鬼灯行灯

蔵入ミキサ

狐火


 成人の日。

 大学生の 寺町 清吾(セイゴ)は実家へと帰省し、中学時代の友人たちが集まる同窓会に参加した。久しぶりに会う面々は外見も内面も大きく成長しており、最初のうちはみんな「大人という自覚を持った真面目さ」を保っていたが、酒が入り出すと次第に状況は変化し、クラスメイトたちは中学生のころと同じようにワイワイと騒ぎ始め、最後にはみんな顔を真っ赤にしながら盛大にハメをはずしてしまっていた。そんな楽しそうに笑うクラスメイトたちを見ながら、清吾は少し離れた場所でチビチビとあまり強くない酒を呑み、ノスタルジックな想い出に浸っていた。


 あと一つ、あそこの席さえ埋まっていれば……と。


 「おうおう! さっきからずっと女子の方ばっかり見て、何を考えてんだぁ? 清吾」

 「べ、別に、なんでもねぇよ。ちょっとボーッとしてただけだ」

 「ははーん? さては品定めしてるな? 昔と違って、みんなすっげぇエロい体になったよなぁ」

 「バカッ! そ、そんなんじゃねぇよっ! っていうか、俺彼女いるしっ!」

 「マジっ!? それはちょっと確認させてもらわないとっ! 写真あるか、写真っ! 大学の子か? 可愛いか?」

 「今それはどうでもいいんだよ。俺が気になってるのは、その……灯李(アカリ)はどこにいるのかなって……」

 「灯李(アカリ)? そういえば見てないな。そもそも同窓会に来てないのかも」

 「そうか。やっぱり……」

 「よーし、じゃあ寄せ書きでも作るか! 清吾、お前があいつに届けろよな」

 「なっ!? なんでそうなるんだよっ!」

 「おーい、みんなぁーっ! 灯李に寄せ書き書くぞーっ!!」

 「おい、待てって!!」


 清吾の言葉など耳にも入れず、クラスメイトたちは「あーちゃんへの寄せ書き? 私にも書かせてっ!」「懐かしいなぁ。あいつ、今どこで何やってるのかなぁ」と盛り上がり、ひとりずつ色紙にメッセージを書き込んでいった。中学の同級生たちの記憶には、中学時代の真面目で利発な女子である灯李のイメージしかなく、色紙には全てその灯李に対しての明るい言葉が並んだ。

 同窓会には来られなかった友達に向けてのメッセージ。確かに、クラスメイトたちの仲間を大切にする気持ちから産まれた素晴らしい物ではあるのだが、少しだけ灯李の“事情”を知っている清吾は、それをとても複雑に感じていた。


 「……」

 「おーいっ! 清吾も何か書けよーっ!」

 「ああ、うん……」


 ペンと色紙を受け取り、清吾は色紙に書かれているメッセージをじっと見つめた。


 『大学? お仕事? とにかくガンバレ! みゆき』

 『また今度、オレらとどっか飲みに行きましょう 慶一』

 『アタシにいろいろ勉強教えてくれてありがと! あーちゃん大好き♡ 唯菜』

 『もう一度おれを叱ってください、委員長! リョータ』

 

 * * *


 数週間後。

 大学が春休みに入り、清吾はまた地元に帰ってきていた。今度は長期の休暇なので、これからしばらくは実家で過ごす予定だ。

 そして今日は、先日預かったクラスの寄せ書きを灯李に届けるため、彼女の自宅(だと言われている家)を訪ねることにした。というのも、一番“事情”を知っている清吾でさえ、灯李とは数年会っていないし連絡もとってないので、この家で彼女が今も暮らしているという確証が全くないのだ。しかしそれでも、彼女が今どこで何をしているかの情報ぐらいは掴めるかもしれないと、もっと言えばもしそこにいるなら一度会ってみたいと、期待と不安を募らせながら清吾はインターフォンを押した。

 

 「はいはい、どちら様?」


 玄関の扉を開け、おばあさんが一人現れた。腰が曲がり、歯もあまり残っていないと思われる、ヨボヨボのおばあさんだ。


 「式田灯李さんの友達の寺町清吾と申します。灯李さんはこちらにいらっしゃいますか?」

 「あぁ、灯李ちゃんの……。灯李ちゃんの、ねぇ……」

 「はい。彼女は、こちらにいらっしゃいますか?」

 「んー……。まぁ、いるにはいますけどねぇ……」

 

