第7話

 夕暮れ時の風がキンモクセイの香りを運んできた。そろそろ秋刀魚の季節だと、横溝は思った。

 明日館は大正十年、羽仁吉一・もと子夫妻が創立した「自由学園」の校舎として建てられた。昭和九年に自由学園の校舎が南沢へ移ってからは卒業生の事業や催し物などに使われている。建築家はアメリカの巨匠フランク・ロイド・ライト。草原様式と呼ばれる、開放的な空間である。

 腕時計の針は六時十五分を指していた。間もなく琴の演奏会が始まる。

 横溝は音楽に詳しいわけではない。知り合いの奏者が出るわけでもない。編集者として鋭敏な感覚を養うため、展覧会や博覧会など、分野を問わず積極的に足を運んでいるのである。遠浅の海で漁をしているような感覚だった。独り者ゆえ、退勤後の時間は自由に使える。この時間を失うぐらいなら生涯独身で構わない。

 講堂までの道を歩きながら、何とはなしに水曜日の暗号のことを思い出した。乱歩が作ったものと隆太郎は言ったが、やはりあれは嘘だったのだろう。他の誰かが作ったもので、乱歩が隆太郎より先に解いたのだ。だとしたら隆太郎の「僕もそうめんを食べます」という言葉も筋が通る。「午後三時、喫茶『小春』」。送り主はそこへ乱歩を呼び出した。乱歩は呼び出しに応じず、書斎で悪夢を見ていた。何が起きているのか横溝にはわからない。何であれ執筆に支障が出なければ良いのだが。

 講堂に着くと、入り口に見慣れたすみれ色の着物の婦人が立っていた。隆子。その隣に間借り人の村山健次郎の姿があった。二人が連れ立って出かけるところは横溝もよく目にしていた。乱歩が気にしている様子はなかった。何と言っても歳が十以上も離れている。姉と弟のようなものなのだろう。

 声をかけようとして、思いとどまった。村山の表情が険しい。誰かを待っているような様子でもある。横溝は顔を合わせるのが憚られ、柱の陰に隠れてしばらくの間待った。六時三十分、開演時間ちょうどに二人は講堂の中へ入った。少し間を開けて、横溝もあとに続いた。尾行しているようなていになってしまった。

 二人が座った席を確かめ、そこから離れたところに腰を下ろした。

 舞台には金屏風が立ち、六人の奏者がそれぞれの琴を身体の前に置いて正座していた。客席の灯かりが落ち、奏者たちが礼をすると、観客たちは柔らかな拍手を送った。曲は『春の海』。宮城道雄の代表作である。

 琴は雲海を駆る天馬、奏者はその乗り手だ。たてがみを撫でる時、音楽が生まれる。琴の音色はいつも横溝の気持ちを豊かにしてくれる。

 しかし今日は、横溝の視界の端に隆子と村山がいる。演奏に集中できそうもない。


 乱歩は言った。

「人間は想像をする生き物だ」

 横溝は想像をしてみた。想像だけなら誰にも咎められない。

 あの二人が、姉と弟のようなものでなく、特別な関係にあると仮定する。だとしたら暗号を送ったのは村山だ。そして「お宝」というのは隆子のことである。逢引きの時間と場所を乱歩に知らせる。「さらっていくぞ」と予告している。大胆不敵。日頃の村山からは思いもよらない。だが事実は小説より奇なりという言葉もある。

 この想像の通りであるなら、乱歩の態度も頷ける。予告された場所へは行かなかった。「勝手にしたまえ」、それが乱歩の答えだ。隆子を愛していないのではなく、そうするしかなかったのだろう。闇を描きたいとも乱歩は言った。痛みを昇華させようとしているのだ。ならば文才に恵まれたことはせめてもの救いと言える。素晴らしい作品が生み出されるかも知れない。台風が肥沃な土を運ぶこともある。

 今日の逢引きも暗号で知らせてあったのだろう。先ほど講堂の入り口で村山が待っていたのは乱歩なのだ。来たらどうするつもりなのかはわからないが、何にしても乱歩は現れなかった。

