迷火


 夢の中。

 やけに鮮明な夢の中。色づいた景色は現実世界とそう変わらない。

 今自分の視界に映っているのは、おそらく誰かの記憶だ。と、清吾は思った。確証があるわけではないが、なんとなくそう思った。

 

 ……誰か。記憶というのは本来一人に一つ。共有できないものだ。

 でも清吾が見ているのは、きっと誰かの記憶。


 そこにいたのは、長い黒髪が綺麗な小学生くらいの女の子。母親とおぼしき女性と話している。


 「ねぇ、ママ! 聞いて聞いて! 今日清吾くんがねっ!」

 「また清吾くん? あの子、今度はどんなイタズラをしたの?」

 「水鉄砲でぴゅぴゅって、みんなにやってたの! だから、わたしがモップでこうやってバシンってして、やっつけたんだよ!」

 「うふふ。相変わらず仲良しね、あなたたち二人は」

 「えー? 仲良しかなぁ? 清吾くんって、いつもイタズラばっかりして、わたしに怒られてるんだよ?」

 「あの子はね、灯李と一緒にいる時間が好きなのよ。もっと灯李といっぱいお話したいって思ってるから、イタズラするの」

 「そうなのっ!? えーっ、どうしよーっ!」

 「灯李はどう? 清吾くんと一緒にいて楽しい?」

 「えっ? わたしも、それは……そう思ってるけど……。でも、あの、そういうのは恥ずかしいよーっ! きゃーっ!」

 「ふふっ。いつまでも仲良しな二人でいてね」


 そこで記憶は一度消え、そしてまた新たな映像を映し出した。今度はさっきの女の子が中学生になっている。


 「ねぇ、ママ。今日学校で清吾くんがさぁ」

 「うふふ。今日はどんな話?」

 「なんかすっごく落ち込んでたの。話を聞いたら、模試の結果があんまり良くなかったんだって。銘関高校の判定、Dだったんだってさ。私はA判定だったけど……」

 「あらあら、このままじゃ離れ離れになっちゃうわね」

 「だからね、その……勉強会? みたいなのを一緒にやろうと思って。私がつきっきりで清吾くんの勉強をみてあげようと思うの。もちろん、自分の勉強もしながらね」

 「うん。いい考えだと思うわ」

 「それでさ、あの……どうやってその勉強会に誘えばいいかなって、思って……。自然な会話の流れで提案したいんだけど……」

 「えっ? 普通に、『二人で勉強会しようよ』って言ってあげればいいんじゃないの?」

 「い、いきなりそんなこと言ったら、私が清吾くんのことすごく気にしてるみたいじゃん。私の方から行くんじゃなくて、向こうから『勉強教えてくれよ』って、来てくれるような感じの空気を作って……」

 「あら、自分から言い出すのが恥ずかしいの? あなたたち両想いだから、そんなに気にすることないわよ」

 「か、からかわないでよっ! もうっ、早く告白でもしてくれれば、こんなに悩まなくても済むのに……!」


 と、また映像が途切れた。中学生編はここで終わり、ということだろう。

 そして次の映像では女の子は高校生くらいになっていたが、場所はなぜか病院のベッドの上で、先程まで彼女のそばにいた「ママ」はおらず、代わりにどこかで見たようなおばあさんがいた。


 「ママ、あのね、清吾くんがね」

 「灯李ちゃん……。灯李ちゃんのママは、もう……」

 「清吾くんが、夢に出てきたの! それで、『灯李、俺と結婚しよう』って言って……あれ? ママかと思ったら、ベッドのカーテンだったよ。間違えちゃった。あははは」

 「もう大丈夫だからね……。おばあちゃんがずっと一緒だからね……」

 「そうだったそうだった。みんな死んじゃったんだった。おかしいね。なんで私だけ生きてるんだろうね、おばあちゃん」

 「灯李ちゃん……」

 「ふぅ〜、なんか疲れてきたよ〜。起きてる時間ってこんなに疲れるんだっけ? 目とか、耳とか、情報がいっぱい入ってくるから、すぐ頭がいっぱいになっちゃう」

 「何も気にしなくていいから、またぐっすり眠りなさい……」

 「私、『きおくそーしつ』になりたいな。余計なこと全部忘れて、頭の中きれいにするの。大切なことだけ残してね」

 「余計なこと……? 大切なこと……?」

 「うん。漢字とか、英単語とか、数学の公式とか、どうでもいい人の名前とか、死んだ人の名前とか。そのへんは覚えてると疲れるから全部消して、今生きてる大切な人のことだけ覚えておきたいの」