 おばあさんは困ったような顔になり、少し考えてから言った。


 「灯李ちゃんに……会いにきてくれたんですか? あの子に会ってくれるんですか?」

 「えっ?」

 「会うつもりで、ここに来てくれたんですか?」

 「は、はいっ」

 「それなら……まぁ……。どうぞ、お入りください……」

 「では、失礼します」


 清吾は靴を揃え、おばあさんの家……灯李の家に上がった。


 * * *


 小学生の頃の、初恋。

 

 「こらっ! 水鉄砲なんかでイタズラしちゃだめだよ、清吾くんっ!」

 「うるせーよ、灯李っ! これでもくらえっ!」

 「きゃっ!? もうっ、やめてよっ! 濡れちゃうでしょっ!?」

 「へへーんっ! 生意気なんだよ、お前っ! ほらほら、もっと濡らしてやるーっ!」


 清吾にとって、灯李は初恋の女の子だった。

 やんちゃなイタズラっ子の清吾と、真面目な委員長タイプの灯李。小学生のころから二人は何かと一緒のグループになることが多く、自然な時間の中で清吾は灯李に想いを寄せるようになっていった。しかし、それも中学三年生まで。


 「えぇっ!? 灯李って、あの銘関高校を受験するのかっ!? めちゃくちゃ偏差値高いところじゃん!」

 「うん。でも、模試ではA判定だから、きっと大丈夫だよ」

 「大丈夫って、そりゃお前はそうかもしれないけど……」

 「清吾くんは? どこの高校を受けるの?」

 「えっ? いや、おれは……」


 模試ではE判定。清吾が銘関高校に合格するのはほぼ不可能だ。

 しかし、清吾は灯李との時間を諦めきれなかった。


 「お、おれも銘関高校だ! お前と同じっ」

 「そうなのっ!? よかったぁ。あそこの高校受ける人、私以外にいなくてさ。一緒に勉強頑張ろうねっ!」

 「お、おうっ! 余裕で合格してやるぜ!」


 言ってしまった。もう後戻りはできない。

 結果的には二人とも合格できたのだが、あの地獄のような勉強漬けの日々の想い出は、今でも清吾の心に刻まれている。


 そして、二人が銘関高校に入学してそろそろ一年が経つという頃。

 運命の日は突然やってきた。

 

 「あ、灯李が……交通事故で入院!?」


 清吾がそれを知ったのは、春休み明けの二年生になったばかりの時だった。

 灯李とその家族を乗せた車が、高速道路で誤って逆走してしまった車に正面衝突したという話。事故に巻き込まれた全員がすぐに病院に運ばれたが、奇跡的に無事なのは灯李だけだったらしい。


 「灯李の父親と母親も……!? あいつには妹や弟だっていたのに!」

  

 5人家族のうちの4人、いなくなった。

 一人の少女がどんな精神状態なのか、もはや想像もつかない。

 

 「くそっ……! どうして灯李がこんな目に合わなくちゃいけないんだよ……!! くそっ、くそぉっ……!!」


 それから、灯李は誰の前にも姿を現さなかった。

 事故から次の情報は全くなく、消息は不明。灯李は清吾の前からも完全に姿を消した。


 * * *


 これを、自分だけが知る“事情”として、清吾は心に仕舞っていた。


 *


 おばあさんに家の二階まで案内され、清吾はある部屋の扉の前にやってきた。部屋の扉には、「あかり」と書かれた小さなネームプレートが掛けられている。


 「あの……一つ、お願いしてもいいですかね? 灯李ちゃんのお友達さん」

 「はい、なんでしょうか?」

 「あの子には、できるだけ優しくしてあげてください。灯李ちゃんは、その……心がちょっと……」

 「分かりました。できるだけそうします」

 「では……灯李ちゃんをよろしくお願いします……」


 清吾へのお願いが終わると、おばあさんは部屋の扉をコンコンと二回ノックした。


 「灯李ちゃん、お友達が遊びに来てるよ……。清吾さんって人……」

 

