第20話 昔話

「はい、おまちどう」

 孝太郎と正樹が話し込んでいると、カウンターの奥からマスターが顔を出す。その両手には、美味しそうな匂いを放つ皿がそれぞれ乗っていた。


「太郎兄はオムライスだったよな」

「そうそう」

「でこっちが、あんたのだ」

 正樹の目の前には、ツヤツヤのケチャップソースが絡められているナポリタンが出てきた。オレンジの色の中には、時々ピーマンの緑が顔をのぞかせる。息を吸い込むと、少し酸味のある匂いがした。


「いっただきます」

 添えられたスプーンに手を伸ばすと、両手を合わせて孝太郎が言う。その声は待ちきれないとばかりに弾んでいた。かと思えば、豪快な一口を口へと運ぶ。


「ふふ、うまっ」

「そうだろう、そうだろう」

「これ、どっちが作ったの?」

「もちろん俺だよ」


 そんな会話を見ていると、ふと正樹の腹がグゥと鳴った。幸い二人は気づいていない様子で、ひそかに自分の腹を撫でる。正樹も小さくいただきますと言うと、フォークを麺の間に突き刺した。


 クルクルと巻き取ると、タイミングを見計らって口に持っていく。温かいパスタにフーフーと息を吹きかけ、パクリと口の中に押し込んだ。すると昔ながらの味を思い起こさせるような、素朴な味が口に広がる。


「おいしい……」

 目を細め、正樹が呟く。少し忙しない手つきで、またフォークをクルクルと回し始めた。


「そういやお前、弟どうした?」

「え、凛太郎?」

「それ以外に誰がいるよ」

「だよなー、俺一人っ子だもんな」

 半分お約束のようなやり取りに、孝太郎は首を大きく動かして答える。


「なんか用事あるんだと」

「ほー、そいつは珍しいな。凛太郎なんぞ、いつもお前の後ろくっ付いてたのに」

「いつの頃の話だよ。高校になって別々にやってたっての」

「それでも夏休みにゃ帰って、いつも一緒になって遊んでたじゃねぇか。うん、でも去年は見なかったな」

 顎に手を添え、思い出すようにマスターが言う。それに一瞬、孝太郎は肩を震わせたような気がした。しかしそんなことを感じさせない満面の笑みで、そうだったけか、なんて言葉を返していた。


「この村に高校はないんですか?」

 しばし食べる手を止めて、正樹が尋ねる。

「あぁ、無いよ。この村には中学までしかないんだ。義務教育外だからな」

「だから大体、寮のある他んとこの高校に進学するんすよ。俺も和歌山の方の高校に行きましたよ」

「……、大変なんだね」

「もうちょっと都会なら何でもねぇんですけどね」

 

 正樹の顔は、少し引きつるように笑っていた。学校がないなんて、少し考えつかない光景でもあったからだ。


「凛太郎はいいよな。だって東京の学校だぜ」

「しょうがねぇだろ、望月の家なんだからよ」

 マスターのその言い方に、正樹は少し引っかかるものを感じた。どこか見下したような、そんな言い方だった。


 正樹の視線に気が付いたのか、取り繕うようにマスターは人差し指を立てる。

「ほら、望月の家は昔から金持ってんだよ。だから豆腐屋の倅とはわけが違うんだって意味で、な」

「それにしたってよぉ……」

 同意を求めるように孝太郎に話を振っては見たが、まだムクれた様子でいい反応は得られない。


「随分離れちまったよな」

「あ、なんだ。弟がいなくなって寂しいのか?」

「そうかもな……」


 素直に言う孝太郎の目は、どこか遠くの方を見ていた。まるで懐かしい過去に思いを馳せるように。


「泣き虫凛太郎のくせに」

「よく公美子さんに怒られて泣いてたよな」

「ビビりだし」

「いっつもお前の背中に隠れてたもんな」

 

 二人の会話の内容から、正樹なりに凛太郎の昔の姿を思い浮かべている。いまだに幼さの残るあの顔から、もう少し年齢を下げてみた顔。そこに不安そうな瞳をつけてみる。しかしどうやっても今の顔がチラついて、うまくイメージが湧かなかった。


