episode:7【落し物】

 夏に向かい、日に日に増していく暑さ。外を歩いているだけでも首筋から汗が滴る。街を歩く人の中には、扇子で自身に風を送る姿も見受けられた。


 半袖が行き交う交差点。間違い探しのように、長袖を着ている人物が目に止まる。……暑くないのだろうか。男は、どんよりとした瞳と土色の黒ずんだ顔をしていた。暑さのせい、というよりも病的な事が原因で顔色が悪く、頬も痩けていた。年齢は六十を少し過ぎたほどだったが、ガリガリの体型に加え、髪もほとんど残っておらず、実年齢よりも上に見えた。


 眩しい太陽を男は睨んだ。もう自分は長くない。周りを忙しく歩く人たちと同じペースで歩こうとしてみたが、無理だった。体力もだが、気力も追いつかない。ポツン、と取り残された孤独感。まるで自身に残された時間の表れのようだった。


 交差点から人気ひとけのない路地へと男は移動した。昼間だというのに人が全くいない。廃墟となった町工場が日陰を生み、ひんやりと涼しい風が吹いていた。


「あの頃は活気があったのにな……」


 若い頃を思い出すように工場を見つめる男の目には、人で賑わっていた工場の様子が映っていた。男も ここの従業員だった。


 工場長の娘が美人で、彼女と話す時間が唯一の癒しだった。娘は高校生ではあったが、既に女性としての魅力を持っていた。


「……落し物、届けに来たよ」


 男は持っていた鞄から右足用のスニーカーを取り出すと、腰をゆっくり落とし、工場の前の道路に置いた。


「ずっと届けてあげられなくて、悪かったね。先日まで入院してたんだ」


 濁った目を細め、スニーカーを撫でた。人の頬に触れるように、愛でるようにゆっくりと男の指は何度もスニーカーを撫でていく。


 再び男は立ち上がると、更に路地の奥へと進んでいった。


 廃工場の前の道端に残された片方だけの靴。男が置いた


 次に男が向かったのは、ツツジの花が見頃を迎えた並木道。男の太もも辺りの高さと同じ背丈のツツジの植木が並んでいる。開けた通りで、車もそれなりに走っていた。


「ここは変わらないなぁ……」


 近くにある小学校から楽しそうな声が聞こえていた。時刻は午後一時を回り、昼休みに入ったのだろう。校庭で児童たちが遊ぶ姿も伺えた。


 またしても、男は鞄に手を伸ばす。今度は真っ赤な毛糸で編まれた片方だけの手袋を取り出し、ツツジの植木の上に置いた。


「……落し物、届けに来たよ。遅くなって悪かったね。先日まで入院してたんだ」


 同じ台詞を呟き、先程同様手袋を撫で回した。この男、何がしたいのだろうか。手にしている鞄の中にはまだ片方だけの靴下や片方だけのピアスなどが入っている。


 男の行動を見ていた小学四年生ほどの女子児童がフェンス越しに男に声を掛けた。誰に対しても疑問を直ぐ口に出せる、子供らしい少女だった。


「オジサン、何してるの?」


 困る素振りも見せず、振り返った男は濁った瞳で女子児童を見つめた。その瞬間、彼女は気づく。「……この人、何か変だ」と。


 顔は笑顔だが、目が笑っていない。そもそも、この顔も笑った顔とは少し違う。ニタニタとした奇妙な顔だ。前に男子がエロ本を見つけて鼻の下を伸ばした時にも似たような顔をしていた。


 マズイ人物に声を掛けてしまった……。そんな少女を見て、男は更に目を細めた。


「その顔(表情)、また見れた。懐かしいな。……君で だよ」

「……え?」

「今ね、みんなが落とした物をそれぞれの場所に戻してるんだ」


 少女は更に気づく。自分には見えないものが見えてしまう能力があることを。男から数メートル離れた木の影から四人の少女たちがジッとこちらを見ていた。


 ゆっくりと彼女たちの口元が動いている。


『 返せ……返せ……返せ…… 』


 女子児童は校舎へと走り出した。今見た全てを忘れようと全速力で走り続けた。


 いつからかは忘れたが、寝る度に男は何度も同じ夢を見るようになっていた。


 枕元に愛した少女たちが代わる代わる出ては、彼女たちが落とした物を返すように迫って来る。しかし、男は体の自由を奪われ、身動きが取れない。彼女たちの細い指が首元を締め付ける。何度も何度も……。


 退院を機に彼女たちの落し物をそれぞれの場所に返す事にした。と、同時にそれは道案内の役割にもなっていた。


 落とし物を辿って行った先にあるのは、男の自宅がある街。


「また今日も夢で会えるかな……?」


 男が帰宅した時、いつもよりも早く辺りは夕闇に包まれていた。明日は雨だと天気予報で言っていた。空は雨の準備に取り掛かり、広がる分厚い雲の影響で暗くなるのが早まったようだ。


 いつもよりも広く見える世界。

暑い中、フラフラと歩き、男は疲れていた。


 もう寝よう。全ては終わった。ゆっくりと休もう………。


 男は布団の中に入り、静かに瞳を閉じた。

 

 数日後。男に声を掛けた女子児童は、今朝届いた新聞を捲っていた。普段はテレビ欄しか見ないのだが、この日はニュース欄にも目を向けていた。


 何故、ニュース欄を読もうと思ったのかは分からない。特に気になる事も無かった。にも関わらず、何となく目を通したかった。


「……あ、この人……」


 小さな記事ではあったが、あの日会った男が載っていた。蘇る奇妙な笑い顔。


【市内で変死した男性宅から、四人の少女と思われる白骨化した遺体が発見された。彼女たちの遺留品が遺体の傍にあったことから、二十年前に起きた連続少女失踪事件の被害者たちである事が判明した】


 男の言葉が蘇る。


「その顔(表情)、また見れた。懐かしいな。……君で だよ」

「彼女たちの落とし物をそれぞれの場所に返している途中なんだ」


 返した場所こそ、少女たちが失踪した場所だった。そして、被害者として顔写真が出ていた少女たちはあの日。男の後ろに立っていた子達だった。


 道端に落ちている片方だけの靴。

 植木の上に置かれた片方だけの手袋。


【 落し物 】にも、落とした理由がちゃんとある。


 もしかしたら、どこかで目にした落とし物も誰かが ものかもしれない……。



落し物【完】




 

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