 一声。

 部屋の中にいる人間に聞こえるかどうか分からないくらいの声だったが、おばあさんはそれだけ言うと、清吾をそこに残してゆっくり階段を降りていってしまった。


 「……」


 清吾は、とにかく無言で立っていた。何か声をかけたらそれでこの機会が終わってしまう気がして、言葉を発するのを我慢した。灯李が本当に中にいるなら、何か反応を示してくれるはずだと信じて、ひたすら黙って立っていた。


 そして、30分後。

 

 「……!」


 扉から、カチャリという小さな音がした。

 鍵が開く音に間違いない。清吾はそれを聞き逃さず、ドクンドクンと高鳴る心臓を落ち着けるため一度深呼吸をした後、静かにドアノブに手をかけていった。


 「入るよ、灯李」


 返事はないが、清吾は扉を開けた。


 「うっ……!」


 真っ先に清吾の前に現れたのは、嗅覚の情報だった。

 扉の隙間から、イカとエンピツと納豆と粘土を混ぜたみたいな、とんでもない悪臭が漂ってくる。ツンとした刺激に襲われながらも、清吾は部屋の扉をどんどん大きく開けていった。


 「これが……灯李の部屋?」


 次にやってきたのは視覚の情報だった。

 足の踏み場もない。勉強机の上には本や紙が散乱し、タンスや本棚は斜めになり、中身をぶち撒けながら手前に倒れかかっている。灯李の部屋は、災害にでも見舞われたかのようにめちゃくちゃだった。ゴミ屋敷……に近いが、どうやらゴミ自体はそんなに多くもないようで、洋服やぬいぐるみ、アクセサリーや雑誌など、女の子らしいものがたくさん床に散らばっていた。

 

 カーテンは完全に閉め切られており、部屋の電気はついていない。薄暗い部屋のその一番奥に、ベッドがあることを清吾は確認した。そのベッドの上で、もぞもぞと動く布団の塊も。


 「そこにいるんだな、灯李……! 今そっちへ行くっ!」


 息を止め、水中に潜るみたいに清吾は部屋の中を進んでいった。足元に気をつけ、頭上に気をつけ、一歩、また一歩と。途中、足元に落ちている灯李の高校の制服を見つけた時は、強い感情が込み上げてきそうになったが、ぐっとこらえてさらにまた一歩と前進した。


 そして、やっとベッドまで辿り着き、清吾はそこに腰を降ろした。

 隣には、やはりもぞもぞと動く布団の塊がある。


 「灯李、やっと会えた……!」

 

 清吾がそう言うと、布団の中から二本の細い手だけがにゅっと飛び出してきて、何かを探しているかようにバタバタとそこら中の物を掴み始めた。


 「あ、灯李……? 灯李だよな……?」


 二本の手は無作為に暴れたかと思うと、そばにあったリボンを付けたカエルのぬいぐるみを掴んだところでピタッと止まり、そのカエルを清吾の方に向けて、そして叫んだ。


 「こんにち、は!!!!!! 私、カエルちゃん!!!!!!!」


 そいつは灯李ではなく、カエルちゃんだと名乗った。

 めちゃくちゃな大声で。

 

 「灯李っ……!?」

 「ごめんねっ!!!! 大声出ちゃった!!! 最近しゃべってないから!! 自分の声、わっかんなーいっ!! ケロッ!」


 大声は徐々に調整されていったが、清吾が驚いたのは声のボリュームではなく、その幼さだった。

 最後に聞いた高校生の時の灯李の声と一致しない。でも、灯李の声じゃないというわけでもない。この声は、中学生……いや、もっと前の小学生の頃の、イタズラをする清吾を注意していた時の灯李の声だ。

 

 「お前……今、いくつだ……?」

 「ケロケロッ! しっぽがなくなったら、もうおたまじゃくしじゃないのよ、ケローン!」

 「ふざけるなよっ! 真面目に答えろっ!」

 

 20歳。自分と同じく、灯李も20歳であるはずだ。

 そう答えてほしかったのに、ワケのわからない答えが返ってきたので、清吾は腹を立て、カエルちゃんを奪い取り、タンスの角へと放り投げてしまった。

 

