第19話 獣の目
渡り廊下は、歩くと小さくギシリと音がした。やはり少し老朽化はしているらしく、だからと言って危険と言うほどでもない。夢の中の景色より少し高い視線で見ると、誰もいない居間の様子がよく見えた。
あれだけ長く感じた渡り廊下も、ものの数分で辿り着いてしまう。グネグネと曲がったていると思ってい道も、それほど大変でもなかった。あっという間に、白壁の建物の前まで来る。
屋根が大きいからか、壁はそれほど汚れてもいなかった。白壁は触っても手につくものはなく、ゴツゴツとした感触に微かな痛みすら感じた。ノックするようにたたいてみても、厚さのせいか鈍い音がするばかりだった。
夢を反復するように、外周をぐるりと回ってみる。特に気になる点もなく、あっという間に一周してしまった。目の前には、鉄の固い扉が覆いかぶさるように立っている。
凛太郎は、扉についている格子窓に近づいた。夢とは違い、少し背伸びをすればいい。あの目がまだいたりはしないかと、少しの恐怖と微かな好奇心が心臓を激しく鼓動させた。
人間のような、獣のような目。それがいたら、どうしよう。扉を開けて開放する? それとも見なかったことにする?
答えが出ないまま、凛太郎はゆっくりと窓に近づいた。そっと中を覗いてみると、夢とは違って座敷の中は明るかった。隅々までとはいかないが、中に誰かがいればすぐにわかる。この中には、子供どころか誰もいないようだった。
「……、見間違いかな」
とりあえずもう片方の鍵で扉を開けてみることにする。こちらもすぐに開き、取っ手を引くとその重さに両手で後ろに体重をかけなければいけない程だった。
やっとの思いで開放すると、中からムワリと嫌な匂いがした。黴臭いようなすえた匂いに、凛太郎は思わず鼻を覆う。
「うわぁ……」
どうも床は板張りのようで、一か所だけ排泄用なのか四角く切り取られている。広さは凛太郎が膝を抱えて座るのがやっとといったところ。風通しも悪く、閉めれば茹だるような暑さになるだろう。もし閉じ込められるようなことがあったら、一日も持たずに発狂するに違いない。
「これはなんでも、酷すぎる」
凛太郎は、かつてここに入れられたであろう人々に同情の念を示す。
例えば、呆けてしまったお年寄り。
例えば、生まれてきてしまった奇形児。
例えば、獣のような目をしたあのこ。
もう見るものはないだろう判断し、凛太郎は鉄の扉に手をかける。開けたときと同じように力を込めて閉めると、帰るために扉に背を向けた。
しかしちょっと気になったことがあり、振り返ってみる。そこには先程と変わらぬ黒い鉄の扉が、太陽の光を反射してギラギラとしていた。格子窓の奥は、わずかに壁を照らしている。
もしかして、覗き方が違ったのだろうか。
幼い自分のときは、どんなふうに覗いていたっけ。凛太郎はそう思い、今朝のことを思い出してみる。
たしかそのままでは背が足りず、廊下から助走して窓に飛びついたのだ。その時窓は、凛太郎の体で遮られていた。だから中の様子が暗かったのだ。
「じゃあ……」
そうポツリと呟き、窓に近寄る。足をかけられるような場所はないかと探すと、ちょうど丸く出っ張ったところが左右についていた。凛太郎は格子の上部分に手をかけると、掛け声とともに飛び上がる。
「よいしょ」
安定したのを確かめると、中の方に視線を向ける。やはり夢と同じ、闇に包まれていた。凛太郎は恐る恐る中を伺う。
やはり、あの目はいなかった。
「やっぱり、そうだよな」
凛太郎は廊下に降りると、少し残念そうな声を出す。
「きっと、懐かしくて夢と現実がゴッチャになったんだ」
奥座敷には誰もいなくて、全ては自分の想像の産物。そう結論付けると、今度こそ奥座敷に背を向けた。
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