 「そうだねぇ……」

 「じゃあ、そろそろ寝るね。おばあちゃん、おやすみなさい」

 「おやすみ、灯李ちゃん……」


 おばあちゃんに布団を掛けられた女の子が静かに目を閉じると、そこで映像も終わった。それと同時くらいに、清吾は自分の体がどこかに強く引っ張られるのを感じた。

 強い光。きっとこの夢の終わりを示すものだろう。清吾はどんどんそちらへ引き寄せられ、光のまぶしさに思わずぎゅっと目をつぶった。


 * * *


 「はっ……!」

 

 パチリと、まぶたが開いた。現実と見紛う夢の世界から、今度は本物の現実世界へ。

 薄暗い部屋。背中には敷き布団。そして鼻をツンと刺激する悪臭。それらを寝起きの脳内で組み立て、清吾は灯李の部屋のベッドの上に自分がいることを思い出した。

 

 (そうか……。俺は灯李の薬を飲んで、そのまま眠ってしまったのか……)


 眠る直前の記憶も蘇ってきた。ここまで来た経緯、そして目的も。

 兎にも角にも、まずは灯李だ。


 (灯李っ……! 灯李はどこだっ……!?)


 ばっと飛び起き、左右を見回してそばにいるはずの灯李を探す。急に激しく動いたので豊満な胸が揺れたが、清吾はまだそれに気付いていなかった。

 

 もぞもぞと動く布団の塊。自分の後方にそれを発見した。

 あいつはそういうことをする奴だ。そう思って清吾はほんの少し安心し、その布団の塊にそっと手を伸ばした。


 (ん……?)


 違和感を覚え、清吾は伸ばした手をピタリと止めた。


 (俺の腕……? これ、俺の右腕か?)


 やけに細い。手首の辺りが何やら赤い。そもそも服を着ていたはずなのに、服の袖が見えない。頭に疑問符を浮かべながら、清吾はその右腕をじっくり確認した。


 (き、傷っ!!? なんで俺の腕にこんな傷がっ!!?)


 カッターナイフで何回も切りつけたような、凄惨な傷痕。見ているだけでも痛々しくて、目を背けたくなる。しかし清吾はすぐに、この傷に見覚えがあることに気が付いた。


 「これって……。この傷って確か、灯李の……」


 ……と、言いかけて、今度はその腕で自分の口を塞いだ。

 大好きだったあの声。もう一度聞きたいと願い続けた少女の声。いつまでも聞いていたくなるような可愛い声。

 それが、さっき自分の口から出てきたのだ。清吾はひどく狼狽え、激しく混乱した。


 「そ、そんなこと、あるはずないっ!! あ、あるはずがないだろっ!? い、いや、まさか、俺がっ、そんなっ!!」


 自分の声を“確認”するべく、混乱の中でとにかくたくさん喋った。しかし喋れば喋るほど、“確認”はあり得なるはずのない現象に対する“確証”へと変わっていった。

 耳はもうその結論を出してしまった。後はもう目で確実に見るしかないと決断し、清吾はおそるおそる自分の体を見下ろした。


 「あ……あぁ……。こ、こんなことって……」


 ほぼ裸の女の体。身に着けているのは、上下で統一されていないちぐはぐなブラジャーとショーツだけ。一度頭で理解してしまうと、女体の象徴である膨らんだ胸の重みまで感じるようになってしまった。


 「俺が……灯李……?」

 

 その時、もぞもぞと動いていた布団の塊から、いきなり人間の体がバッと飛び出してきた。そして外界に現れた人間は、未だに混乱している清吾……『灯李』の手を取り、彼女の耳元でそっとささやいた。


 「その通り。あなたはもう清吾くんじゃなくて、『灯李』なの」

 「お、お前はっ……!?」

 「私? 私は……いや、俺が本物の『清吾』だよ」

 

 布団の塊から現れたそいつは、男の声で『清吾』だと名乗った。


 *

  