 「きゃーっ! 痛いケローッ!」

 

 ぬいぐるみを失った二本の腕は、またバタバタと暴れ出した。しかし今度は、その二本の腕を清吾ががっちりと捕まえた。


 「灯李っ! どうしちゃったんだよ、お前っ……!」

 「やめてーっ! 放してーーっ! 痛いよーーっ!!」

 「なんなんだよ、この腕の傷はっ……!」

 「いや〜んっ! エッチ! 見ないで〜!」


 その手首には、血で赤くにじんだ生傷が何本もあった。特に左手首の損傷はひどく、ぱっくりと裂けてしまっている箇所もいくつかあった。自ら手を切り落とそうとしないと、こんな傷はつかない。

 

 「お前、これ……!」

 「別にこれくらい、みんなやってるよー! 気にしないでねー!」

 「なんなんだよそのフザケた喋り方は……! いい加減にしろよ、灯李!」

 「あれれ? 優しくする約束は〜? 私には優しくしなきゃダメなんだよー!」

 「もういいっ! とりあえず布団から出てこいっ! 姿を現せっ!」

 

 清吾は灯李の腕の傷の無い場所を掴み、グイッと力づくで布団から引っ張り出した。

 

 「えっ……!?」


 スポンッ。

 幾重にも重なった布団のマユから、綺麗に引っこ抜くことができた。引っこ抜いてみると、やっぱりそいつは灯李で間違いなかった。

 

 「きゃっ」

 「あ、灯李っ……!? お、おお、お前っ、服はどうしたんだよっ!」

 

 灯李だったが、裸だった。正確に言うとブラジャーとショーツは着けているが、ほぼ裸である。

 学生のころの綺麗な黒髪ロングヘアは、自分でハサミで切ったのであろう我流セミロングヘアへと変わっていた。体は大人の女としてそれらしく成長しているものの、顔は高校生のころよりさらに幼く若返ったような印象で、その不釣り合いな感じが仄かに不気味だった。


 「本当に……もうっ、清吾くんはエッチなんだからーっ!」


 そう叫ぶと、ベッドに引っ張り出された灯李はすぐに体勢を立て直し、もう一度布団のマユの中へと戻っていった。しかし今度はさっきとは違い、体を布団に包みながら顔だけ外に出している。


 「灯李……」

 「それで、何? 突然、何しに来たの?」

 

 さっきより不機嫌な様子だ。


 「お前に聞きたいことは、たくさんあるけど……」

 「しゃべるの疲れるー。いつもなら私もう寝てる時間だよー?」

 

 時刻は午前11:00。もうすぐお昼だ。


 「とにかく、まずは寄せ書きを受け取ってくれよ。みんなの気持ちなんだ」

 「寄せ書き……? なんで私に寄せ書き?」

 「この前、中学の同窓会があってさ。クラスのみんなで集まったけど、お前はいなかったから」

 「へぇー。じゃあそれ、読ませて」

 「ああ、これだ。ほら……」


 満を持して、清吾はあの時預かった寄せ書きを取り出し、灯李の前に差し出した。友情に熱いみんなのメッセージを読んだら、また昔みたいな灯李に戻ってくれるかもしれない……と、望み薄な期待を抱いて。

 灯李はそれ受け取らずにじーっと見て、しばらく静かに文字を読んでいた。そして……。


 「ぐちゅぐちゅ……ぺッ」

 

 灯李は口内でぐちゅぐちゅした唾液を、ペッと寄せ書きに吐き出した。


 「ああっ!? 何するんだよ、お前っ!!」

 「難しい漢字ばっかで読むの疲れるー。……っていうか、みゆきとか唯菜とかって誰ぇ? 私の友達? 知らないから、それいらなーい」

 「な、何言ってんだ……! 中学のころのお前の友達じゃないか! 別に、喧嘩とかしてなかっただろ……?」

 「そうだっけ? 中学校のことなんて、きょーみないから覚えてないや。でも清吾くんのことは覚えてるー。なんででしょー?」

 「俺……もう見てられねぇよ……。なんとかならないのかよ、なぁ!」

 

