夢の共演

山羊のシモン(旧fnro)

夢の共演

 俺は小さい頃からピアノを嗜んでいた。取り立てて裕福な家庭だったというわけではないが、こればかりは親の趣味なのだろう、気が付いたら習い事をさせられていた。

 習慣というのは恐ろしいもので、幼心に植えつけられた練習癖によって毎日何時間もピアノの向かう。それを苦痛とは思わなかったのだ。


 おかげで、小学校の合唱コンクールなんかは伴奏役をさせられる。本当は歌いたいのだが、男でピアノが弾けるというのは希少価値なのか、いつも推薦という名の強制。とはいっても、だいたいが課題曲と自由曲だから、どちらか片方で歌うことはできた──尤も、指揮者をやらされると歌えなかったのだが。

 不満が強いというほどではなく、絶対音感もあったために周囲から珍しがられた。アニメやゲームを耳で憶えて披露するなんていうことをしては、優越感に浸っていた。


 迷うことなく音大に入学した俺は現実を突きつけられる。さして都会でもなかった実家では、周囲と比べることもなかったし、演奏コンクールはただ単に億劫で出場をしなかったのだ。

 大学に居るのは、何かしらの受賞経験持ちばかり。授業での演奏でも差を見せつけられる。


 日々落ち込んでいた。学内のベンチで耽っていると、突然声を掛けられた。振り向くと、そこには一人の女の子が佇んでいる。

「元気ないけど、どうしたの?」

 少し物悲しげな口調に表情。その憂いに心を奪われてしまった。何も言えずにいると、再び心配そうに話しかけてくる。

「一緒のクラスなんだけど、覚えてくれてない?」

 思い出した。よく近くの席に座っている子だ。

「ああ、いや──大丈夫」

「そう、よかった」

 安心した様子。そこから色々と話し込んだ。どういう経緯でピアノに触れることになったのか、音大に入る前はどうだったのかなどなど。


 彼女はやはりコンクールなどで多数入賞していた。優勝経験もあるほどの腕前だ。自分が井の中の蛙大海を知らず状態だったことを告げると、一緒に練習しないかと誘ってくれた。

 そこからがむしゃらに頑張った。時には厳しくも優しく教えてくれた彼女に惹かれていく。しかし、まだ自分に自信がなかったので告白することができずにいた。そんなもどかしさすらも、上達の糧として過ごしていたのだ──奴が現れるまでは。


 そいつはピアノの世界ではちょっとした有名人らしい。というのも、俺はこれまでそういったことには全く興味を示さなかったから知らなかったのだが、彼女との会話でしばしば登場していた。

 よくよく話を聞いてみると、実は同じクラスに居るらしい。


 ある時、気になって教室を見渡すと、それらしき人物がいた。人に囲まれている──見た目も爽やかで背も高い。しかもピアノの腕は世間に認められている。人気者は当然の帰結だった。そして、そこには彼女の姿も。


 悔しかった。しかし見た目が奴より劣っているとは思わない。ナルシストではないつもりだが、容姿に関してはそこそこのレベルだと自負している。高校まではよく告白されていたくらいだから、見当違い甚だしいというほどじゃないだろう。

 決定的に違うのはピアノの腕。気が狂いそうなほど練習しているのに勝てないのは何故か──注意深く研究をする。そして一つの結論が出た。


 指だ──ピアノを弾くには細長い指が適している。しかし自分のはどうだ、武骨で短い。オクターブを押さえることはできても、それ以上はかなり厳しい程。


「最近暗いけど、何かあったの?」

 悩みを打ち明けた。

「あら、私だってそんなに長くはないわよ? 比べてみる?」

 手と手を重ね合わせる。なんという僥倖──

「ほら、一緒くらいでしょ?」

 その言葉で現実に引き戻される。

「指の長さは持って生まれたものだから、それを活かすように練習するものよ」


 元気づけられたのかあしらわれたのか──だが開き直って更なる特訓を重ねる。気が付いたら、音大でもトップクラスにまで上り詰めていた。

 当然、奴も声を掛けてくる。しかし、どこか棘があった。侮蔑されているような感覚に陥る。だが、ここで折れては意味がない。彼女を射止めるために負け犬のままでいるわけにはいかなかったのだ。


 成長限界という言葉がある。限界というのは言い過ぎかもしれないが、とてつもなく大きな壁にぶちあたったのだ。

 絶望した──もがけばもがくほど、深淵に引き摺りこまれていくかのようだった。そんな底を漂う日々が続いた。どうすれば這い上がれるのだろうか、乗り越えられるのだろうか、そればかりを考え続け、ある時一つの光明を見出すことができた。


 それからの俺は自信に満ち溢れていた。最初は痛みのため練習すら儘ならなかったのだが、じきに収まってからは遅れを取り戻すかのように弾いた。

 何をしたのか──それは指を少しだけ長くしたのだ。今まで不可能だった運指が可能になるだけで、ここまで表現の幅が広がるとは思ってなかった。それくらいの感動だった。

 しかし彼女は俺の変化に気づいていた。何をしたのかも──絶好調の俺は見落としていた。その表情は決して明るくはなかったのだ。


 クラスでのちょっとした発表会で、教授にかなり褒められた。


 奴に勝った──満足だった。意を決して彼女に告げようと呼び出した。

 期待に胸を膨らませて待っていると、奴と一緒に現れる。俺は不満を全身で爆発させた。腕を振り回し指が木の幹に当たった瞬間、激痛が走り、その場に崩れ落ちる。

 病院に担ぎ込まれた俺は、医師から言い渡される無慈悲な言葉。


 ──俺はもう満足にピアノを弾けない。


 死にたくなった。しかし毎日見舞いに来てくれる彼女の顔を見ると、実行することはできなかった。

 苦しくて悔しくて泣いていると、奴の姿があった。

「どうして、そんなことをしてしまったんだよ」

 勝者が引導を渡しに来たのか、この負け犬を笑いに来たのか──

「無理に指を長くしてしまったら、どこかで無理が生じる。俺は一緒に高めあいたいと思っていたのに」


 驚いた。俺を蔑視していたのではなく、ライバルとして視ていたのだ。自分の浅ましい対抗心に気づかされ、泣き崩れた。取り返しのつかないことをしてしまったのだと──

 多少落ち着いた頃合いを見計らって奴が差し出した物、それは義手だった。

「努力をずっと観ていたんだ。これでまた同じステージに立てるくらい頑張れ」

 それだけ言って、病室を去っていった。俺は渡された物を茫然と見つめていた。


 あくる日、彼女が訪れたときには落ち着きを取り戻していた。義手のことも知っていた。

「辛いとは思うけれど、きっと頑張れる。私も応援しているから、諦めないで」

 その言葉がどれほど俺の支えになったのだろうか。


     *


 俺は今、ステージに立っている。そこには奴も居た。

 愚直なまでに単純な嫉妬から始まった関係だったのが、良きパートナーになっているのだ。奴は相変わらずトップの座に君臨しているのだが、もう引け目には感じていない。俺は、義手ピアニストとして脚光を浴びているからだ。

 今日は連弾の発表──二大ピアノスト夢の共演ということで世間からも注目されている。


 深呼吸をして演奏をする直前、ちらっと袖を見る。そこには優しい微笑みを浮かべた彼女が見守ってくれていた。


 音の世界へようこそ。

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