 あまりにも突飛な想像だ。妄想と呼ぶ方が相応しい。けれど、そう考えればすべての歯車が噛みあう。噛みあってしまう。

 編集者は無力だ。本当の意味で作家を助けることはできない。励ましや慰めはきっと、傷をえぐるに等しい。

 横溝は、隆子が去った後の乱歩を想像した。幻影城の書斎に一人。それは今と変わらないが、見下ろした庭先に洗濯物を干す隆子の姿はない。食事は隆太郎か、その妻が作る。心を尽くせども、隆子にはかなわない。按摩を揉むのも彼女の役目だといつか聞いたことがある。他の者にやらせはしまい。やがて隆太郎との会話も徐々に減っていくだろう。これは蛇足だが、恐らく甲賀も家に寄りつかなくなる。

 そんな中で、闇を描いた素晴らしい作品など、果たして生み出せるだろうか。

 自分にできることは本当に何もないのだろうか。


 周りの拍手で横溝は演奏が終わったことを知った。

 村山たちに気付かれないよう、顔を伏せ、二人が去るのを待っていると、一人の女性が声をかけてきた。

「すみません」

「はい」

「私、こういう者です」

 と、女性は名刺を差し出した。岩井探偵事務所、岩井潤子。

「探偵さんですか」

「ええ」

 探偵小説作家の担当になって随分になるけれども、本物の探偵にお目にかかるのは初めてのことだった。彼女が本物であるならば、だが。

「私に何か御用ですか?」

「少し、歩きながらお話しさせていただいても?」

「構いませんよ。行きましょう」

 と、横溝は席を立った。好奇心こそ自分の武器だ。


「素敵な演奏でしたね」

 講堂を出たところで、横溝は自分の方から話を振ってみた。

「ええ、とても」

「『春の海』は好きな曲です。砂浜に立って、潮の香りを嗅ぎながら、広大で穏やかな海を眺めているような気持ちになります。もっとも、今は秋ですがね」

「琴、お好きなんですね」

「はい」

「ご自分でもお弾きになるんですか?」

「いえ、専ら聴く方です」

 女性の声ははきはきとしていて、心地良かった。まさに琴を爪で弾くような軽快な音だ。愛想が良すぎないことについても、横溝は好感を持った。

「岩井さんは、弾く方は?」

「いえ、私も聴くだけです。というより、今日は仕事で来たんですけどね」

「ああ、そうか」

 そう言えば彼女は探偵を名乗っているのだった。

「何かの調査ですか?」

「はい」

 妙な質問をしてしまった、と横溝は思った。探偵が仕事で来ているというのだから、その目的は何かの調査であるに決まっている。

「あの、今ごろですが、お名前をお伺いしても?」

「ああ、失礼。申し遅れました」

 と、横溝は立ち止まり、名刺を取り出して女性に渡した。

「光文社の横溝龍介と申します」

「編集者さん」

「はい。今は江戸川乱歩先生の担当をしております」

「そうなんですか!」

「お読みいただいたことがおありで?」

「大好きです。うちの兄も」

「お兄さんがいらっしゃるんですか」

「ええ。兄も探偵をしているんです。というより、探偵は兄の方で、私は助手なんですけどね」

「そうでしたか」

 岩井と言えば、シーメンス事件を解決に導いたとされる探偵も、確か岩井という名だった(もとい、日本でいわゆる探偵業というものを創設したのがその人物だったといわれている)。しかしそれは偶然の一致だろう。

「大変光栄です。特にお好きな作品は何かありますか?」

「私は何と言っても『心理試験』です」

「いいですね。あれは、僕も傑作だと思います」

『心理試験』は終始犯人側の視点で描かれるという、当時としては珍しい形式を持っている。その物珍しさだけでなく、内容も充実している。

 まず、犯行の際に犯人が辿った思考の経緯が面白い。初めて読んだ時、横溝は「これはドストエフスキーの『罪と罰』に影響を受けているのではないだろうか」と感じた。後に本人に確かめるとその通りだったことがわかって、胸のすく思いがした。予備知識がないとわけがわからないというものは感心しないが、予備知識があることによってより深く楽しめるというものはなかなか良いと横溝は思う。作家と秘密を共有しているかのような気持ちになれるからだ。

