第8話王女様、水浴びをする

「あー疲れた疲れた」


 訓練を終え、疲れ切ったガルンモッサ竜騎士団の面々が、だらけながら街道を行く。

 竜も兵も泥だらけであり、訓練の激しさが見て取れた。


「おっ、あそこの川で水浴びして行こうぜ。竜も一緒によ」

「でも竜師のおっさんがうるさいだろ? 夕方は竜に水を浴びさせるなーとか言ってよ」

「平気平気、もうおっさんクビになったんだってさ。そんな奴の言ってたことなんて、守ることないって」

「ほんとかよ。じゃあこれからは竜の世話を自分たちでやれって言ってたのは、それが理由か」

「そうそう。だから竜の身体もついでにここで洗って行こうぜ」

「ならいいか。帰ってから洗うのは面倒クセェしな」


 兵たちはそう言うと竜を引き連れ、川の中へと入って行く。

 鎧を脱ぎ、服を脱ぎ、裸になって自身と竜の汚れを洗い流した。

 それが終わり川から上がると、火を焚いて服や身体を乾かす。

 次第に日は傾き、辺りはうす暗くなってきた。


「おい、そろそろ日が暮れそうだぜ」

「もうすぐ街だ。あとは帰りながら乾かそう」


 日が暮れて来たので、兵たちは急いで荷支度を行い、服が半乾きなのも構わず竜に乗った。

 急がせるが、竜の巨体は未だ温まり切っておらず、思うように速度は出ない。

 水浴びで身体を冷やしたあとは、十分に日を浴びて体温を上げる必要がある。

 夕方に水浴びをさせるなとドルトが言った理由はそれだ。

 そこまで説明はしたが、兵たちは「汚いおっさん」の言うことなど聞くはずもない。


「ったく、このままでは日が落ちちまうぜ」


 最後尾、特に足取りの重い竜に乗っていた新兵は舌打ちをする。

 早く帰って酒を飲みたいのに、このままでは酒にありつけないかもしれない。

 新兵は苛立ちを抑えきれず、竜の腹を思いきり蹴った。


「何やってんだウスノロが。早く走れってんだ!」


 本来は横足で蹴るところを踵の、とげの付いた部分で、である。

 竜の皮は分厚いが、小さな傷口を付けるのと竜を怒らせるには十分な一撃であった。


「グゥルルル……」

「あ!? なんか文句あるのか!? トカゲ風情が」


 そして竜は人語を解する。

 完全ではなくとも、その感情を察する程度は容易い。

 この新兵が自分を馬鹿にしている事、自分を顧みぬ態度を取っている事。

 それくらいは、ゆうに理解できた。


「グォォォォォォ!!」

「うわぁぁぁぁっ!?」


 その結果、竜は暴れ出した。

 突然なのは新兵にとってで、竜としては怒るに値する理由は十分にあったのだが、ともあれ竜は新兵を振り落とし、何度も何度も踏み潰す。


「ぎゃあ! い、いたい! 助けて! ぐっ!? あ、あぁ……」


 弱々しく動く新兵を一瞥すると、竜はそのまま彼方へと走り去って行く。

 それに竜騎士団が気付いた。


「おい! 竜が逃げたぞ! 追え追え!」

「背後の新兵が逃しやがった! 踏まれて死んでる!」

「こんな事が知れたら団長に大目玉だぞ!」


 竜騎士団は血眼になって逃げた竜を探したが、結局見つかる事はなかった。

 竜一頭、兵一人を失い、部隊長は大目玉。

 当然酒盛りなど言語道断であった。

 


