきて、隠しておいたお菓子食べ始めたの……。呼びかけても、返事は無いし。……でもね、これが初めてじゃないの」

「え!?」


 私とRちゃんの声が重なる。初めてでは無いのか!?と、互いに顔を見合わせていると、そんな奇妙な行動をRちゃんは度々取るのだと、彼女の母は続けた。


「聞いたことないかな? これは、【 夢遊病 】っていう病気なの。Rだけじゃなく、お兄ちゃんも同じような行動を取る時期があって、お医者さんに診てもらったら、そう診断されたんだよ。小さい頃によくある事で、大きくなるにつれて、自然と治るから問題ないって」

「へぇー、そんな病気あるんだ……」


 それから少し経ち、友人の夢遊病は治まった。


 人は寝ながらでも動くものなのだと知り、自分自身もそうなのか?と不安になったが、家族に聞いたところ、寝言は言うものの、動き回るまでには至っていなかった。


 季節は過ぎ、学校は冬休みに入った。長い休みを私は待ち望んでいた。というのも、父方は兄弟が多く、夏休みや冬休みになると、祖父母宅に集結し、イトコが全員集合する。イトコたちとは歳が近いこともあり、みんなで遊ぶことが楽しみだった。


 特に、オジサン(三男)の息子である同級生のJくんとは仲が良すぎて、会う度に喧嘩していた。


「今日、泊まっていくの?」

「分かんない。Jくんは、何日くらい泊まるの?」

「二泊して、三日目に帰る」

「そっかぁ……」


 大きな休みでないと、彼らには会えない。みんな、遠い県に住んでいるからだ。私は祖父母宅と同じ市内に住んでいるため、夜遅くには帰宅することが殆どで、祖父母宅に泊まるイトコたちを羨ましく感じていた。


「俺、お前んとこのオジサンとオバサンに頼んでやるよ」

「え?」

「お前も泊まりたいだろ? そうすれば、寝る前まで遊べるぞ」

「うん! 泊まりたい!」

「じゃ、行こう!」


 Jくんの説得が効き、両親は泊まることを許可してくれた。一旦 両親は私の服を家に取りに行き、明日の朝迎えに来ると約束し、再び帰っていった。


 家とは不思議なもので、日中は何も感じないのに、夜になると肌寒く感じる。祖父母宅が年季の入った家だということもあるかもしれないが……。廊下も先が見えないほど暗い。


 夜中、トイレに起きた私は寝る前にジュースをガブ飲みしたことを後悔していた。歩く度、年老いた廊下の板が痛いと悲鳴をあげる。それがまた不気味で、ゾワゾワと腕に恐怖を浮かび上がらせた。


 無事トイレを済ませ、部屋に戻ろうと歩き出した時だった。背の先にある台所から奇妙な音が聞こえてくる。


── ムシャ、ムシャ……クチャ、クチャ……


 ゆっくり振り返ると、廊下に微かなオレンジの光が漏れていた。恐怖はあるものの、見てみたい好奇心が勝り、少しずつ歩を光へと進めて行った。


── ムシャ、クチャ……クチャ、クチャ……


 近づく度、奇妙な音は大きくなっていく。そして、ついに私は音の正体を目撃した。


「ハムッ……ムシャ、ムシャ……クチャ、クチャ……」


 それは、四男の嫁であるオバサンが人の家の冷蔵庫を漁り、中にしまってあった夕飯の残りである蕎麦を素手で貪り食う姿だった。


 異様な光景に私は声を出すのも忘れ、ただ目前のオバサンを見つめるばかりだった。


 オバサンはと言うと、私に気付く素振りも無く、ただひたすら蕎麦を素手で掴み、口へと運んでいく。


 脳裏に友人の話が浮かんだ。オバサンは【 夢遊病 】なのかもしれない。それなら、話しかけても返事は無いはずだ。


 勇気を出し、私は「……オバサン?」と問いかけてみた。ほんの少し、彼女の肩がピクリと動いたように見えたが、やはり私の呼びかけには応えず、無我夢中で食べ続けていた。


「……夢遊病なのかな? とりあえず、オジサンに知らせないと」


 部屋の方へ体を回転させた時、急に息苦しくなり、私はそのまま冷たい床に顔を埋めた。


 翌朝目を覚ますと、布団の中に私は居た。昨夜のあれは悪夢だったのだろうか……。イトコたちは朝から楽しそうに遊んでいる。私も着替えを済ませ、彼らに混じった。そうすることで、昨夜の悪夢を忘れようとしたのだ。


 朝食前、祖母に朝ごはんを並べるのを手伝ってほしいと頼まれ、台所へ行くと、オバサン(長男の嫁)とJくんの母親(三男の嫁)が何やら困っていた。


「どうしたの?」

「……誰かが、夕飯の残り食べたみたいなの」

「義姉さん。朝ごはん、どうしましょうか? これじゃ足りないですよね……」


 ……あれは、夢じゃなかったんだ。私は昨夜の出来事を二人に打ち明けようとしたが、台所と居間の狭間に掛けられた暖簾の先から覗くオバサン(四男の嫁)に手招きされ、渋々オバサンの元へ向かった。


「……昨晩、何か見たかい?」

「……いいえ、何も」

「そう、それならいいんだけど……。夢遊病って、知ってる?」

「うん……知ってるよ」

「夢遊病は、寝ながら体が勝手に動き回るんだ。中にはね、寝ながら人を殺した人も居るんだよ。……分かるね? 誰かに言ったら、オバサンもそうなるかもしれないよ……?」


 私は黙って頷いた。何度も、何度も……。そんな私の頭をオバサンは撫で、「いい子だ」と囁いた。


 子供の頃は気づかなかったが、四男の嫁は夢遊病でも何でもない。彼女は、ただ単に食欲を満たすために、夜な夜な人様の家の冷蔵庫を漁っていたのだ。


 それをバラされては、自身の立場が無い。そこで、私が口にした【 夢遊病 】を調べ、夢遊病による殺人が過去に起こったことを知り、私を脅したのだ。


 ……人の食欲というのは、行き過ぎると恐ろしい。


 父方の四男も、彼女が年々太っていくことを疑問に感じており、ついに彼女の怪奇行動を目撃し、話し合いの結果、離婚に至った。


 夢遊病かどうかの線引きは難しい。だが、寝ながら徘徊するようなことがあれば、直ぐに医者へ行くべきだろう。何の病も、早期治療が一番なのだから……。



動き回る体【完】

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