 それから、犯人が受ける調査、タイトルの通りの「心理試験」が読者をさらに惹きつける。調査官が被験者に短い単語を聞かせ、被験者はその単語から連想する言葉を即座に返すことを求められる。調査官が発する単語は、ほとんどが犯行と無関係のものだが、犯行と関係のあるものが法則なく配置されており、犯人にしか起こり得ない連想、つまりは自爆を誘うのである。この方法が現実の取り調べで使われているものなのかはわからないが、あってもおかしくはない。やくざまがいの怒声で脅すよりよほどいい。

 犯人はこの「心理試験」を、完璧な対策によって回避したかと思われるが、明智小五郎は見事にその対策の穴を突くのである。

 短編だが、あの作品はれっきとした「本格物」だった。

 横溝は『心理試験』への思いを巡らせながら、隣を歩く女性が何か考え事をしているらしいのを、気配で察した。隠そうとはしているが、伝わる。甘いな。探偵ならば、そういったものをわずかでも相手に悟られてはいけない。

 そもそも彼女が本物の探偵であるという証拠はない。が、探偵でもない限り、声をかけてくる理由が思い当たらない。

 いや、何にしても自分は何かの「犯人」ではないのだから、特に警戒することもないのだ。

「どうされました?」

「何がですか?」

「何か考え事をされているようでしたが」

 横溝は少し遊んでみることにした。女性は狼狽を隠そうとしたが、これもかなりわかりやすかった。

「『心理試験』の次に好きな作品は何かなと考えていたんです」

「そうでしょうか?」

「え?」

「僕が江戸川乱歩の担当だということについて、何かお考えになっていたのでは?」

 そう言いながら、横溝は暗号のことを思い出した。探偵を名乗る女性が現れ、彼女が江戸川乱歩の担当編集に対して得意な反応を見せるのは、暗号と何か関係が? 演奏中に考えたことはやはり単なる妄想で、これはいわゆる「事件」だったのか?

「さすがは江戸川先生の担当さんですね」

「探偵小説作家の担当だから勘が働く、というわけではないと思いますがね。老婆心ながら、考え事をされる時は、そうと知られないように気を付けた方が良いですよ」

「はい。ありがとうございます」

「怪しい人物の前では特にね」

「そんな、横溝さんを怪しんでいるわけではないんです」

「いかがでしょう、岩井さん。この際ですから、事情をすべてお聞かせいただけませんか? 何かお力になれることがあるかも知れません。それに、担当の編集者として、江戸川先生が何かの事件に巻き込まれているなら、お助けしたいという思いもあります」

「わかりました」

 と、女性は素直に言った。人との接し方は未熟だが、やはり頭の回転は速いようだ。

 女性の話は、横溝が先ほどの演奏中にした「想像」を裏づけるものだった。「当たった」という快感は禁じ得ず、しかしすぐに自分を諌めた。喜ばしいことではない。

 やはり今日の逢引きも暗号によって予告されていた。乱歩は現れなかった。このままでは、乱歩は独りになってしまう。

 女性はいささか特殊な立場にあった。兄や甲賀と情報は共有しながら、彼女だけがそこからの推理に辿り着いていない。

 男女のことに疎いのだろう。そう思った時、甲賀の作家としての主張が脳裏をよぎった。いわく、探偵小説に文学性はいらない、と。やはり同意できない、と横溝は思った。人は計算ばかりで動くのではない。心によって動かされているのだ。時として、どうしようもなく、狂おしく。