「申し訳ありません。王、訓練中に竜一頭が逃げ出し、兵一人がその際踏み潰されたようです」

「ふん、全く仕方のない奴らじゃのう。先日解雇したあのなんとかという中年竜師ですら扱えておったのに」


 あの中年竜師だからこそ、ですがと報告に来た団長は内心呟く。

 竜師ドルトは平民の出ゆえ、皆から軽んじられてはいるがその腕前はかなりのものである。

 団長は彼の事を高く買っており、彼の解雇を何度も反対したが、結局それは覆る事はなかった。


「まぁいい。竜ならまた買えばいいだけじゃからの。アルトレオと取引すればいいしの。ぐふふ」


 竜を買えばミレーナ王女を呼び出せる。

 今度こそはうまく誘うぞとニヤニヤと笑うガルンモッサ王を見て、団長は大きなため息を吐くのだった。



「ミレーナ王女、もう少し行けば川がありますので、そこで飛竜を休ませましょう。……ミレーナ王女?」

「……あ、は、はい! そうですね!? 奇遇ですね。丁度今、私もそう思っておりましたところで! はい!」

「……?」


 上ずった声で返事をするミレーナを見て、ドルトは首を傾げる。

 ミレーナはミレーナで、思わず口を塞いだ。

 あまりにもズレた返事、ぼうっとしていたので話を聞いていなかったのだ。

 無理もない。ミレーナは今、飛竜の上でドルトと二人きりなのである。


 セーラとローラが付いてきていない理由は、セーラが竜を引いて歩いて帰ると言い出したからだ。

 竜の怪我を鑑みなかった自分が恥ずかしいと。

 そして流石に一人旅はまずいと、ローラはそれについて行ったのだ。


 そんなわけで今ミレーナはドルトと二人きりなのである。

 ミレーナは道中、背中に座るドルトの存在に気が気ではなかった。


「……えーと、ではそうしますか? ミレーナ王女はこの辺り、ご存知なのですね。なんとも心強い」

「あは、あはは……」


 無論、順路を選ぶ余裕などあるはずもない。

 適当に飛ばしていただけ、とはとても言えずミレーナは乾いた笑いを浮かべた。

 しばらく行くとドルトの言う川が見えたので、ミレーナは飛竜を降下させる。


「どう、どう」

「見事なものですミレーナ王女。流石は竜姫と言ったところですか? ははは」

「むぅ……」


 ドルトの言葉にミレーナは眉を顰める。

 最初から気になってはいたが、ドルトの喋り方はあまりにも距離を感じさせていた。

 もちろん一国の王女である。普通ならそう呼ぶべきだが……昔は妹のように可愛がってもらったミレーナである。

 その喋り方には大層不満があった。


「……ドルト殿、そのミレーナ王女と言うのをやめていただけますか? あの頃のようにミレーナと呼んでいただきたいのですが」


 ……と、口にしようとしたミレーナだがそんな事を言えるはずもなく。

 ミレーナは俯き口をパクパクと動かすのみだった。


「えーと、ミレーナ王女?」

「いえ、なんでもありませんとも。えぇえぇ本当に」


 大丈夫だろうかこの人は、とドルトはまた首を傾げた。


「では、私は飛竜を水浴びさせてきますね。丁度いい気候ですし。ミレーナ王女は休んでいてください。長く飛んでいたし、疲れたでしょう」

「わかりました。では私も水浴びをしようかしらね……なーんて」


 ちら、とミレーナは悪戯心を出してみる。

 だがドルトはニッコリと笑って返してきた。


「あ、はい。いいんじゃないですか? 私は飛竜を洗ってますし」

「のぞいたりしたらダメですよ!」

「はは、のぞきませんとも」


 ドルトの顔は本気だった。

 冗談きついぜ、とでも言わんばかりの顔だった。

 ミレーナとて最初から水浴びなどするつもりはなかったし、からかうつもりで言った言葉である。

 しかしこうも、こうまでも子供扱いされると、流石のミレーナもかちーんときた。


「じ、じゃあ向こうで水浴びしてくるので! 絶対のぞかないで下さいね! 何か危険なハプニングが起きてもですよ!」

「この辺りには何も出やしませんよ。ミレーナ王女も知っておいででは?」

「し、しってますぅー! 言ってみただけですぅー!」


 そう捨て台詞を残し、岩陰に入り服を脱ぎ始めるミレーナ。

 着替えながらもちらちらとドルトの方を見てはみるが、ドルトはミレーナの方をちらりとも見ようとしていない。

 ミレーナはがっくりと肩を落としながらも、ちゃぷんと川に身を沈める。


(はぁ、ちょっと私、しっかりしなさい)


 ぱしゃりと水で顔を洗うと少しだけ平静さを取り戻す。

 さっきから自分がおかしいのは気づいていた。

 だから少し落ち着こう。うん、頭を冷やそう。


「……ふー」


 深呼吸をすると、頭がすっきりするような気がした。

 逆に考えよう。私の憧れたドルト殿は、常識をしっかりと踏まえた紳士なのだと。

 そうミレーナが考えた時である。

 ――――がさりと、草むらが揺れた。


(何か、いる……!?)


 あの揺れ具合……どうやら草むらの中に大型の獣がいるようだ。

 話の流れとはいえこんな所で裸になってしまった自分の愚かさを呪う。

 一国の王女とは思えぬ、不用心過ぎる行為だった。


「ドルト殿! 何かがいます!」

「ミレーナ王女!?」


 ドルトが駆け寄ってくる音が聞こえてくる。

 頼もしいが、裸を見られてしまうかもしれない。

 いやいやしかし? これは不可抗力ですので?

 少々は仕方ない事ですよね?

 もしかしたら二人の関係が少し親密になる、恋のスパイス的なものになるかもしれませんが構いませんね?

 具体的には王女呼びが呼び捨てになったりとか?


「……きゃーん」


 一瞬のうちに大量の負荷がかかり、ミレーナの脳がショートを起こした。

 ドルトが駆けつけた時にはミレーナは気を失い、川の中へと没する。

 冷静になったと思っていたミレーナだったが、全くそんなことはなかったのである。


「飛竜、ご主人様を掬い上げろ!」

「ガウア!」


 ドルトに命じられ、飛竜は裸のミレーナを咥えて少し離れる。

 飛竜に抱えられた何故か幸せそうな顔をしたミレーナを振り向きもせず、ドルトは草むらの前に立ちふさがる。


「む……この足音……」


 どこかで聞いたような聞かなかったような。

 ガサガサと草むらをかき分け、出て来たのは一頭の陸竜だった。

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