 「体が入れ替わるなんて、本当に有り得るのか……!?」

 「すごいよねー、あの薬。どこで買ったのかは知らないけど、おばあちゃんが買ってきてくれたの。本当に効果があるなんて、私も信じてなかったけどね」


 清吾は『灯李』に、灯李は『清吾』に。薬の影響で元の肉体を離れた二人の魂は交錯し、そばにあった異性の体の中に収まった。


 「こんなことになるなら、どうして先に言ってくれなかったんだよ!」

 「だって聞かなかったじゃーん。説明も聞かずに薬を飲むなんて、私のこと信頼しすぎだよ。お・バ・カ・さんっ♪」

 「な、なんだとっ!?」

 「怒らない怒らない。私には優しくしなきゃねー」

 「……とにかく、元の姿に戻せよ。まず落ち着いて考えさせてくれ。俺と入れ替わって何をする気なのかは知らないけど、体なんてそう簡単に貸せるもんじゃない」

 「え? 何言ってるの? 戻さないよ?」

 「は……?」

 「この清吾くんの体は、もう私の物になっちゃったもん。返す気なんて全くありませーん。残念でした」

 「な、何っ!? お前、本当にいい加減にしておけよっ!」

 

 激昂し、『灯李』は『清吾』に掴みかかろうとした。しかし数年引きこもっていた女の腕力では、大学生の男の腕力にかなうどころか一矢も報いることができず、『清吾』が片腕で軽く振り払っただけで『灯李』は吹き飛ばされ、大袈裟すぎるくらいにベッドにドサッと倒れ込んでしまった。


 「うぐっ! 痛ってぇ……」

 「あはは、男の子の力ってすごいね! 最っ高の体をもらっちゃったよ!」

 「か、返せっ! 俺の体、返せよぉっ……!!」

 「うふふー。いやいや、そうじゃないでしょ? 冷静になって」

 「……?」

 

 痛みをこらえながら起き上がろうとする『灯李』に対し、『清吾』は不敵な笑みを浮かべた。


 「見たんでしょ? 私の記憶」

 「……!」


 さっきの夢のことだ。清吾は確かに灯李の記憶を覗き、彼女の過去を見た。

 

 「み、見たけど……それが何だって言うんだ」

 「だったら知ってるでしょー? 私が清吾くんのこと好きだってことぐらい」

 「えっ……!?」

 「何が『えっ……!?』なの? そんなに驚くこと? 私はあなたが好きなの。あなたが私を想い続ける以上に、私はあなたを想い続けていたの。あなたが生きてるから、私も今日までこの世にダラダラ生き続けてきたんだよ?」

 「そ、そんなこと、急に言われても……」

 「私たち両想いなんだよー♡ ラブラブだね♡」

 「べ、別に俺は、お前にそういう気があったわけじゃなくてっ」

 「ウソはダメ。私だって、清吾くんの記憶いっぱい見たんだから。……頭の中は大好きな灯李ちゃんのことでいっぱい。中学生の時なんか、私のこと想像しながら――」

 「わ、分かったよっ! その通りだ! 俺だって好きだったよ、灯李のこと」

 「うふふー。ほらね? 私たち、お互いに愛し合ってるでしょ?」

 「そ、それで……それが何なんだよ……!」

 「どこかの知らない誰かじゃなくて、本当に好きな相手と体が入れ替わったんだよー? だったら、『体を返せ!』はおかしいよね? まずは大好きな人の体を楽しまなきゃ」

 「なっ……!?」


 『清吾』は動揺する『灯李』に近づき、彼女の右手首を右手で、彼女の左手首を左手で、ぎゅっと固く握った。両手の自由が奪われ、さらに手首の傷口にぐりぐりと指を押し込まれ、『灯李』は体を捩ったり両足をバタバタとさせたりして激しく抵抗した。


 「うあぁっ!! 痛いっ!! てっ、手を放せっ!!」

 「大丈夫。すぐ気持ち良くなるから」


 『清吾』は少しだけ握った力を緩め、今度は『灯李』の両手を無理矢理動かした。そしてその手を、『灯李』の胸にある揺れ動く双丘にさわさわと触れさせ、暴れ続ける彼女の意識をそちらへ向けた。