「演奏の始まる前、講堂の入り口で、六時半ぎりぎりまで待っていらっしゃいましたよね?」

「ご覧になっていたんですね」

「はい。それで、あの暗号と何か関わりのある方かと思い、声をかけさせていただいたんです」

 女性の兄や甲賀は、彼女に自分たちの推理を教えなかった。暗号の解読に貢献したのにも関わらず、鈍い奴だと嘲笑され、仲間はずれにされた彼女は、憤って単身でここへ乗り込んできたのだ。

「僕の他にも、講堂の入り口に立っていらした方がいらっしゃいましたよね?」

「ええ。夫婦連れがお一組」

 夫婦と見えたか。少なくともあの時はそれほど親しげな雰囲気ではなかったはずだ。が、年齢を重ねた男女が並んで立っていたら、大抵の人が彼らを夫婦と見るだろう。こちらの鈍い探偵さんでなくても。

「あちらのご夫婦でなく、何故僕の方に?」

「横溝さんは演奏中も何か難しい顔をされていました」

「なるほど」

 さて、どうする? 彼女にすべてを教えてやるべきだろうか? あの二人は夫婦ではなく、女の方は江戸川乱歩の妻で、男の方は乱歩の家の間借り人であり、間男であり、暗号の差出人であると。

「横溝さん、何でもいいんです。何か思い当たることはありませんか?」

 ある。あるということを悟られていても良さそうなものだが、彼女はこれすらも気付かないのか? いや、さすがにわかっていそうだ。いくら何でも正面切って「あなたは何かご存知ですね」とは言えないだろう。

「横溝さんは何かご存知ですね?」

 言うのか。勘がきかないのに大胆とは……彼女の兄も苦労しているだろう。

 可哀想だが、はぐらかすことにしよう。乱歩にとって不名誉な話であることには変わりがない。はぐらかせば彼女の中で自分は容疑者であり続けるだろうが、それは仕方ない。

「すみません。特に何も」

 彼女は返事をせず、それきり黙ってしまった。疎外感を感じているのだろう。無理もない。甲賀たちだけならまだしも、初対面の自分にすら、わかっていることを教えてもらえないのだ。また、そうされる理由もわからない。

 哀れに感じた横溝は、ヒントを出してやることにした。

「ところで、『お勢登場』を読んだことはおありで?」

「確かあったと思いますが、ごめんなさい、内容まではあまり」

「そうですか。ではもう一度読んでみるといいですよ。あれはなかなか深い作品です」

「機会があればそうしてみます」

 反応が弱々しい。こうなってしまっては仕方がない。横溝はそのまま乱歩の著作の話に切り替えた。

「『心理試験』は戦前の作品ですね。江戸川先生の初期の短編には、面白いものがたくさんあります」

「はい」

「『人間椅子』はお読みになりましたか?」

「はい」

 生返事だった。

 どうやら彼女は感情の操作全般が苦手らしい。情報処理能力や発想力に長ける者ほど、心が自由にならない、という傾向はある。作家にも子供のような人間は多い。甲賀もそうだし、乱歩もだ。村山も同じ、と言えるのだろう。あんな挑戦状など、分別のある大人にやれることではない。

 子供のような気質やその持ち主を、横溝は特に嫌っているわけではない(甲賀は除く)。むしろ羨ましくさえある。自分のような「大人」は、訳知り顔をして、既存のものをあれこれ分析することはできるが、新しい何かをゼロから創造することはできない。

 彼らには創造ができる。原稿用紙の上に生み出した独自の世界で読者を魅了したり、暗号による手紙で人に衝撃を与えたりすることが。

「中期の『化人幻戯』などもよくできた作品です。しかし、僕が担当になったのは戦後のことでしてね、戦前の作品の良さは僕の手柄じゃありません。もっとも、作品の良さに関して、編集の手柄などないのですが」

 作家は編集者がいなければ何もできない、と考える仲間もいたが、横溝は違った。作品を書くのはやはり作家だ。面倒な手続きや手助けを必要とすることは、どんな仕事でも同じだ。料理人も一人きりで生きることは難しい。食材を作る者や店を切り盛りする者に日々支えられて生きている。それでも、料理は料理人の作品だと言える。