「アルバムとかないんですか?」

「うーん、どうだったかな」

 ちょいと待ってな、そう言ってマスターは店の階段を上がっていく。きっと二階が居住地なのだろう。


「まぁ、きっとあると思うっすよ。商店街のイベントとかの記念撮影とか」

「できれば小学生くらいの頃のが見たいな」

「そうっすね、あのころが一番かわいかったんじゃないっすか?」


 まるで本当の弟かのように、孝太郎が言う。それが少しおかしくて、口元に手を当てて正樹は笑った。


「これにないならねぇな」

 ドスドスと音を鳴らしながら、マスターは下りてくる。差し出した一冊のアルバムには、商店街イベントの下に期間を表す年号が記されていた。


 二人は料理の皿を退けてスペースを作ると、そこにアルバムを置く。一枚目を捲ると、正月の餅つき大会の記念写真だった。三十人ほどの人の中に、二人の影を探す。


「これいつのだ?」

 孝太郎は指でなぞりながら、写真の日付を見る。

「これ、俺が三歳の時じゃん」

「ほら、これお前じゃね?」

 マスターが指をさした先には、女の人に抱えられながら脱走を試みる子供の姿があった。確かに面影は残っている。


「ちょろちょろ動いて、危なっかしかったんだぜ」

「う、うるせぇよ」

 そういった孝太郎の唇は、ムスッとしたようにとがっている。


「こんなのいいから。えっと……」

 大ざっぱにページをめくっていくと、大体のあたりをつけて手を止めてみる。

「ここらだったら、小1くらいじゃねえか?」

「俺が凛太郎と出会ったのは小1くらいだから、こっから見ればいるんじゃね?」

 

 そう言われてアルバムを覗き込めば、そこには入学式の集合写真があった。桜が舞い散る大きな木の下で、新入生であろう十人ほどの子供たちが行儀よく座ってこちらを見ている。その後ろでは、その親御さん達が誇らしげに笑みを湛えていた。


「あ、これ俺だ」

 指さした先を見ていると、緊張した面持ちで座っている子供がいた。やんちゃだった孝太郎も、その日ばかりは体がガチガチになっている。


「あぁ、お前の弟いたぞ」

「え、マジ」

 孝太郎の四つ左には、下唇を噛んで心配そうな顔をした子供がいた。内股気味に座っている子こそ、確かに凛太郎である。


「なんか、あまり今と変わらないね」

「泣いてるとことかねぇのかな」

 パラパラとめくってみると、孝太郎はあるページでふと手を止めた。それは先ほどの写真から約三年後。二人が小学三年生の時の写真だった。


「うわ、これ。懐かしいなぁ」

 それは商店街のハロウィンイベントのようで、周りはゴーストやらコウモリやらの飾り付けがしてる。写真の隅にはステージがあるのか、キャラクターの手だけが映りこんでいた。


 この写真だけは集合写真ではなく、明らかに凛太郎を被写体として捉えていた。プラスチックで出来たジャック・オウ・ランタンの籠を持っているから、きっとお菓子を貰って回っていたのだろう。包帯グルグル巻きのミイラ男の仮装をした子供にびっくりしたのか、凛太郎は空に向かって大口を開けて泣いていた。


「そうそう、これ孝太郎だったよな」

「ちょっと脅かそうとしたらマジ泣きしちゃってさぁ」

「ありゃしつこく追っかけっからだろうよ」

 はははは、と二人して笑う。


「そういえば、お前たち廃旅館街に肝試しに行った時も泣いて帰ってきたよな」

「あぁ、あったあった。でもあれは別に幽霊とかじゃなかったんだよな」

「へぇ」


 腕白そうな孝太郎が幽霊以外で泣き出すとはあまり想像ができなかった。

「凛太郎の爺さんの旅館に行ったんすけどね、そこ、不良の溜まり場になってたんすよ。そんで見つかってよ」


 それはそれはしにものぐるいで逃げてきたのだと、少しオーバーに孝太郎が言った。


 

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