 「ど、どうして胸なんかに、手を……!」

 「男の子ってさぁ、胸触るの好きなんでしょ? ほら、好きなだけ触らせてあげる。揉んでいいよ、それ」

 「お前っ!! じ、自分が何言ってるのか分かってるのか!?」

 「どうしたの? 清吾くんの大好きな灯李のおっぱいだよ? 本当は『憧れの灯李ちゃんの体だぁ……!』とか言いながら、揉みたいんでしょ? ねぇ、自分に正直になってよ」

 「やめろっ! そんなこと言うな、灯李っ!!」

 「私もう壊れちゃったもん。清吾くんの好きにして、ほら!」

 「ぐっ……! うぁっ……」


 手首のズキズキする痛みに耐えかね、手のひらの力が変に緩んでしまい、『灯李』は誤って自分の胸を一度だけ揉んでしまった。

 その時、清吾は自分の心と『灯李』の体の感覚が、一瞬だけビクンと同調する感覚を感じた。肉体と精神が電気信号で繋がったような、そんな感覚を。


 「あはは、顔つきが変わったね。私の……『灯李』の顔してる」

 「灯李……。ダメだ……」

 「どうだった? 私のブラの触り心地、肌の柔らかさ、胸が形を変える感触は。病みつきになる? クセになりそう?」

 「はぁ、はぁ……。お、俺を止めてくれっ……! 灯李、頼むっ……!」

 「止める?」

 「もう我慢ができないんだっ! このままだと、俺、お前の体で何をするかっ……!」

 「『きゃー! 私の体で変なことしないでー!』って? うふふ、言わないよそんなこと。私たち、もう子供じゃないんだよー?」

 「くっ……!」


 もう時間の問題だ。灯李は清吾から手を放し、染まっていく様子を楽しむことにした。

 灯李の手が放れた後も、清吾の指先は2度3度ほど揉むように勝手に動き、その度に胸はその感覚を脳に伝え、脳天は背中を突き抜けるようなゾクゾクする快感を何度も落とした。息切れはさらにひどくなり、頬は真っ赤に染まった。

 

 「はぁっ、はぁっ……。あぁんっ……!」 


 体が発情してしまえば、もう自分は女として制御できない状態になる。危機感を覚えた清吾は、なんとか脳内の自我を復活させ、わざと体勢を崩してベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。すると揉み続けていた両手は反射で胸から放れ、清吾はすぐに指先に力を入れて、シーツをぎゅっと掴むことに専念させた。


 「はぁ、はぁ……。やっと……手が止まった……」

 「必死に耐えてるねー。うつ伏せになって胸を守るとは」

 「でも、まだ……こ、興奮が収まらない……。心臓が……ドクドク鳴ってる……」

 「そりゃそうだよ。あなたのカラダはもう“その気”になってるんだから。早く性欲を解放してあげて」

 「嫌だ……! 絶対に灯李の体でそんなことしないっ……!」

 「ふぅん。じゃあ、もっと興奮させちゃおっかなー♪」


 灯李はペロリと舌を出すと、自らのシャツを脱ぎ始めた。体が入れ替わっているので、そこに現れたのは『清吾』の裸体だ。女性のような乳房はなく、代わりに男らしくがっしりした胸板がある。


 「や、やめろっ! 俺の体で脱ぐなっ!」

 「なんでー? 男の子なんだから、裸が恥ずかしいってことはないでしょ?」

 「違うっ! 今そんなもの見せられたら、俺、どうにかなっちゃいそうなんだよっ!!」

 「なっちゃえば? 私の方もさっきから『灯李』に興奮してるもん。ほら、すごいことになってる……♡」

 「う、うるさいっ! 何も言うなっ!!」

 

 目をつぶって視界に入れないようにしている『灯李』を余所に、『清吾』はシャツを脱ぎ捨て、さらにはカチャカチャとベルトを外してズボンまで脱いでいった。あとはトランクスだけだ。

 

 ベッドの上。下着姿の男と、下着姿の女。しかも互いに好意を寄せる者同士。この状況で、目の前の相手に欲情しないでいられるほど、二人は人間として成熟していない。体が求めるものには逆らえないのだ。


 「じゃあ、こっちから襲ってあげるね。清吾くん、覚悟はいい?」

 「ま、待てっ! やめろ、灯李っ!!」

 

 と、その時――。

 

 ピロリンロン♪ ピリリンロンロン♪

 さっき脱ぎ捨てられたズボンから、ヴヴヴという振動音と共に、軽快な音楽が鳴った。緊張感をぶち壊す、間抜けなスマホの着信音。

 

 「「!?」」


 『灯李』も、『清吾』も、思わず音の鳴る方へ振り返った。

 清吾のスマートフォンに電話をかけてきたのは、「折部 光理(ヒカリ)」という人物だった。

  

 

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