 もし落ち込んでいるなら、慰めようと思っていた。暗い気持ちなら、自分が支えになろうと思っていた。でも、今の灯李は、清吾が想定していたパターンのどれとも違っていた。

 完全にどこかが壊れている。清吾が声を荒げても首をかしげるだけで、灯李はすでに寄せ書きに対する興味など完全に失っていた。


 「こんな風に……どんどん忘れていったのか、お前……」

 「なんで泣いてるの? 私のせい? ごめんね。清吾くん泣かないでー」

 「こんなに、変わっちゃうのかよ……! くそっ……!」

 

 何を悔やんでいいのか分からず、清吾は少しだけ泣いた。灯李はそんな清吾を無視して、一度布団の中に顔をすっぽり引っ込めた。


 「んーっと、じゃあ次は私の番ね。今度は私のお願い聞いてよねー」

 「……」


 もう一度顔を出した灯李。今度は右手も出している。しかも、その右手には錠剤が入った謎のビンが握られている。 


 「まさか、お前……それを……」

 「違いまーす。OD(過剰服薬)は昔やってたけど、あんまり気持ち良くなかったの。だから、最近はリスカばっかり」

 「もうやめろよ、そんなこと……!」

 「まあ、それはどーでもいいよ。それよりさ、これ見てよ! これっ!」

 

 灯李はバラバラと錠剤をたくさん手に盛り、その中の青い薬とピンク色の薬を取り出すと、他の色のものは全てビンに戻した。どうやらビンの中には色んな種類の薬がブレンドされているらしく、青とピンクの薬は、それぞれ一つずつしかない希少なもののようだ。

 しかし、そんなものこそ清吾にはどうでも良かった。


 「灯李、真面目に聞けよっ!」

 「んー? いつも私の言うことは聞かなかったくせにー」

 「そ、それは昔の話だろっ!? 俺はもっとお前に自分の体を大切にしてほしいんだっ!」

 「あはは、『自分の体を』だってさ。これからどうなるかも知らないで」

 「……?」


 何やら不思議なことを言った後、灯李は青い薬を摘み上げ、ためらいなくパクッと飲み込んだ。そして、今度はピンク色の薬を摘み上げ、清吾の右手にそっと握らせた。


 「はい、これ。清吾くんのぶんー」

 「なんだよこれ……。どういうつもりだ?」


 清吾が困惑していると、灯李はごそごそと布団を脱ぎ始め、ブラジャーしか身に着けていない上半身をすっぽりと出した。そしてのそのそと清吾の耳元に近づき、誘惑するような甘い声でこう言った。


 「ねぇ、清吾くん。私のこと好きー?」

  

 ピクンと反応し、清吾はあやうく薬を落としそうになった。

 

 「は、はぁ!?」

 「私のこと、大切にしてくれるー?」

 「えっ、きゅ、急に、何言ってるんだよっ!!」

 「くすくす、清吾くん子どもみたい」

 「お、お前っ!! 俺を馬鹿にすんのもいい加減に……」


 一段、灯李は声のトーンを落とした。


 「飲んで。……それを飲んで、私を幸せにして」

 「なっ……!?」


 灯李の方から、一気に核心に迫ってきた。どうやらその言葉は、フザケて言ってるわけではないらしい。清吾は冷や汗をかきながら、灯李に逆に聞き返した。


 「こ、これを俺が飲めば……お前は幸せになるのか?」

 「うん」

 「それでお前は、救われるんだな? 昔みたいに戻ってくれるのか?」

 「うん。清吾くんが協力してくれるなら」

 「よし。わ、分かった……!」


 意を決して、清吾はピンク色の薬をゴクンと飲み込んだ。

 すると、急にフワフワとした暖かい気持ちになって、清吾は心地よい睡魔に襲われた。薄れゆく意識の中で隣を見ると、灯李にも急に強い眠気が来たらしく、まぶたの重みに体を委ねながら、最後にニヤリと笑うと、そのまま先に深い眠りへと堕ちていってしまった。


 ベッドの上で、崩れるように眠った男女。

 その不気味なほどの静寂は、嵐が訪れる前のそれにとてもよく似ていた。

 

 

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