「最近の作品はいかがでしょう?」

「最近、と言いますと、少年探偵団シリーズでしょうか」

「ええ。子供向けですから、やはりお手には取られないでしょうか」

「そうですね、私はあまり。申し訳ありません」

「いえ、とんでもない」

「けれど、兄は毎月『少年』を購読しております」

「お兄様が?」

「はい。本当に楽しそうに読んでいますよ、子供にかえったような顔で。もともと子供のような人なのですが」

 なるほど、愛すべき人物のようだ。

「ありがとうございます。お兄様によろしくお伝えください」

「はい」

 正門のところで、女性は立ち止まった。

「それでは、私はこれで。横溝さん、ありがとうございました」

「いえ、お役に立てませんで」

「ちなみに私の中では、横溝さんへの疑いはまだ晴れておりません」

 そうだろうな。

「私はきっと真相を突き止めてみせます。また近々、お会いすることになるかも知れません」

「ええ。楽しみにしています」

 それは本心だった。彼女の機嫌の良い時に、探偵小説談義でもしてみたいと思う。今の言葉は挑発と受け取られたかも知れないが、今さら取り消せなかった。

「では、失礼します」

 去りかける背中に、横溝は言った。

「岩井さん、無理にとは申しませんが、よろしければあなたも今度、少年探偵団シリーズを読んでみてください。大人でも十分楽しめる内容だと、編集者として自負しています。何より、本人が楽しんで書いています。雑誌で『やっつけに書いている』などと漏らすこともありますが、あれは嘘です」

 女性はこちらを振り返り、きょとんとした顔で聞いていた。

「それから、先生はこの先、いつかきっと、また『心理試験』のような本格物を書きます。必ず書き上げます。いえ、どのような作風になるかはまだわかりません。世の人はエログロと呼ぶようなものになるかも知れません。しかし何であれ、人間の心の在り方について、深く考察したものになることだけは確かです。本が出たら、きっとお手に取ってみてください」

「わかりました。そうします」

 彼女は微笑んで去っていった。

 そうなのだ。乱歩には未来がある。書きたいものをたくさん抱えている。

 横溝は暖かな春の海の上で、小舟に乗っている少年を思い浮かべた。魚はいくらでも獲れる。雨水もたっぷり蓄えてある。気ままな旅だが、目的もあるのだ。行ってみたい島がある。その方角へ、毎日少しずつ漕ぎ進めている。その島は恐らく大変危険な場所だ。毒ガスが立ち込める死の世界かも知れないし、猛獣や蛮族が果てのない殺し合いを繰り広げる地獄かも知れない。しかし何であれ、少年を止めることは誰にもできない。

 小舟の舳先にとまっている一羽の海鳥が横溝だ。少年の話し相手になり、彼の冒険の成功を心から願う。

 けれど、海は時として凶暴になる。空には暗雲が垂れ込め、小舟は既にうねりの中にいる。やがて来るであろう高浪は、少年を目指す島へと運ぶかも知れないが、それより先に小舟をばらばらに打ち砕いてしまう可能性もある。

 何かをしなければならない。やはり黙って見ているわけにはいかない。

 そう強く思った時、横溝は唐突に、先日、乱歩の机から消えていたものが何だったかを思い出した。写真立てだ。夫婦で映っている写真。

「どちらで撮られたものですか?」

 初めて書斎に入った日、横溝は尋ねた。

「どこでもいいだろう」

 乱歩はそっぽを向いたままぶっきらぼうに答えた。しかし敢えて写真を隠そうともしなかった。

 写真立ては机の上ですっかり風景の一部となっていた。だから横溝はなくなってもすぐには気付かなかったのだ。

 あの写真はどこに消えた? 決まっている。乱歩自身が捨てたのだ。自分や隆太郎は必ず気付く。そうと知ってのことのはずだから、つまりは嘆くことの代わりとして。

 傍目にも、良い夫ではない。それでも乱歩は、隆子を愛しているのだ。

 横溝は拳を固く握りしめた。

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